第5話 天使殺し その二
神の島。楽園。
龍郎は以前、青蘭たちとバリ島へ行ったときのことを思いだした。人間界で楽園と言える場所はいくつかあるが、バリ島もその一つだ。もっとも、それは観光客として数日すごしただけだから、そう思うのかもしれないが。
青い空、白い雲。
エメラルドグリーンの海。
白い砂浜。ハイビスカスに似た赤い花。
遠くに威容を誇る白亜の神殿。
まさに南国の楽園だ。
砂地の小道を歩いていくと、やがて、島の中央にやってくる。雲海のなかに神殿が浮かんでいた。
「うわっ。天空の城だなぁ。いかにも神様が住んでいそうだ」
龍郎が感嘆すると、すぐさまラファエルがかみついてきた。
「おまえがほんとにミカエルなら、熾天使だったころはここで暮らしていたんだぞ。おぼえていないなんてことがあるのか?」
龍郎は嘆息した。素直に感動しただけなのに、これじゃ、むじゃきに感想を述べることもできない。
「ラファエル。ミカエルは以前から二回も転生したんだ。細かいことなど覚えていなくても当然だろう?」と、ラファエルを責めたあと、ガブリエルがそっと耳打ちしてくる。
「この雲の下は虚空だ。魂の穢れた者には渡れない。神の御座所を守るためにある」
「なるほど」
悪魔などが侵入できない造りになっているというわけだ。
龍郎は自分が沈まずに渡れるかどうか少し心配だったのだが、その必要はなくなった。
ウリエルがこう言いだしたのだ。
「我々だけなのだし、飛んでいくほうが早くはないか?」
「そうだな」と、ラファエルもうなずく。
そういうわけで、一同は足ではなく翼を使って雲海を飛んでいく。周囲から、両耳のかわりに翼が生えた幼児の生首が、十も二十もより集まってくる。よく西洋絵画などで見る、ちょっと異様な天使だ。
「彼らは監視役だ。神のみもとへ雲海を回避して渡ろうとする者を見張っている」
今度もガブリエルが説明してくれた。先頭のラドゥエリエルがかるく手ではらう仕草をすると、生首の天使は散開していった。
「守りが厳重だな」
「それはそうだろう。天界のもっとも要所なのだから」
「まあ、そうか」
ようやく、神殿についた。
楽園のまわりにある天使たちの住処よりは小型だが、それでも人間界にあるどの神殿よりも大きい。様式はギリシア建築に似ているものの、塔やドーム型の屋根なども散見される。
前庭には
そのあいだを龍郎たちは通っていく。ラドゥエリエルが先頭なので、誰もが黙して見送る。
中庭をはさんで、ようやく本丸だ。通りすがりの天使の数もグッと減る。本丸には熾天使だけが入ることをゆるされているようだ。
まっすぐ続く大廊下のさきに巨大な両扉がある。金銀細工の華やかな扉だ。
「これよりさきに入れるのは、日ごろは御前天使だけだ」と、ガブリエルがささやく。
「御前天使?」
「神の御前に拝する栄誉を授かっている天使のことだ。我々も以前はそうだった。熾天使のころ」
「ふうん」
「我々、四大天使のほかに、その御前天使を足して、七大天使と呼ばれることもある」
「そうなんだ。ほかの三柱は誰?」
「ラグエル、ザドキエル、レミエルだ」
龍郎にはさっぱり覚えがない。さほど重要なことではないと思っていたのに、ガブリエルのようすは何やらおかしい。そわそわしたふうで何事か言いだそうとした。
が、ちょうどそのとき、ラドゥエリエルが扉に手をそえた。ほんの少しふれただけに見えたが、堅固な扉が音もなくひらく。
「神の御前だ。心するがよい」
ラドゥエリエルの紅唇から、ひときわ輝かしい宝玉でできた花がふりしきる。ついこの前まで人間だった龍郎は、美しいけれど、しゃべるたびにアレじゃ不便だろうなと思う。
しかし、神様というのには緊張した。もっとも、人間が信じている宗教上の神ではないだろう。クトゥルフ神話での名前はノーデンスだ。人間界にちょっかいを出すことが好きで、ほかにも北欧神話のオーディーンだとか、エジプト神話のオシリスだとかの異名を持っているらしい。
どんな顔をしているんだろうと思ったものの、ラドゥエリエルがこっちをにらんでいる。こうべをたれなさいと仕草で伝えてくる。しかたなく頭をさげた。おかげで大理石の真っ白な床しか見えない。
五十メートルか百メートルくらいは進んだだろうか。
やがて、ラドゥエリエルが立ちどまる。龍郎たちもいっせいに停止した。視界の少しさきに三段ほどの階段と、そのさきの玉座らしきものの脚が見える。
(神様のほうを見たら怒られるんだろうな?)
今はアスモデウスを救うことが最優先だ。不興を買うマネはできない。好奇心を抑えて、おとなしく下をむいている。
すると、玉座から声が降ってきた。およそ人間が想像しうるもっとも神らしい男声だ。穏やかで優しげで、少し老いてしわがれている。
「ご苦労だったな。ラドゥエリエル。さがってよいぞ」
ラドゥエリエルが頭をさげたまま退出していくのが見える。これで室内には龍郎たちだけだ。いや、あるいは御前天使というのが神のかたわらにいるのかもしれない。
誰かが何か言うのだろうかと思ったが、誰も何も言いださない。御前天使か熾天使でなければ、ちょくせつに神と話すことも許可されていないのだろうか?
龍郎はじれてきて、こっちから話しかけてやろうと思った。だが、神になんと呼びかけるべきか、そこで迷う。「おお、偉大なる神よ」が正解なのか、はたまた「天帝陛下」なのか?
まるでそれを読んだように、クスクスと笑い声が聞こえる。神様に笑われてしまった。
「よいよい。顔をあげるがよいぞ」
ご
「この姿のわしを人はとくに好むからのう。人前に出るときは、いつもこの姿になっておる」
老人はにこやかに笑う。
なるほど。たしかに以前、アメリカの公園で遭遇した老人だ。温厚で親しみやすいふんいきをかもしだしてはいるが、その奥でときおり眼光がするどい。
しかし、問題なのはそこじゃなかった。
「な、なんで……!」
思わず大声になる龍郎を見て、その人はニヤニヤしている。
「なんで、ここに穂村先生がいるんですかッ?」
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