第三話 天使の心臓
第3話 天使の心臓 その一
アスモデウスを天使たちにつれさられてしまった。どうやら治療のためであるようだが、ほんとに大丈夫なのだろうか?
残された龍郎は気が気じゃない。
(そうだ。アスモデウスは命を狙われていた。たぶん、アスモデウスのなかにある心臓をとりだすために。つまり、今の状況はそいつにしてみれば、願ってもないチャンスだ。アスモデウスが危ない!)
だが、どうやっても自分は天界へ行けない。龍郎が歯がみしていると、ガブリエルがよってきた。
「龍郎。とりあえず、ここにいては危険だ。私が君とフォラスを自宅まで送ろう」
言われたので、龍郎は考えた。
「天界につれていってもらうことはできないのか?」
「それは、できない。人間をつれていくわけにはいかない」
「そこをなんとか」
「それに……」
「それに?」
「天界は天使でなければ物理的に入ることができないんだ」
「物理的にか」
「そう。人間には呼吸ができない」
天界というからには空の上のどこかにあるのだろうか?
というより、宇宙の彼方のどこかだ。ノーデンスの造る結界のなかということ。
そこがどんな世界なのかわからないが、人間のために造られたわけではないのだから、酸素のない真空の世界かもしれない。
穂村が補足した。
「天使は天界の光を呼吸から吸入することによって、人間のような食事をしなくてもすむようになっている。つまり、大気中に人間界には存在しない物質が充満してるわけだ。放射性物質と水素となんやらかんやらの混合した気体だね。天使のためのご飯が人間には害なわけだ。また、酸素そのものも多少あるが、人間の呼吸に充分なほどではない」
「宇宙服を着てなら行けますか?」
「宇宙服だと酸素が切れたら死ぬよ。活動時間が安定しない。それに、もっとも危険なのは放射線や水素じゃないんだ。なんやらかんやらだ。それらは人類がまだ把握していない未知の物質だ。当然、宇宙服を透過してくる。人体に致命的な害毒となる」
「そうですよね……」
龍郎は自分の無力さに打ちひしがれた。愛する人が命の危険にさらされているのに、自分はその場所へかけつけることすらできない。
「でも、アスモデウスは命を狙われているんです。それも天使に。こうしてるあいだにも心臓をぬきだされるかもしれない!」
龍郎はガブリエルと穂村に、矢で襲われたときの状況を説明した。
つかのま、ガブリエルは黙考する。
「なるほど。たしかに、ミカエルが殺された当時、ほかにも数柱の天使が殺されたな。ただ、ミカエル以外の天使は戦の最中で死んだので、敵にやられたと考えられていた。邪神のやりくちにしては妙なところもあったが、さほど気にしていなかった」
「同じヤツの仕業だ。天使の心臓を集めてるんだ」
「そうかもしれない。心臓を集めれば、強い卵を作り、転生することができるから」
「天使はつがいの相手と心臓を一つにするんだろう?」
ガブリエルは何か言いかけたが、
「とりあえず、君の自宅へ帰ろう。ここにはもう、私たちしかいない。もしまた、シュブ=ニグラスがやってきたら、次はどうなるかわからない」
あの強烈にメスのフェロモンを発散する、恐ろしいほどの幻惑の女神。あれにこのメンバーで勝てるとは正直、思えない。
「わかった。行こう」
ガブリエルに頼んで翔んでもらうことにした。彼の腕に龍郎と穂村で両側からぶらさがる。次元を超えて飛翔するので、建物の外に出る必要はなかった。
ガブリエルが翼をひろげると、空間を移動するときの感覚に襲われる。
そのとき、龍郎は何者かの声を聞いた。次元と次元の境で生じた、ひずみの見せる幻だったのかもしれない。
——うまくいったね。シュブ。
——ええ。わたしの誘惑をしりぞけるなんて信じられないけど、合格よ。
——これで、あとは……。
——何もかも計画どおり。
幻覚のなかで、ぼんやりとだが話している者の姿が見える。シュブ=ニグラスと、それに、ナイアルラトホテップだ。
(あいつら、グルか)
やっぱりという気がした。
ナイアルラトホテップはこれまでも予測不能な行動をとる邪神だった。龍郎たちの味方にすら見えることもあった。だが、そこは邪神だ。何事か企んでいるに相違ない。
——奇跡を起こしてほしいものだ。この
——そうね。彼に託しましょう。わたしたち生ある者のすべての未来を。
ささやきかわす姿が急速に遠くなる。
夢? これもまた?
気がつけば、自宅の前にいた。ガブリエルは人間の姿に化身している。天使のときほど神々しくはないが、とびきりの美青年。
玄関戸をあけると、ガマ仙人と清美が座敷からかけてきた。
「おお、ご苦労であった。さあ、あがられるがよい」
「おかえり! 今日はがんばってマカロンとフロランタン作ったんですよ! 美味しい紅茶と召しあがれ」
龍郎が礼を言う前に、穂村がかけあがっていく。家のなかには香ばしいキャラメルの匂いがただよっていた。
座敷へ行くと、すでにティータイムの支度が整っている。アーモンドスライスをまぶしてキャラメルソースで焼いた薄いパイのようなお菓子と、カラフルなマカロンだ。
「おおッ、美味い! 美味いぞ、本柳くん」
穂村は両手にフロランタンとマカロンをにぎって、はしたないことこの上ない。が、ホッとした。清美にはこれまで何度、救われたことだろう。夢巫女としての能力もだが、それ以上に癒しの存在だった。
「さ、すわってください。食べましょう」
「はい」
もしかしたら、こんな幸福なひとときは、もう二度とこないのかもしれないと、ふと、龍郎は思った。
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