にんぎょ姫

びびび

にんぎょ姫

 なんだか今日は水の中が少しあつくて、不快な気持ちで目覚めた。潮の流れが変わったのか、去年ぶりに黄色い体に黒い線の一本書かれた小さい魚の群れを見た。

「おはよ」

 その群れの一番後ろに居た魚が声をかけてきた。私はベッドにしていた大きな海藻から顔を出して、わざと訝しげな顔をした。

「なんだい、そんなに不思議かい」

 そいつは、群れとは全く逆の色を体にしていた。黒に一本の黄色が目を引く。

「生まれつきなんだよ、そんなことよりさ」

 そいつは群れにどんどん置いていかれるが、特段気に留めるそぶりを見せない。

「君もはみ出し者かい、憐れだね」

 そいつはヒレをわざと大きく細かく振動させてこちらを煽るようにして、目の前をちらちら泳いだ。腹が立ってひっつかんで殺してやろうと思ったが、間一髪私の手をすりぬけて、と思ったらものすごいスピードで群れの後ろに戻っていった。

 私は、声が出ない。

 海の中から人間の王子を見初めたのが運の尽き、人魚が人間になれるなんて魔女のデマカセを信じて、結局王子も何も手に入らず、それどころか声を失ったのだ。憐れ以外の何物でもない。あの魚は正しい。憐れで、それでも私は生きている。生きてしまっている。泡になんてなっていない。私は、あの日を毎日夢に見て、あぁなんてかわいそうなことに、生きているのだ。

 夜の海にも流されずに私をとどめてくれた海藻のぬめりをありがたく頬に塗り付けて、揺蕩ってきた小さいカニを両手で受け止めて、右の足を一本ちぎって波の流れに乗せてやって、私はいつも通り、ただの喋れない人魚姫に戻って宮殿に泳いでいった。

 

「あなた、お声はまだ出ないの?」

「お゛……」

「ああそう、もういいですよ。無理せず。いつか貴女の歌がまた聴きたいと皆思っています。薬は、毎日塗るようにね」

「あ゛、ぅ゛」

「いいのよ」


 そうやっているうちに二十余年が経った。私はもう姫でもなく、宮殿から少し西に行った、いつも日陰でいつも冷たいサンゴ礁の隙間に住んでいた。声を出す必要もない、親族の同情で食べ物は定期的に来る。食べかすの鱗はそのへんに捨てても良い、運んでくる稚魚の召使いを凶暴なサメのいる場所に遣わせても、まさか憐れな私がそんなことをするとは誰も思わないから問題はない。昔に人魚の王子に貰った真珠のアクセサリーをつけて光のあたらない海面にかざしてみたり、ヒレをどれだけ魅力的にひらめかせられるか、誰かの剥がれた鱗が若々しく鮮やかにきらりとこちらを見ているのをどれだけ早く手でちぎれるかを一人で競ったりして。

 

 波の噂で聞いた。私の姪が、人間の王子を見初めたらしい。

 これはいけない。私のように憐れな人魚を作ってはいけない。さて。

 そばに仕えさせていたロブスターの執事に「おい」と呼びかける。執事は肩をびくりと震わせて、していた掃除をやめて振り返った。

「私の姪は、歌が上手いか?」

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にんぎょ姫 びびび @mikaaaan

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