⑥ 捕らわれたチュチュ

「なんてやつだ。ティナさんをだますなんて」

 レインが地団駄ふんでいる声が聞こえる。

 あたしはそっと、胸を抑えた。

 もちろん、ヒューへの怒りもある。

 でもそれ以上に。

 心がきゅっと狭くなって、涙が出そうだった。

「チュチュ」

 震える背中にそっと手が添えられる。

「ティナさんの歌声を取り返そう。きっとだ」

 水で濡らしたタオルをそっと顔にあてられたように、目が覚めた心地になる。

 そうだ。

 それが、あたしのやるべきこと。

「そうと決まれば、ここを出なくちゃ。あのにっくき座長からお姉ちゃんの歌声を取り戻すんだ」

 レインとうなずきあって、あたしは劇場の扉にかけよった。

 ところが。

 扉を押しても、びくともしない。

 どうして……?

「くそっ」

 レインが悔しそうに扉をこぶしでたたく。

「舞台に夢中になってるすきに、座長がオレたちを閉じ込めたんだ」

 えっ。

 でも、なんのために?

「『ひみつのミュージカル屋』は、人の演奏技術を宝石にして、高値で取引するって、言っただろ。やつの狙いは、チュチュのダンスの技術だ」

 そういえばさっき、座長に踊るように言われたことを思い出す。

 あれは、あたしのダンスの能力を、宝石にするためだったの?

 あのときレインがとめてくれたのは、それを阻止するため……!

 恐怖をふりきるように、あたしは頭をふった。

 今は、ここから脱出することを考えないと。

 そう思ったとき、目の前の扉が勢いよく開いた。

 ロビーの光の中、立っていたのは黒いタキシードに、白い仮面をつけた、見慣れた姿。

「ファントムお兄さん……?」

 その口元が、微笑む。

「そこまでだ、小さな舞姫さん」

 目の前に、漆黒の闇と風がはためく。

 あたしとレインは思わず目を閉じた。

 そう思ったら、次の瞬間、あたしはファントムお兄さんのマントの中にいた。

 耳元で囁く声がする。

「かわいい子に手荒な真似をしてすまないね」

「チュチュを返せ!」

 目の端にレインがこっちにかけてくるのが見える。

「だがこれ以上、詮索を続けられては困るんだ」

 その言葉が終わらないうちに、ファントムお兄さんはあたしを抱いたまま、勢いよく舞い上がり――空中で一回転して、劇場のシャンデリアに飛び移った。

 その真下で、レインが悔しそうに叫ぶ。

「卑怯だぞ。降りてこい!」

「……きみのカレシは諦めが悪そうだ。しかたない」

 下からものすごい風を感じて目を閉じる。

 ファントムお兄さんがシャンデリがから飛び降りて、二階席に着地したんだ。

 あたしたちが床につくのを待たずに、レインがファントムお兄さんめがけてこぶしをくりだす。

 お兄さんはそれをすばやくよけていく。

 レインは攻撃を続けるけど、どれもかわされちゃう。

「レイン、もういいよ、逃げて!」

 このままだと、確実に疲れて、レインまで捕まっちゃう。

「ちくしょうっ」

 ぴた、と急にレインが動きを止めた。

 そう思ったら。

 フロアに手をついて、宙に向けて大きく足を回す。

 ファントムお兄さんは小さく息を飲んで、後ろにとびすさった――。

 カランカラン、と乾いた音が響く。

 あたしはレインの足元に、白いものが落ちていることに気づいた。

 あれは、ファントムお兄さんの仮面。

 てことは……!

 レインが目を見開いて、驚いたようにこっちを見ている。

「お前は……!」

 あたしがその顔に目を向けるより早く、ファントムお兄さんはさっとジャンプして仮面を拾うと、その顔を覆った。なかなかやるね。レインにそう言いながら。

「悪いことは言わない。きみもはやく帰ることだ。『ひみつのミュージカル屋』にかかわるものには、不幸が訪れる」

 そのせりふを最後に、漆黒のマントを一振りして、劇場の窓に飛び移る。

「チュチュー!」

 ファントムお兄さんのマントに顔からすっぽり包まれて、レインの悲痛な叫び声を聞きながら、あたしはどこかへと、運ばれて行った。

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