掌編ごった煮
七つ味
「冬の星」
アラスカ、アンカレッジ。雲海を割る山脈の群のひとつ。その中腹に僕たちの働く施設はある。そこでは朝も夜もなく、一歩外へと出れば容赦のない吹雪が僕たちを襲う。ただじっと鉄と防寒材で覆われたドームに篭り、与えられた仕事をこなす。仕事は限りなくシンプルで、ディスプレイに映るいくつかの星の光をじっと眺め続けること。ここは天文台なのだ。そして光り輝く星に変化が見られればそれをカリフォルニアにある研究所にメールで報告する。マニュアルによると光が急に変色したり、光が強く、弱くなれば報告の必要がある。それが何なのかは僕たちが知っている必要はない。
地元のハイスクールを出た後、職を転々としながら最終的にここにたどり着いた。昔は仕事にいくらか「功績」を求めていた気がするが、そんなものは労働者側が勝手に勘違いしているだけで、僕がしたこと。例えばスーパーマーケットの品出し、保険の営業、高層ビルの窓ふきは今となっては誰がやっていたかなんて気にする人はいない。
この仕事だって、仮に僕たちが遥か彼方の恒星の死を見つけたとしても、それを世に知らしめ名を残すのは、西海岸にいる、朝は子供たちを学校へ送り、昼過ぎにスターバックスでまどろみ、夜、仕事仲間とバーで白熱した議論を交わしているような素晴らしいエリートたちなのだ。そしてそれを僻む必要はない。
「それで返信はどうだったんだ?」
僕は唯一の同僚であるルーカスに、先日送ったメールへの返答を尋ねた。
「驚くなよ。俺たちが見つけたのは誰も知らなかった星だった」
僕たちは仕事の合間、暇つぶしに様々な星を観察しながらたわいもない雑談にふけり、人員の交代があるまでの3か月をディスプレイの前で過ごす。時々交代で睡眠をとりながらもずっと星を眺める。気が遠くなるほど、それこそ何億光年の退屈だ。
そんな折、僕らはある発見をした。それはとても魅力的な発見だった。僕たちは名前のない星を見つけたのだ。
僕たちは気が向けばその星を眺めた。ディスプレイ越しに無機質で重苦しい闇の中、うっすらと白い光が滲んでいる。
ここからはどれくらいの距離なんだろう。
温かいだろうか、冷たいだろうか。
もしかしたらそこになにか宇宙の神秘が眠っているかもしれない。そういう妄想も膨らませていた。
「命名権は俺に譲ってくれないか?友人の誕生日にサプライズしたいんだ」
それから数日後、ルーカスにそう嘆願され、この名前のない星の命名権は彼のものになった。不満はない。彼はこんな仕事なのに文句も言わず、いつも僕に、仲のいい友人の失敗談、家族との思い出、ルーカスに気がある年上の女性の話だとかを聞かせて、その時間が僕は何より好きだった。そんな彼の頼みを断れるわけがない。
「ルーカス。生ゴミがたまっているから、表のダストボックスに出しておいてくれ」
「そうだね、男二人といえども清潔さは大切だ」
そして僕は一つ、おぞましい賭けをした。
だって仕方がないだろう。このまま、何もなさずに暗く寒いこの場所で人生を過ごすなんて気が狂いそうだ。せめて僕が生きた証拠が欲しかったんだ。ルーカスは僕にない物をたくさん持っているじゃないか。僕には温かい家族も、誕生日を祝ってくれる友人も恋人もない。
ひとつくらい僕にも分けてくれよ。
防寒扉の向こうでガタンと音がして、僕は賭けが成功したことを悟った。外へと続く廊下の重い扉をこじ開けると、吹雪で視界が閉ざされる。僕は半ば這う様にして、ダストボックスのある方まで進む。目線を上げると、ダストボックスの横の手すりが錆で劣化し、根元から裂けていた。下は切り立った崖になっていて、ルーカスの姿はどこにも見えない。
僕は室内へと戻り、しけた煙草を吸ってから、非常用の救難メッセージにを送信した。そしてルーカスの持つ電子メールのアカウントを調べる。
「ああ、もう送信した後か」
すでにメールを送信した痕跡がある。僕はその時、全てが無駄になったと悟った。あの星は知らない誰かのものになってしまった。
「よろしくお願いします」
ルーカスの後釜はつまらない男だった。何を話しても『そうですか』としか言わない。だがしばらくすれば、この退屈にも慣れるに違いない。
「これ、前の人のものですか?」
ある日、彼がルーカスの個室だった場所から、1枚の便せんを見つけた。送り先は書かれていない。僕はそれを好奇心か、それとも罪悪感からなのかこっそりと覗き見た。
『やあ、今日はジョニー、いつも感謝しているよ。君とはとても話が合うし、どんな話も楽しそうに聞いてくれるだろう?
こんな話をするのは恥ずかしいんだけど。
俺は本当は、そんなにいい人間じゃないんだ。嘘をついたのを謝りたい。友人だって一人もいない。素敵な女性にも話しかけられない。家族は膝の悪くて寝たきりの母だけなんだ。
つい見栄をはってしまったんだ。ごめん。
だから、俺はそういう世界から抜け出したくてここで働いている。君と馬鹿話をして過ごしていると南部の農村で過ごした幼少期を思い出すよ。
もうすぐ君の誕生日だろう。君にはたくさんの物をもらったから、何かを返したいと思ったけど、価値のあるものなんて持っていなかった。でも、あの星を見る君の目が輝いていることに気が付いたんだ。だから君に星の名前を送るよ。ハッピーバースデイ、ジョニー』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます