第93話 冷たい雨のその先に(3)

 白を基調とした清潔な通路を進むと、左手奥に目的の部屋が見えてきた。

 引き戸をゆっくりと開き、あまり音を立てないように気をつけて進む。

「大和、いるか〜?」

 僕は周りに気をつけて窓際まで行きながら、中にいるであろう友人に声をかけた。

「晃か?」

 友人からの声が返ってきたのを確認してから、僕達はカーテンを開けて中に入った。

「お邪魔します。」

 ちょっと挙動不審な瑞希が、キョロキョロと周りを見渡しながら僕の後に続く。

「瑞希ちゃん、いらっしゃい。勇斗と優愛も来てくれたんだ。ありがとう。」

 「あまり大人数で来るのもどうかと思ったんだけど、こいつらが一緒に来るって聞かなくてさ。」

 僕はベッドの横に置かれた丸椅子に座りながら、勇斗と優愛を指差した。

「いやいや、病院のベッドに寝てるだけだとヒマで仕方がないから、来てくれるのは嬉しいよ。」

 瑞希が持ってきたお見舞いのフルーツの盛り合わせを受け取りながら、大和が嬉しそうに笑った。

「確かにな。足を骨折してると言っても、他の部分は元気な訳で、健全な男子高生がこんな場所に縛り付けられてるってのは辛いものがあるな。」

 不自然に深刻そうな顔をした勇斗が、ウンウンと頷きながら皆に同意を求めてきた。

 勇斗の話を聞いていた優愛は呆れ顔、瑞希はなんのことだが分からないという顔をしている。

「なぁ、日菜乃は来てないのか?」

 口ごもりながら大和が優愛に声をかけた。

「誘ったんだけど、用事があるから行けないって。大会前だし部活があるのかもしれないね。」

「そ、そうか。そうだよな。日菜乃は今年こそインターハイに行くって、頑張ってるもんな。」

 大和は明るい声でそう言ったが、日菜乃が来てくれることを期待していなかったとは到底思えなかった。

 最近、大和と日菜乃が一緒にいる姿を見ないのは、僕の気のせいではないだろう。

 以前はいつも一緒に行動していたということを思い出し、何があったのではないかと無粋な詮索をしてしまいそうになる。

「大和君は、いつ頃退院できるの?」

 少し暗くなってしまった空気を感じたのか、瑞希が違う話題を口にした。

「頭を打ってる可能性があったから、検査入院してるだけなんだよ。CTの結果も問題なかったから明日にでも退院できるって。」

 しかし右足を骨折しているのは事実なわけだから、しばらくは生活に支障が出るだろう。

「そうなんだ。思ったより早く退院できるみたいで安心したよ。退院したあと、困ってることがあったら手伝うから何でも言ってね。」

 瑞希が小さくガッツポーズをしてみせた。

「ははっ、瑞希ちゃんが色々やってくれるなら心強いよ。」

 良かった。沈んでいるように見えた大和の表情が、瑞希の言葉で少し和らいだように見える。

「マジかー?!瑞希ちゃんにお世話してもらえるなら、俺はいつでも骨折するよ!」

「はぁ、勇斗ってホント最低。」

 大袈裟に天井を仰ぎ頭を抱える仕草をする勇斗と、それを見て大きなため息をつく優愛。

「今のお前に一番必要だと思う雑誌を買ってきてやったぞ。」

 そう言った勇斗が、ガサガサと自分のリュックの中から何かを取り出した。

 そういえば、ここに来る前に勇斗が本屋に寄って何かを買っていたな。

「おぉ!ありがとう。何だ?サッカー関係の雑誌か?」

 意味深な茶色い紙袋に入れられた雑誌を、大和は嬉しそうに受け取った。

「病室で寝てるだけだろ?ちょうど時間つぶしができる物を探してたんだよ。」

 大和が紙袋のテープを剥がす音が、静かな病室にやけに大きく広がった。

 紙袋から雑誌を取り出す大和の表情は、クリスマスプレゼントを開ける子供のようにキラキラとしている。

「なんだろうな。」

 しかし大和よ、相手は勇斗だ。今回ばかりはお前の素直すぎる性格は考えものだぞ。

 既に中身の予想がついている僕は、同じく長い付き合いである優愛の方を見た。

 案の定、優愛も眉間にシワを寄せて、本日2回目の大きなため息をついた。

「さすが勇斗君だね。こういうお見舞いは考えつかなかったよ。」

 興味津々な瑞希は、どんな雑誌が出てくるのか楽しみなようだ。

「お前っ!マジか?!これは洒落になんないって!」

 紙袋から出てきた雑誌をひと目見た大和は、急いで元の袋にしまい、これでもかというほど狼狽えた。

 勇斗が持ってきた雑誌は、女性がセクシーな格好で写っている写真が掲載されている、男性が好んで閲覧するような雑誌・・・まあ、端的に言えばエロ本だ。

 しかも、今回は『白衣の天使特集』とやらで、表紙にはピンクの白衣に身を包んだナースのそういう姿がデカデカと表示されてしまっている。

「お、男の子だからしょうがないと思うけど、ふたりとも、こういうのは女の子がいない時に渡すようにしてよね。」

 モロに表紙の写真を見てしまったのだろう。顔を真赤に赤らめた瑞希が、俯きながらふたりを非難した。

「違うんだ瑞希ちゃん!これは俺が頼んだわけじゃなくて、勇斗が勝手に・・・。」

 病院の見舞いに表紙がナースのエロ本とか、入院しているのが自分じゃなくて本当に良かったとつくづく思う。

 そんな話で盛り上がっていると、ずいぶん遠くからでも聞こえる騒がしい声が、この病室に近づいてくるのが分かった。

「ねぇねぇ、大和君の病室ってここじゃない?」

「ホントだ、木村大和って書いてあるよ。」

「早く入ろうよ。」

 大和の病室に来たのは、周りを全くと言って良いほど気にかけていない、まるでテーマパークにでも来たかのような無遠慮な声の主だった。

「おい、誰か来たぞ。大和、その本しまえよ。」

「何言ってるんだよ、勇斗が持って帰れば済む話じゃないか?!」

 病院のベッド上でエロ本を押し付け合うという、不毛な争いが繰り広げられる中、声の主たちは着々とこちらに近づいて来ているようだ。

「あ、ここだ。」

「待って、誰かいるみたいだよ。」

「いいんじゃない?開けちゃおうよ。」

 中に声をかけないでカーテンを開けるのは、良くないと思うな。

「やばっ!ひとまず枕の下に入れるぞ!」

 勇斗がエロ本を強引に枕の下に突っ込んだのと、カーテンが開け放たれるのはほとんど同時だった。

「やっほ〜、お見舞いに来たよ〜。」

 姿を現したのは、予想通り『大和親衛隊』の3人だ。

「あ、ありがとう。でも、何で病院知ってんの?」

 隠した雑誌が気になっているのか、しきりに後ろ手で枕の位置を調整しながら大和が親衛隊に訊ねる。

 大和よ、顔が引きつっているぞ。

「何か、顧問の先生に聞いたら教えてくれた〜。」

「でも、最初は教えてくれなかったよね。」

「そうそう、ワケ解んないよね〜。」

 常識的に考えて、先生が生徒のプライベートを話すとは思えないから、こいつらは相当しつこく聞いたんだろうな。

 顧問の先生、心中お察しします。

「あ、りんごがある。大和君、私が剥いてあげるね。こう見えても料理とか上手なんだよ。」

 そう声を上げたのは山崎千里だった。

 ちなみに山崎さんが手に取ったのは、瑞希が大和に持ってきたお見舞いに入っていたりんごだ。

 瑞希の様子が気になって顔を伺ったが「気にしてないから大丈夫」と小さな声が返ってきたので、それ以上は何も言わないことにした。

「大和、俺らそろそろ帰るわ。」

 居心地の悪さを感じたのだろう、勇斗が予定よりも早くに帰宅の意思を示す。

 直後、近くにいた僕の腕を引っ張り、大和が顔を近づけてきた。

「ちょっと待て!晃達が帰った後、どうすりゃいいんだよ?」

「そりゃあ・・・大和の友達だから、楽しく話でもしてたら良いんじゃない?」

 大和ゴメン!

 正直に言うと、この三人とは関わり合いたくないんだ。

「大和君、何の話?私達も混ぜてよ。」

 大和は渡さないとでも言っているのか、会話が他の人の方へ向くと、強引に自分たちの方へと向ける親衛隊の三人。

「勇斗、これ持って帰ってくれよ。」

 大和は情けない声で勇斗に懇願するが、その行為は勇斗の悪戯心に火が付いてしまうだけであろう。

「どうした大和、そんなに焦って。いったい俺は何を持ち帰ればいいのかな?」

 そして、勇斗の一言は、親衛隊の興味を大和の持つ『何か』に向けるのに十分なものであった。

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