第61話 ドキドキBBQ(8)
一度高くまで昇った太陽は、徐々に西の空へと傾いてきている。
あと数時間もすれば、バーベキュー場から綺麗な夕日を望むことができるだろう。
ちなみに一ノ瀬さんは、5本目のビールを空けたあたりから足取りが怪しくなり、現在は僕達が使用しているテーブルの近くのベンチで大いびきだ。
「お待ちかね。瑞稀ちゃんのデザートターイム!」
テンションの上がった勇斗が、瑞希のクーラーバッグを指差しながら意味のわからないポーズを決めて宣言した。
「そんなに大したものは作ってないよ。」
瑞希は頬を少しだけ赤らめながら、地面に置いていた大きめのクーラーボックスをテーブルに上げ、留具を外すと丁寧に中身を出し始めた。
クーラーボックスから出てきたのは、大きめのタッパーに入ったティラミスと人数分のシュークリーム、そして綺麗な飴色に焼き上がっているアップルパイだ。
「美味しいかどうか分からないから、あんまり期待しないでね。」
僕の座っている位置からでは瑞希の表情は見ることができないので、謙遜なのか本当に自信がないのかは分からないが、手作りスイーツなど随分長く食べていないので、弥が上にも期待が高まってしまう。
「どれも美味しそうで迷っちゃう。」
甘いものが好きなのか、咲希ちゃんがスイーツを見比べている。
いつも大人びている咲希ちゃんだが、こういう表情を見ると、年下なんだなと実感し微笑ましく思う。
「私はティラミスから頂くわね。」
美桜先輩が手を伸ばしたのはティラミス。落ち着いている美桜先輩らしいチョイスだ。
「ティラミスはマスカルポーネチーズじゃなくて、水切りヨーグルトで作ったから、少し軽い感じに仕上がってます。」
ティラミスとマスカルポーネチーズは切り離せない物だと思っていたけど、水切りヨーグルトで代用できるなんて初耳だ。
そう聞くと俄然興味が湧いてきた僕は、美桜先輩に続いてティラミスに手を伸ばした。
「どう?美味しい?」
瑞希が不安そうに僕の顔を覗き込む。
確かにマスカルポーネを使ったティラミスと比べると濃厚さに欠けるかもしれないが、バーベキューの後に食べるのであれば、あまりしつこくない瑞希の作ったティラミスの方が食べやすいように思える。
「うん。美味しいよこれ。」
素直な感想が、僕の口からこぼれ落ちた。
それを聞いた優愛と勇斗が、ティラミスに手を伸ばす。
「本当だ。美味しい。」
「瑞希ちゃん、天才!」
最後まで何から食べようか迷ってい咲希ちゃんも含め、結局、全員がティラミスから食べる流れになった。
美味しそうに食べる皆の表情を見て、瑞希はとても嬉しそうだ。
「シュークリーム貰っていいですか?」
早々にティラミスを食べ終わった咲希ちゃんが、続けてシュークリームを頬張った。
「これも美味しい。カスタードクリームが、すっごく濃厚ですね。」
さすがの咲希ちゃんも甘いものには勝てないのか、いつもの勝ち気な彼女の姿は息を潜め、ここにいるのは無邪気な高校一年生だ。
「咲希ちゃん、口の横にカスタードが付いてるよ。おしぼり使う?」
咲希ちゃんの正面に座った勇斗が中腰になりながら、咲希ちゃんに個包装のおしぼりを渡した。
確か、バーベキュー前は「咲希ちゃん狙い」とか言ってた気がするけど、勇斗は火起こしとバドミントンに夢中になりすぎて、咲希ちゃんとはほとんど話していない。
このデザートタイムで起死回生するつもりなのだろうが、咲希ちゃんだって馬鹿じゃない、勇斗の見え隠れする・・・というより見え見えの下心なんてお見通しだ。
「はぁ。」
僕の横に座っている優愛が、勇斗の方を見て小さく溜息をついた。
優愛の皿の上にはティラミスがまだ残っている。甘い物が苦手であった記憶はないけど、一体どうしたんだろう。
「咲希ちゃんは、学校には慣れた?」
「部活、まだ決めてないんだ。」
「分からない事があったら、俺に聞いてくれていいからね。」
ここぞとばかりにグイグイ攻める勇斗に、咲希ちゃんは若干引き気味だ。
「勇斗、咲希ちゃんが迷惑してるよ。」
見るに見かねた優愛が、口を挟んだ。
勇斗の行動に対して優愛が口を挟むことはよくあることで、僕ら3人の間では日常茶飯事というか、ある種の「お約束」のようなのになっている。
しかし、僕はこの時の優愛の態度に、若干の違和感を覚えた。いつもは悪態をつきながらも笑顔でいる優愛の表情に、今日は余裕が感じられなかったのだ。
「瑞希、アップルパイ貰える?」
話を変えなければならない気がした僕は、瑞希に声をかけて、ホールで焼いてきてくれたアップルパイをカットしてもらうことにした。
話題が変われば、優愛の態度も変わるだろうと考えたからだ。
「オッケー。ちゃんと焼けてるかどうか、ちょっと自信ないけど・・・。」
瑞希がナイフを入れると、パイ生地を切る“サクッ”という美味しそうな音した。
冷えている状態でも分かるサクサクのパイ生地。できたてはどれほど美味しいのだろうかと、思わずにはいられない。
「あ、これも美味しい。一ノ瀬さんってお菓子作りが上手なんだね。」
器用にフォーク小さく切ったアップルパイを口に運び、口元を隠しなら話す美桜先輩を見ていると、ここが高級なレストランであるかのように感じられるから不思議だ。
「ホントだ。瑞希ちゃんこれも美味いよ。」
次々に出る称賛の声に、瑞希も心底嬉しそうな表情を見せた。
「これってさ・・・。あんまり覚えてないんだけど、晃の母さんが作ったアップルパイに似てないか?」
アップルパイを頬張った勇斗が鼻の頭を掻きながら、僕の方を見た。
それを聞いた僕も、目の前に置かれたアップルパイを一口頬張る。
サクサクの生地、甘さを抑えたフィリング、ほのかに漂うシナモンの香り。
確かに素朴な味が母さんのアップルパイにそっくりだ。
僕は言葉を失った。
高校生になった今、母さんが亡くなったことに対してどうこう思うことも少なくなったが、やはりふとした瞬間に思い出すこともあり、今この状況で感傷的にならないわけがない。
勇斗も優愛と同様に小さい頃から一緒に遊んでいたから、母さんが出した手作りのお菓子の味を覚えていてくれたのだろう。
うん。確かに似ている・・・母さんの味だ。
僕はアップルパイをフォークで小さく切ると、もう一切れ口の中に追加した。
「・・・違うよ。」
あまりにも小さな声であったので、それが優愛の声だと気づくのに少し時間がかかった。
声がした方向に視線を移した僕が見たのは、アップルパイを一口頬張った優愛がフォークを凝視している姿。
「こんなの・・・晃のお母さんのアップルパイじゃない。」
今度は全員に聞こえるぐらいの声でそう言い、立ち上がる優愛。
皆の視線が優愛に注がれる。
視線に気づいた優愛が、ばつが悪そうに皆の顔を見回した。
程なくして交錯する優愛と瑞希の視線。
「優愛、瑞希ちゃんに謝れ。」
勇斗が非難の声を上げるが、優愛の耳には届いていない。
いたたまれなくなったのだろうか、優愛がお皿の上にフォークを乱暴に置き、林の方に走り出した。
「おい、優愛。待てって!」
いったいどうしたっていうんだ?!
優愛らしからぬ態度を不思議に思いながら、僕は優愛の後を追って走った。
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