第23話 交錯する想い(4)
昼食を摂った後、お腹いっぱいで望む午後の授業の最難解の課題は、睡魔の誘惑にいかに屈しないかという事だろう。
窓際から差し込む春の日差しも相まって、今日も僕は睡魔の誘惑に勝てる気が全くしない。
「明日の生物の授業では『生物界全般における人間社会の役割』の単元をやるから、予習しとけよ。」
クラス担任でもある筒井先生が、教科書を閉じながら授業の終わりを告げた。
筒井先生は優しく、マッスル高橋のように理不尽な要求をしないので、人気のある教師のひとりだ。
「起立、礼、着席。」
日直の号令と同時に、教室内がざわめきだす。
僕は机に支線を落とした。授業のノートにはミミズが這いずったような字が描いてある。どうやら今日は睡魔との戦いにギリギリで勝つことができたようだ。
「晃君、よく寝てたね。」
あれ?
「呼んでも起きないから、最後には筒井先生が諦めてたよ。」
瑞希が椅子を後ろ向きに座って僕と向き合い、とんでもない事を言い始めた。
うん、嘘だな。僕にはそんな記憶がない。
瑞希は僕の考えていることが分かったのか、冷たい視線を送ってきた。とりあえず僕はそんな視線には気が付かないことにした。
「まあいいわ。晃君、部活に行こうか。」
先に立ち上がり、スクールバッグを肩にかけた瑞希が僕を部活に誘ってきた。
何だ?この展開は。
「晃君、家庭科部でしょ?今日から部活開始だって。」
それは部長から言われてたから知っているが、僕が疑問に思っているのはそんな事ではない。
「なんで瑞希が知ってるんだ?」
他人の部活、しかもマイナーな部類に入る家庭科部のスケジュールを把握してる。
これは、まさか!
「私も家庭科部に入ったから。帰りも送ってもらえるし、丁度いいね!」
あぁ!やっぱり!
「冗談じゃない!僕は帰るからな。」
1年間も幽霊部員をやっていたんだ。今更、どの面下げて部活に行けと言うんだ。
僕はそう言い、机の中の教科書やノートを無造作にスクールバッグに詰めると、足早に教室後方の扉に向かった。
「ちょっと!私は今日が部活に初日なんだけど。ひとりで行かす気?」
ちょっと可哀想かなと思ってしまうが、一年ぶりの部活、しかも周りは女子ばかりという環境に僕のメンタルが耐えられるとは思えない。
ゴメン、瑞希。
僕は心を鬼にしてこの場を去るよ。
「薄情者ー!」
僕がそそくさと扉を出た後、教室内に瑞希の悲痛な声が響き渡った。
部活に出ないからといって、特に予定がある訳ではない。出席する気のない部活なら転部という方法もあるのだが、今更そんな気も起きないし、なんと言っても家事をする時間が無くなってしまう。
・・・と自分に言い訳をしておく。
階段を下り、昇降口で靴に履き替え、自転車置き場までの通路を歩いた。
弓道場には、相変わらず部活に励む袴姿の美桜先輩の姿があった。
トクンと小さく心臓が脈打った。
美桜先輩に恋をしてから、1年が経過しようとしている。
このまま憧れでは終わりたくないと思う自分がいる一方で、どうせ脈がないなら綺麗な思い出のままにしておきたいとも思う自分もいる。
勇斗や優愛は「根性なし」とか「当たって砕けろ」とか言うが、全く面識のない下級生からいきなり告白されて、OKを貰える訳がない。
そういえば大和が今日の放課後に下級生から呼び出されていたけど、返事はどうするのだろう。
やはり僕の考えと同じように、面識の無い子からの告白は断るのだろうか?
でも、可愛い子たったよな。一般的に言ったら、無碍に断るのは勿体ない気もする。
僕だったらどうするだろう・・・。
うーん、呼び出された経験の無い僕には、想像さえもできない。
空気を裂く鋭い音とそれに続く的を貫く音で、妄想に花を咲かせていた僕は我に返った。
大和は大和、僕は僕だ。
あと1年もある。僕は僕なりにゆっくりと考えていけばいい。
そう思い、弓道場の方へ視線を向けた。
丁度、美桜先輩が矢を射るところだ。
美しい姿勢から放たれた矢は、鋭い音を立てて真っ直ぐに飛び、的の中央へ突き刺さった。
残心というやつだろうか。美桜先輩は少しの間放たれた矢に意識を集中している。僕はこの瞬間が一番美しいと思う。
美桜先輩が、次の矢を番えるためにこちらに向いた。
目が合った。
さっきよりも大きく心臓が脈打つ。
驚いた僕は、思わず美桜先輩から目を逸らしてしまった。
これじゃ美桜先輩を見ていたのがバレバレじゃないか。
“シュッ!・・・タン!”
数秒後、矢を放つ音と、矢が的に当たる音が耳に入ってきた為、僕は視線を弓道場へ戻した。
なんてことはない。そこにはいつもと変わらない弓道場の姿があった。
自意識過剰にも程があるな。悲しいことに美桜先輩が僕を認識しているはずなどないのだ。
弓道場の向かいに位置する自転車置き場には、数名の帰宅する生徒の姿があった。
僕も彼らと同様に、スクールバッグを自転車の籠に押し込み、サイドスタンドを上げた。
いつもと違う自転車の部品が目に入った。
今朝、瑞希が付けたハブステップだ。
「ったく、余計なものを付けやがって。」
僕はひとり呟くと、校舎を見上げる。
視線の先には家庭科室がある。
家庭科室では、瑞希が初めての部活に参加しているはずだ。
「ひとりで大丈夫かな。悪い事をしたな。」
そう言った僕は首を横に振り、自分の考えを否定した。
「高校生にもなって、部活に一人で行けないとか無いから。」
自転車にまたがり勢いよくペダルを踏み込むと、僕の愛車は軽快に進みだした。
何だかやけに後ろが軽いような気がした。
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