第15話 春は出会いの季節(8)
瑞希の校内案内は、部活紹介のあとも延々と続いた。
美術室、家庭科室、音楽室に情報処理室。さらに体育館、武道場と周り、現在、午後の2時を回ったところ。
「あー、腹減った!」
今日は始業式だけで出たら帰るつもりだったから、弁当を持ってきていなかったのだ。
「ホント、お腹すいたね。」
瑞希もお腹を押さえて言った。
さすがの瑞希も満足したようで、帰宅するという僕の意見に異論を唱えることは無かった。
もしここで「もっと案内しろ」などと言われたら、間違いなく先に帰宅するという選択をしていただろう。
「お前があんなに見学するって言うから、いけないんだぞ。」
昇降口で革靴に履き替えながら、僕は文句を言った。
文句と言っても決して本気で言っているわけではない。
僕だって思春期の男子高生なのだ。最初は面倒だと思っていた校内案内でも、同年代の女子と一緒にいるという状況に心が浮かれなかった訳ではない。
いや、はっきり言って浮かれていた。
「だって、自分が通ってる学校で迷ったら大変じゃない。」
上履きを下駄箱に入れながら、瑞希が申し訳無さそうにそう言った。
「迷ってたら、僕が連れてってやるよ。」
そこまで言って、僕はハッとして瑞希のほうを見た。
おおよそ僕らしくない発言をしてしまった。
「へ〜、優しいとこあるじゃん。」
ニヤニヤしながら僕を見る瑞希。
この顔を見ていると、無性にイラッとするのは僕だけだろうか。
「そんな態度取ってると、助けてやんねーぞ。」
「あははっ、うそうそ。ごめーん。」
瑞希はさっきからとても楽しそうだ。
自転車置き場の横を抜けて、正門の方にふたりで歩いた。
いつもであれば、この自転車置き場からチャリに乗って立ち漕ぎすればすぐに家に着く。
「なあ、明日からチャリ通にしない?瑞希のHUMMERのチャリだってチェーン付けとけば大丈夫だって。」
「う〜ん、考えとく。」
これは絶対に考えておかないパターンだな。
自転車置き場には、いつもの半分ぐらいの数の自転車しか置いていない。
用の無い生徒は殆ど帰ってしまったからだ。
始業式の日のこんな時間に構内にいるのは、熱心な運動部と僕等ぐらいだろう。
空気を裂く音と、それに続いて硬いものに何かが刺さる音がした。通路を挟んで自転車置き場と反対側に位置する武道場で、弓道部が練習しているのだ。
高校の弓道部とはいえ、袴姿で大きな弓を射るその姿は迫力がある。
いつもは教室で騒いでいる同級生が武道場で真剣な顔をしているだけで、何だか自分とは違う遠くの存在に感じてしまう。
「弓道部って、格好良いよね。」
瑞希が立ち止まったので、つられて僕も足を止めた。
美桜先輩がいる。
素人目にも分かる、他の人とは別次元の彼女の佇まい。
弓を引く動作から矢が手を離れ的に命中するまで、その姿はひとつの芸術作品のようだ。
もちろん僕の目に、憧れという見えないフィルターがかかっているのは疑いようの無い事実であるが。
「ふ〜ん、晃君はああいう人が好みか。」
「なっ、何言ってんだよ。」
いつの間にか僕の顔を覗き込んでいた瑞希が、無性にイラッとくるあのニヤケ顔で「へ〜」とか「ほ〜」とか言ってきた。
「私も弓道部に入ろうかなぁ。」
冗談じゃない!
瑞希が弓道部に入って、いらないことを美桜先輩に吹き込んだりしたら大変なことになってしまう。
「二年から弓道部っていうのは大変だと思うぞ。同学年の人と差ができちゃうし、人間関係だって築くのが・・・。」
「あははっ、何で懸命に止めようとしてるの?」
瑞希が僕の顔を覗き込んだ。
「分かった!先輩に何か吹き込まれるかと思ったんでしょ?」
「ち、違っ!というか、僕と美桜先輩はそんなんじゃ・・・。」
「あれ?私、美桜先輩なんて言ったっけ〜?」
またあのニヤケ顔だ。
「うるさい、もう行くぞ。」
僕は瑞希をおいて、歩き出した。
「うそうそ。怒んないでよ〜。」
小走りで付いてくる瑞希。
そういえば誰かと一緒に帰るのは久しぶりだ。
瑞希と一緒に海沿いの道を歩く。こういうゆったりとした時間もなかなか良いのではないかと思ってしまう自分がいた。
「ねぇ、見て!」
振り向くと瑞希は防波堤の上に登り、バランスを取りながら歩いている。
「危ないぞ。」
「平気平気。私、運動神経は良いんだから。」
確かに防波堤の上はそれほど細い訳じゃないから、ふざけてなければ海に落ちることは無いだろう。
「あ、蟹がいる。」
「蟹ぐらい珍しくなーい。」
「もう、そういう事言わないでよ。私にとっては珍しいの。」
大袈裟に拗ねてみせる瑞希。
「今度さ、釣り教えてよ。」
瑞希が竿を振り上げる真似をした。
「長靴しか釣れないぞ。」
「あはっ、そうかもね。でも長靴が釣れたら逆にテンション上がらない?」
「長靴は食えないからなぁ。」
そんな話をしていたら、またお腹が空いてきてしまった。
「ねぇ、晃君。何か食べて帰らない?」
なかなか魅力的な提案だ。
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