第9話 春は出会いの季節(5)

 パンを焼く香ばしい匂いがリビングに立ち込める。

 僕はトースターで温めたロールパンを皿に取り、テーブルで新聞を読んでいる父さんの前に置いた。

「あ、あぁ、すまんな晃。」

 父さんは新聞を閉じ、さらに二回折ってからテーブルに置くと、ロールパンを頬張った。

 4人がけのテーブルには二人分の朝食が並んでいる。

 既に慣れてしまったが、ひとり分少ない食器の数に以前は寂しさを覚えたりしていたのを思い出す。

「晃も早く食べちゃいな。今日から学校だろう?」

 そう。今日は始業式だ。

 入学式と違い学年が上がるだけなので、それほど感慨深いものがある訳ではない。気になるのはクラス替えの発表ぐらいだ。

「いただきます。」

 僕は両手を合わせると、目玉焼きを口へと運んだ。


 ピンポーン。


 チャイムが鳴った。

 僕はリビングの壁にかけてある時計を見上げた。

 時刻は七時半。まだ家をでるには随分と早い。

「もう瑞希ちゃんが来たのか?随分と早いな。」

 父さんも僕と同じ感想を持ったようだ。

 春休み中に隣に引っ越してきた一ノ瀬瑞希。

 なんと同い年、しかも彼女が編入する学校は僕の通う高校であることが先日判明。

 酔っ払った親同士が「それならば、初日は不安だろうから、一緒に登校してはどうか?」などと言い出した結果、このような状態に陥ってしまっている。


 ピンポーン。


 2度目のチャイム。

「はーい。」

 手に持っていたロールパンを口の中に押し込んで、僕は答えた。いや、実際は口に頬張りすぎて「ふぁ〜い」と答えていたのだが。

「随分早いな。」

 僕は口の中のロールパンを飲み込んでからドアを開けると、赤とグレー、そして白で彩ったチェック柄のブレザーにオリーブ色のリボンを合わせた制服姿で、両手でカバンを待った瑞希にそう声をかけた。

「ちょっと、朝に最初に言う言葉は『おはよう』でしょ?」

 瑞希が口を尖らせる。

 どちらかというと奥手な僕は、瑞希の何気ない表情に鼓動が早くなるのを感じた。

「あ、あぁ、おはよう。」

 素っ気なく挨拶を交わす僕。

 ドアを開ける前の僕は、瑞希よりも先に『おはよう』と爽やかに言うつもりだった。

 でも、朝から女子が自宅まで迎えに来るなんて、今までの人生において皆無だった僕が、彼女の顔を見た瞬間に素直な態度でいられなかったというのは、言うなれば必然。

 童貞臭いと言われようが、仕方のない事なのだ。

「おはよ。準備できてる?」

 瑞希が首をかしげる仕草が、僕の鼓動をさらに早めた。

「ちょっと待てよ。まだ時間が早くないか?」

 そもそも僕は制服にさえ着替えていない。

「チャリを飛ばせば、学校まで20分ぐらいだぜ?」

 そう言った僕に、瑞希は当然のことのように「歩きでしょ?」と言ってきた。

「何で歩かなきゃならないんだよ。瑞希だってHUMMERの折りたたみ自転車持ってるじゃないか。」

「嫌よ。あの自転車は気に入ってるんだから。盗まれたりしたらどうすんの?」

 そう言った瑞希は、早く支度をするように僕を急かした。なんて我儘な女なんだ。

「ここで待ってるから、早くしてね〜。」

 リビングに戻ると、父さんが何か言いたそうにこちらを見ていた。

「何?」

「いや、尻に敷かれてるなと思って。」

 出会ってから数日しか経っていないというのに、尻に敷かれてる関係とは一体・・・。

「早く〜。」

「分かってるよ!ちょっと待ってろ!」

 僕の通う高校の男子の制服は、紺のブレザーに女子のブレザーと色違いのチェック柄のズボン、オリーブ色のネクタイという格好だ。

 女子のブレザーの赤色はとてもお洒落に思える。しかし、赤が緑に変わっただけだというのに、男子の制服のズボンがダサく見えるのは僕の着こなしのせいだけではないないだろう。

「行ってきま〜す。」

 いつもは父さんの方が少し先に家を出るのだが、今日は順番が逆になってしまった。

 父さんが食器を洗ってから出かけてくれると、帰ってきてから楽なのになと思ってしまうが、期待するとやってなかった時のショックが大きいので、あまり考えないことにした。

 春は風が強い。

 海沿いを歩くショートボブの瑞希の髪が、風になびいた。

「気持ちいいね。」

 何か可笑しいのか、瑞希は髪を抑えながら楽しそうに笑っている。

「チャリで行けは、高校なんてすぐに着くのに。」

「まだ言ってる。どうせ女の子と登校なんてした事ないんでしょ?ゆっくり歩いて行こうよ。」

 瑞希が僕の顔を覗き込んで笑う。

 勝手に女子と登校したことないなんて決めないでほしい。・・・まあ、無いんだけど。

「学校ってさ、どんな感じなの?」

「どんなって・・・普通。」

「普通じゃ分かんないよ。雰囲気とか。」

「え?雰囲気?・・・普通?」

「何で疑問形なの?」

「行けば分かるよ。超進学校でも無いし、マンモス校でも無い。いたって普通の高校。」

 他愛のない会話をしていると、すぐに高校に到着した。

「うわぁ。」

 瑞希が感嘆の声を上げる。

「なんと言うか。」

「なんと言うか?」

「普通・・・だねぇ。」

「普通・・・だろ?」

 The 学校!とでも言いたくなるような、四角い校舎。

 それほど大きくない講堂と体育館。

 それなりに広い校庭。

 いたって普通の高校だ。

「職員室に来るように言われてるから、先に行くね。」

 僕は瑞希を見送った後、僕は昇校口の内側に張り出されているクラス分けを確認するために校内へと入った。。

 僕の通うを高校は、2年生から理系と文系に分けられる。

 理系クラスである僕は、1組か、2組のどちらかだ。

「おーすっ、晃!お前は1組。俺と一緒だよ。」

 後ろから背中を叩かれ、僕は振り返った。見なくても声で分かる。幼馴染の勇斗だ。優愛も一緒にいる。

「あとは誰がクラス一緒?」

「大和と陽菜も一緒だ。」

 僕の問に勇斗が答えた。

「私だけ3組で別々。」

 優愛が不満そうに顔を顰める。

「優愛は文系だからね。」

「こんな事なら、私も理系を選べば良かった。」

 数学嫌いとか言って文系を選んだのは優愛自身なのだが、新学期早々に口喧嘩もしたくないので黙っていた。

「そんなことよりさっ。さっき晃が一緒にいたのって瑞希ちゃんじゃなかった?」

 そういう所はしっかり見ているあたりが勇斗らしい。

「ラッキー!可愛い子がいると、高校生活も楽しくなるよな。」

 僕が頷くのを見て、勇斗が大袈裟に喜んだ。

 次の瞬間、勇斗の左脛に思いっきり蹴りを入れる優愛。

「いってーな!なにすんだよ優愛!」

 優愛に文句を言う勇斗。

 勇斗、今のはお前が悪いぞ。

 スタスタと自分の教室に向かう優愛を見ながら、僕はそう思った。

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