第7話 春は出会いの季節(4)

 キッチンから流れてくる電子音のメロディを聞き、僕はソファーから立ち上がった。

 テレビにはバラエティ番組が映り、司会者の軽快なトークと出演者の笑い声が静かなリビングに響いていた。

「熱っ。」

 僕は温め終わったコンビニ弁当の蓋を開けると、再びソファーに座り、なんの気無しにテレビを眺めた。

 食べ飽きた唐揚げ弁当を機械的に口に運ぶ。

 別に料理ができない訳ではないが、帰る時間が不定期で外で食べてくることの多い父さんに作っても無駄になることが多く、いつからか夕飯はコンビニで買うことが多くなってしまった。

「あぁ、暇だ。」

 テレビを消し、僕はソファーにもたれかかる。

 番組の途中であったが、毎度変わらない演出に、これ以上見る気が失せてしまった。

「ゲームでもやるかな。」

 勇斗は『ZOMBIE HUNTER』にログインしているだろうか?誰かとパーティーを組まないと、このゲームは難しすぎて先に進むことができない。

 僕はテレビ入力をゲームに合わせて、ゲーム機の電源をONにした。

「ただいま。」

 玄関が開く音がした。

 父さんが帰ってきたようだ。

 いつもよりも帰宅の時間が早い。自分の父親ながら、なんてタイミングが悪いのだろうと思う。

 今朝もゲームをやりすぎだと注意されたばかりだ。

「お邪魔します。」

「私と息子の二人暮らしだから、そんなに気を使わなくても大丈夫。」

 珍しい事に、父さんが客を連れてきたようだ。

 仕方なく僕は準備したばかりのゲーム機をしまい、玄関に顔を出した。

「こんばんは。」

 父さんと一緒にいたのは、人の良さそうな四十後半ぐらいのおじさんだった。

「晃、今日はちょっとお客さんを連れてきた。」

 それ、見りゃ分かるし。

「この人は、4月から父さんと一緒に働くことになった一ノ瀬さんだ。」

 え?一ノ瀬?

「一ノ瀬さん、こいつが息子の晃です。」

「昼間言ってた息子さんですか。速水部長に似てカッコイイですね。」

 その言葉は社交辞令として頂いておこう。

「えっと、隣に引っ越してきた方、ですか?」

 一ノ瀬さんをリビングに通しながら、僕は尋ねた。

「あれ?昼間会ったっけ?」

「いえ、娘さん、瑞希さんと・・・ちょっと。」

 どう言ったらいいか分からず口籠り、とりあえず一ノ瀬さんをリビングに通した。

「何だ、またコンビニ弁当を食っていたのか。あまり体に良くないぞ。」

 何を今更。

 父さんの言葉に少しだけ腹が立った。

 そもそも父さんがちゃんと帰ってこないから、僕は自炊をやめてしまったのではないか。

「まあまあ、晃君も高校生ですし、こういうものが食べたい年頃なんですよ。」

 一ノ瀬さんがそう言って、この場を治めてくれた。

「一ノ瀬さん、ビールで良いかい?」

 父さんが冷蔵庫の中を覗きながら、一ノ瀬さんに話しかける。

「部長、お構いなく。今日は引っ越しのご挨拶に伺っただけですから。」

 ソファーに座らず横に立っている一ノ瀬さんが、慌てて父さんに声をかけた。

「困ったな。ツマミがないぞ。晃、何か無いか?」

 一ノ瀬さんの言葉を全く聞いてない父さん。とりあえず僕は一ノ瀬さんにソファーを勧めて、カウンターキッチンの中に入った。

「冷凍の枝豆があったと思う。」

 父さんにはリビングに戻ってもらって、僕は枝豆をレンジで温めた。

 面倒くさいから早く帰ってほしかったが、お隣さんということもあり、邪険には扱えない。この調子だと、今日はゲームをする時間は無さそうだ。

 枝豆を出しに行った時には、既にふたりは打ち解けあった様子であった。こういうのを見ると、酒の力って凄いんだなと実感する。

「ツマミ、枝豆しかないけど良い?買ってこようか?」

 正直な話、酔っぱらいふたりの相手は辛いので、少し外で時間を潰したい。

「いや、いいよいいよ、晃君。枝豆だけあれば十分だよ。ありがとね。」

 空き缶が2本あることから、この短時間でふたりともビールを一缶空けていることが分かる。

「一ノ瀬さんは、結構晩酌とかするのかい?」

 父さんの顔が赤い。あまり家では飲まない父さんのこんな表情を見るのは初めてだ。

「そうだ。美味い焼酎もあるんだよ。」

「いやいや、家に娘が一人で居るんで、そんなに長居はできませんって。」

「隣なんだから、娘さんも呼んじゃえば良いんじゃないか?」

 これも酒の力か、いつになく強引な父さん。

「いや、まあ、そうなんですが・・・。」

「ほらほら、早く。」

 一ノ瀬さんは父さんの強引さに根負けして、渋々廊下に出ていった。扉の向こうから微かに電話の声が聞こえてくる。

 普通に考えたら、わざわざ父親の職場の人の家に来るような子供はいないだろう。

 この話はきっとここで終わる。酔いが冷めたら父さんを注意しなければならないな。

 一ノ瀬さんがリビングに戻ってきた。

「あの・・・。」

 口籠る一ノ瀬さん。確かに「残念ながら・・・」とは言いづらいか。

「今から来るそうです。」

 来るんかーい?! 

 最高の笑顔で焼酎のキャップを開ける父さんの姿が、視界の端に見えた。

「いやぁ、良い娘さんだ。一ノ瀬さん、今日は飲もう!」

 グラスにロックアイスを入れて焼酎を注ぎ、一ノ瀬さんの前に置く父さん。

 程なくして玄関のチャイムが鳴った。

 盛り上がっている二人を横目に、僕はリビングに向かう。

「こんにちは・・・あ、こんばんは、かな?」

 扉の前に立っていたのは、昼間に会ったショートボブの女の子。

 春らしいパステルカラーのシャツにスリムジーンズを合わせ、ちょっと恥ずかしそうに微笑むその姿に、少しだけ鼓動が早くなるのを感じた。

「あの、お父さんがここにいるって・・・。」

 僕が何も言わなかったからか、一ノ瀬さんが不安そうに口を開いた。

「ごめんごめん、お父さん居るよ。僕の父さんと意気投合して宴会してる。とりあえず上がって。」

 僕は慌ててスリッパを準備する。

 一ノ瀬さんは一度会釈をすると、スリッパに足を通してから、自分の履物を揃えた。

 風呂上がりなのだろうか。一ノ瀬さんの髪から広がるシャンプーの甘い香りが、僕の鼻腔をくすぐった。

「あ、リビングはこっちだよ。」

 いけない、いけない。

 我を忘れて嗅ぎ続けるところだった。きっと男性を虜にする、フェロモン入りのシャンプーを使っているのだな。

 僕は自分の行為を正当化するために、一ノ瀬家のシャンプーはフェロモン入りであると認定することにした。

「うわぁ。お酒臭ぁ。」

 飲みだしてからそれほど時間は経っていないはずだが、リビングのふたりは見事に酔っ払っていた。

 空腹の時にお酒を飲むとひどく酔っ払うと言うが、きっとこういう事なのだろう。

「しばらく終わりそうもないね。」

 僕たちはリビングのテーブルに向い合せで座り、自分たちの父親の醜態を見て苦笑いするしかなかった。

「一ノ瀬さん、ジュースでも飲む?」

 一ノ瀬さんに何も出していなかった事に気づいた僕は、慌てて冷蔵庫に行きオレンジジュースを手に取った。

「晃君!ここに一ノ瀬さんは、ふたり居るんです。どちらに言ったのか分かりません。」

 一ノ瀬さんのお父さんが、わざわざキッチンまで来て僕に言う。

 完全に酔っ払ってるな、この人。

「速水君、ごめんね。」

「そして娘よ。ここに速水君も、ふたりいるんです。」

 何が言いたいんだ、このオッサンは・・・。

「つまり、分かりにくいから名前で呼ぶように、と言うことだ。はっはっは。」

 何が「はっはっは」だ。この酔っ払いが。

 恋愛初心者の僕に、そんな恥ずかしいことなんてできるはずないだろう!

「でもそうね。お父さんの言う通り、紛らわしいのは確かね。」

 思いがけない言葉が、一ノ瀬さんから飛び出した。

「よし、私は今からあなたの事を晃君って呼ぶわ。だから晃君も私のことは瑞希って呼んでいいからね。」

 何だと?!

「はい、じゃあ呼んでみて、晃君。」

 良く分からないけど、期待に満ちた眼差しで見られている。

「み、瑞希・・・。」

 うわ、すげぇ恥ずかしいんですけど!

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