あめ玉のふる村:1
陽が、かげる。
「雨夜、もうすぐ雨が降るよ。雲行きが怪しいからね」
「了解。余石は天気もわかるんだねぇ」
「まあねー」
広い原っぱを歩いていると、先ほどとは打って変わった空模様。
「ぬれると体温が奪われちゃうから、あの大きな木で雨宿りをしよう。余石」
「了解。雨夜は人間だから、弱いもんね」
「まあね」
指さす先には、葉っぱの沢山生い茂る大きな木。計り知れないほどの大きさ。雨夜と余石はそこまで小走りで向かい、荷物を下ろす。
「ねえ雨夜。もうすぐ村に着くっていうのに、そこまで走ってくっていう発想はなかったのかい?」
雨夜は木にもたれかかるようにゆっくりと座った。
「それは考えたんだけどね、余石。もしそこの村の人が旅人に友好的じゃなかったら、僕たちは追い出されるかもしれない。そうなったら、結局ぬれちゃうでしょ?」
余石は、雨夜の横に体をつける。
「まあ、確かにね。雨夜もちゃんと考えてるんだねー感心したよ」
「余石はまるで、僕がいっつも何も考えてないみたいに言うんだから」
「え、そうじゃないの?」
大きな木の下に、少し不穏な空気が流れた。
コツッ
「雨夜、やっぱり雨が降ってきたね」
コツッコツコツコツ
「大きな雨粒だね。ヒョウかな、余石」
コツコツコツコツコツコツコツコツパラララララララ
「いや、この辺は気温も高いからそれはないよ雨夜」
「だったら何なんだろうね、余石」
雨夜はその雨を確認しようと、手のひらに受け取ろうとする。
「雨夜、触っちゃだめだよ」
余石の忠告に、雨夜は無意識に手のひらを引っ込めた。
「それから妖の匂いがする」
「・・・忠告ありがとう、余石。触ってたらまずかったね」
妖の匂いがする何かが、空から大量に降り注ぐ。
ーーーーー
ひとしきり降り終えた後。
「・・・これは、凄いね余石」
目の前には、妖の匂いがする『何か』が、地面に積み上がっている。
「そうだね雨夜」
その『何か』は、日に照らされてすでに溶けかかっている。
「甘い匂いがするね、余石。それもとっても中毒性のある匂いだ」
「僕には匂いはわからないけど、これは何かはわかるよ。雨夜、これは人間の嗜好品だね」
デンプンを糖化して作ったお菓子『あめ玉』が空から大量に降ってきた。
「『雨』の代わりに『あめ玉』が降ってきたって事で良いのかな、余石」
雨夜と余石は木から離れ、村に向かうことにする。
「この上を行かないと、村には行けないよなぁ」
村へと向かう道には、先ほど降ってきた大量の『あめ玉』が落ちている。赤や黄色、黒や白、様々な色のあめ玉が道を彩る。
「でも、このあめ玉は美味しくなさそうだね、雨夜」
「余石は食べないでしょ。でも、あんまり美味しそうな色はしていないね」
ジャリ、ジャリ、ジャリ。あるけどなくなってしまった道を、進んでいく。
ーーーーー
「ねえ雨夜。あそこ」
余石の指す方角を見ると、一人の女の子が目に手を当てながら立っていた。
「なんだか、悲しそうだね。雨夜」
「お、余石も人間の感情がわかるようになってきたんだね。僕にもそう見えた」
「いや、なんとなく言っただけ」
雨夜と余石は、その女の子に近づいていく。
「ねえ君。どうした・・・」
どうしたの? と声をかけながら髪の毛を見ると、その女の子の長い髪の毛に、大量の何かがベタベタとくっついていた。
「どうしたの!」
「え・・・ あの・・・ 私の髪の毛に・・・ あめ玉がくっついてしまって・・・」
「うん。僕がとってあげるよ」
僕は美容師だから、という言葉を続けて言おうとした雨夜に、その子の言葉が降り注ぐ。
「このあめ玉は・・・ とれないんです。二度と・・・ とれないんです」
女の子の両目から、ぽつ、ぽつぽつ、と涙がこぼれる。勢いを増していく。
「今日は雨が降らないって天気予報の人が言ってたのに・・・ どうして・・・ どうして!!」
雨夜に、その女の子の怒声が浴びせられる。その目は怒りに満ちあふれていた。
その場の、空気が冷え切った。
「ねえ、君」
余石が、空気を読まない無機質な声を発した。
「僕に座りなよ。心が落ち着くよ」
余石がそう言うと、さっきまでの怒りが嘘のように引いていき、その女の子は素直に余石に座った。
「・・・余石ナイス」
「こんな時は僕に任せなよ、雨夜」
ーーーーー
ひとしきり、待つ。女の子の気持ちがだんだんと落ち着いていき、表情も穏やかになってきた。
「大丈夫ですか?」
雨夜がそう一言声をかけると、に、っと無理に笑った。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます。すみません。いきなり知らない人に怒りをぶつけてしまいました」
いえいえ、と雨夜は謙遜する。
「この椅子に座っていると、さっきまでの悲しい気持ちがなんだかなくなっていく気がします「そう。ありがとねー」
女の子は目を見開いて、自分の座っている椅子『余石』を見た。
「あ、この椅子は余石と言います。僕と一緒に旅をしています」
「よろしくねー」
目を見開いたまま、女の子はお辞儀をする。
「僕は雨夜と言います。よろしくお願いします」
はっとなり、女の子は丁寧に挨拶をしてくれた。
「あ、初めまして。私の名前は甘音(あまね)って言います。雨夜さん、余石さん。よろしくお願いします」
「早速だけど、この髪についたあめ玉はとれないって言ってたけど」
雨夜がそう言うと、甘音の表情がすっと暗くなった。
「・・・はい。ある日からいろんな所にくっつくようになったんです」
「ある日から、ですか?」
「はい・・・ 私はこの村で、一番髪の毛が長いことが、自慢だったんです。なのに、こんなことになってしまって・・・ は、こんなこと雨夜さんに言っても仕方のないことですよね、すみません」
顔を深く沈める甘音に、雨夜は優しく声をかけた。
「確かに、この髪についてしまったあめ玉は取ることが出来ないかもしれません。でも、幸いにも肩から下にしかついていないから、何とかなるかもしれませんよ」
「? どういうことですか?」
甘音は疑問の表情で雨夜に問う。
「僕はね、美容師なんです。旅をしながら、髪の毛を切っている人なんです」
甘音からすっきりした表情が生まれる。
「プロの方、だったんですね。そうとも知らず、すみません」
「もう一度言いますね。あなたの髪についたあめ玉は剥がすことは僕にも無理です」
「・・・はい」
「でも、肩から下の髪の毛にしかついていないから、グラデーションボブにするとおしゃれになるかもしれないですね」
「グラデーション、ボブ?」
甘音はさらりとした髪の毛をなでる。先にはあめ玉。
「はい、グラデーションボブです」「甘音はグラデーションボブにしたことはあるかい?」
ふるふる、と甘音は首を横に振る。
「ここの肩から下にあめ玉がついている部分を切り落とすだけだったら、毛先が広がってしまうんだ」
甘音はゆっくりと何度も相づちを打つ。
「だから、この髪の毛に少しだけ『段』を加えて上げるだけで、楽になる」
甘音はほわーっとしている。
「美容師さんに、切ってもらったことはありますか?」
「いえ、ありません。何度か自分で切ったことはありますけど、長く伸ばしてみようと思ってからは切っていません」
「そうなんですね」「甘音、切ってもらったら?」
余石の声かけに、甘音は素直に頷いた。
ーーーーー
ふわっとカットクロスがつけられる。
「これ、なんだかマントみたいで良いですね」
「マントですか? 良い表現ですね」「やるねー甘音」
カットクロスをつけ終わったので、髪の毛を下ろす。あめ玉同士がぶつかり合い、コツンと音が鳴る。
「さあ、切っていくよ」
「よ、よろしくお願いします・・・」
雨夜は、自身のバックから取り出したシザーケースの中からハサミとクシを取りだし、両方の道具を右手に持つ。
そして、あめ玉のついている所とついていない所の境目を、ざく切りに全く手を添えないフリーハンドで切っていく。
「き、緊張しますね・・・」
「そうですよね。結構久しぶりに髪の毛を切るし、美容師さんにカットしてもらうのは初めてですもんね」
しゅきしゅき。床に落ちる、髪。
「うわぁ、もう軽くなっていってるのがわかります」
「おお、もうわかりますか。良い感覚を持っていますね」
「ふふっ」
甘音の髪についていたあめ玉の部分は、全て切り取った。予想通り、毛先がぶわっと広がる。
ここで雨夜は、一度鏡で見てもらう。
「甘音さん。切り終わりましたよ」
「・・・うわぁ。こんなに短くしたのは初めてです! これが、グラデーションボブなんですか?」
「いえ」「これがさっき言ってた『毛先が広がっている状態だよー甘音』
「あ、私早とちりですね。すみません」
「ここからが本番です。段をつけていって、グラデーションボブに仕上げていくベースのカットをしていきますね」
甘音は「よろしくおねがいします」と急ぎに頭を下げた。
雨夜はスプレイヤーを取り出す。
「ちょっと濡らしていきますね」
「はい」
しゅっしゅっ。乾いて広がった髪の毛が、しっとりと濡れていく。
「それでなんですけど甘音さん。この辺では、あめ玉が降ってくるんですか?」
雨夜は甘音の髪の毛を前と後ろに分け、センターラインで後ろも二つに分けていく。
「はい。今のは天気で言うと雨が降ったということになりますね。今回のあめ玉は『大あめ玉』でした」
「そうなんですね」
下の方をダックカールクリップで分け取り、止める。そしてクシで左右にときつける。
「私が、原因なんです・・・」
分けとった毛を、首の真ん中辺りでまっすぐに切っていく。
「私が、原因ですか?」
「・・・はい。私が原因なんです。私が、あんなのに喜んだ姿を見せてしまったから、私は今こうやって、髪を切らないといけないんです・・・」
まっすぐに切った毛を、今度は縦にスライスを取り、といて45の角度で切っていく。
「? あんなの、とは? 甘音さん。無理のない程度で、お話し頂けますか?」
「雨夜さんは『妖』ってご存じですか? この世にいるけど、人間ではない何かの存在を」
「・・・いや、なんとなくは聞いたことがありますね」「・・・」
「その『ある妖』と私は、ある日村の外れで出会いました。私たちの村は、甘い物を他の村からの仕入れで補っていました」
「はい」
「それで、村の人が取引する人と揉めたみたいで・・・ その甘い物が全く村に入ってこなくなってしまったんです」
一段目の分けとった毛束を45の角度で切り終わったので、次のスライスをダックカールクリップで分け取り、下のガイドに合わせて切っていく。
「入ってこなくなったんですね」
「はい。村の人は『何とかなる。甘く感じる物を生み出してみるから』って言って、人工的に甘く感じる何かを作ってくれたんですけど・・・」
「あんまり、美味しくなかったんだね」
しゅきしゅき。長く、美しい髪が、落ちる。
「はい。やっぱり本物にはかなわなくて・・・ 村の大人の人たちも『美味しいわね、ね、みんな』『うん、そうだね』って言ってたけど、内心では」
「美味しく、なかったんだろうね」
二段目の毛が切り終わり、全ての毛を下ろしてラインに合わせてカットしていく。
「はい。それで私、泣いちゃって。情けない話ですけど、甘い物が食べられないのがつらくて、泣いちゃったんです」
「うん」
しゅきしゅき。はらりはらりと、舞い落ちる髪。
「それで、その泣く顔を誰にも見られたくないと思って、村の外れにある原っぱで泣いていたんです。すると」
「すると?」
「『どうしたの?』と、妖『あめ王』に話しかけられました」
バックを切り終わったので、一度キレイにときつけ、様子を見る。まだバツバツと切っただけなので、なじんではいない。雨夜は左サイドへのカットへと移行する。
「『あめ王』っていうのが、その妖の名前なんですね」
「はい。その『あめ王』に、私は言いました。『甘い物を何日も食べていなくて悲しいの』と。すると『あめ王』は『あめちゃん、いる?』と言って、袋に入ったあめ玉を私の手のひらに置いてくれました」
サイドをダックカールクリップでスライスし、前下がりになるようにハサミを入れていく。
「そのあめ玉はすぐに食べたんですか?」
「はい! もちろんです。すぐに袋を破いて、口に放り込みました!」
「美味しかったですか?」
「はい!」
一段目の毛を切り終わったので、それをガイドにして上の毛を下ろし、カットしていく。
「私の反応を見て、『あめ王』はとても喜びました。『人間にこんなに喜んでもらったのは初めてだ』と言っていました。そしてすぐに、『あめ王』はその場を立ち去りました」
やがて、前下がりのカットラインが浮かび上がる。雨夜は右サイドのカットに移行する。
「すると次の日、天気の予報では雨でした。ですが、降ってきたのは『あめ玉』だったんです。村の人は何事かと天を仰ぎましたが、『これは天の恵みに違いない』と喜んでました」
「甘い物がなかったから、恵みだと思ってもおかしくないですね」
右サイドも同様に、スライスを取ってカットしていく。左右対称になるように、丁寧に切っていく。
「でも、あなたの髪についていたのは袋に入っていないあめ玉だったし、僕たちがふられたあめ玉も袋には入っていなかったですけど」
「はい。元は袋に入ったあめ玉がふっていたんですが、『あめ王』がおかしくなってしまったんです」
右サイドと左サイドが同じになったところで、ベースのカットは終了。全体的になじませるためにチョップカットを施していく。
「おかしくなったんですか?」
「村の人は大喜びだったんです。でも、『雨』が『あめ玉』になってしまったことで農作物が育ちにくくなり、収穫できる物が極端に減りました」
「・・・」
しゅきしゅきしゅき、徐々になじむ、髪。
「村の人は徐々に不安を抱えていっていました。『あめ玉はあるけど、今度は農作物が育たないじゃないか』『あめ玉なんかいらないから、雨を降らせろ』と」
「・・・」
「私が関わってこうなったことをみんなに言っていたので、私が責任を持って『あめ王』にその旨を伝えました」
「・・・すると、どうなったの?」
「いきなり髪が伸びて、その場から消えました」
しゅきしゅきしゅき、落ちた髪が風になびき、ひらひらと飛んでいく。
「次の日から、袋に入っていないあめ玉が無作為に降り注ぎ、村の人をもっと困らせているんです。すみません、こんなことを今あったばかりの雨夜さんに話してしまって」
「・・・いえ」
仕上げ作業に入っていく。
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