第7話

 ————もう、馬鹿にされ続けてたあの頃の俺じゃない。その為の百年だ。その為に、百年費やした。


 『才能がない』と言われ続けた俺だからこそ、あの百年、ずっと鍛錬に明け暮れた。

 才能がないのだから、偶然得たあの時間を使って才ある者たちとの差を埋めるしかなかった。


 ひとりごちるように呟く俺であったが、ただの拳撃で魔法を掻き消した事実が信じられなさ過ぎたのか。

 誰一人として俺の呟きに意識を向ける人間はいなかった。

 しかし、シン、と静まり返った静寂も長くは続かない。


「……そんなもんかよ」


 理由は、その沈黙をあえて俺が破ったから。


「お前の魔法は、そんなもんなのかよ、オドネル・レイバッハ」


 俺の手は、若干震えていた。

 それは、先程の一撃の余韻か。

 はたまた、オドネルという一生徒に対して俺が怯えてるからなのか。


 百年の時を経て尚、身体に刻みつけられていた痛みというものは忘れたつもりだったけれど、身体は覚えていた。だから、震えているのか。


 ……しかし、そんなものは最早、余計でしかないと言うように、震える腕で握り拳をつくる。


「もしそうなら、拍子抜けだよオドネル」


 過去と決別する為に、威勢の良い言葉を俺は吐き捨てる。黙ってやられるだけだった頃の俺とはもう違う。リュカに心配されるだけだったあの頃の俺とは————もう違う。


「き、さま……ッ、〝落ちこぼれ〟風情が!! 僕を馬鹿にするか!? 最早貴族でもないお前がッ!!!」

魔法学院アカデミーでは、実力が全てなんだろ? お前がよく言ってた事じゃないか」


 そう言って、俺の事を散々馬鹿にしてたじゃないか。


 事実を事実として告げてやると、既に怒りに歪んでいたオドネルの表情が更に大変な事になる。

 まさしく赫怒の形相。

 怒声と一緒になって、殺意までもがびりびりと伝播してくる。


「……ただ、〝落ちこぼれ〟である事実を否定する気はないけどね」


 自嘲するように、俺は笑った。


「知ってるか、オドネル。世界ってもんはとんでもなく広いんだ」


 それなりに空いていた距離を詰めるべく、俺は意識を遠い何処かへ向けながら一歩と踏み出した。


 竜殺しを成した武人がいた。

 たった一人で、世界を敵に回した魔女がいた。

 奴隷制度を壊す為に奔走し、狂人と呼ばれ、世紀の大悪党とまで言われた男がいた。

 様々な伝説を打ち立てた、〝英雄〟達がいた。


「たとえ千年修行したとしても、敵うと思えない奴がゴロゴロいるんだ。凄いよな?」


 俺が呟きながら距離を詰める中、その間に魔法が飛来してくる。

 しかし、『魔力鎧マナブースト』に触れるや否や、呆気なく霧散してゆく。


 仮にも『拳王』が編み出した極意である。

 そんなチンケな魔法程度で破れる筈がない。


「く、くるなッ!!!」


 そこで初めて俺が得体の知れないものにでも見えたのか。悲鳴じみた声が上がる。

 でも関係ない。


 喧嘩を売ったのはオドネルで、買ったのが俺。

 故に、引き下がる事はあり得ない。


「そんな怯えなくても良いだろうに。たとえ大怪我したとしても、俺はちゃんと治して、、、やるよ?」


 〝魂の牢獄〟では死ぬ程聞かされてきた『薬神』の口癖。

 俺に対する『薬神』のお決まりの脅し文句であった。


 たとえ腕が吹っ飛んだとしても、ちゃんと治してやるから存分に痛めつけられてこい。


 という遠回しの処刑宣言故に、その言葉を告げられるたびに背筋が粟立っていた記憶が蘇る。


 けれど。


「……ぁ、ここじゃこれ、通じないんだった」


 頭を掻く。

 現実に帰ってきてから、もう一日経つのにまだ感覚が抜けきれていないらしい。


「まぁ、いっか。師匠達みんなの事を忘れる気はないけど、このくらいの名残りがあってもさ」


 この世界で、師匠達みんなの名を刻む。

 それが、今の俺の夢。


 そんな言葉を平気で口にするドS薬師がいたと刻んでやるのも悪くない。

 そう思って、つい、俺は破顔した。


 気付けば、雨霰のように浴びせられていた魔法の雨が止んでいた。


「なぁ、オドネル」


 平坦な声で話し掛ける。

 でも、その声に見え隠れする憐れみに似た感情を感じ取ったのか。

 ただ話し掛けただけであったのに、オドネルは後退りする。


 以前までは〝落ちこぼれ〟と言われ、蔑まれ、虐められ、なぶられ、傷付けられ。

 オドネルを始めとした一部から、そんな扱いを受けていた俺と、今はまるで入れ替わったかのような立ち位置にあった。


「……かすり傷を負ったらって話だったけど、悪いけど俺もそこまで人間出来てないんだ」


 握り拳を見せつける。


 オドネルの自慢の魔法を、打ち砕いた拳だ。

 彼からすれば、剣といった鋭利な刃物より余程危険な凶器に思えたのかもしれない。


「でも、感謝はしてる。お前らに虐められてなかったら、俺は間違いなく師匠達みんなに出会えてはなかった。今はなかった。だから、これまでの恨みと感謝の分をさっ引いて、俺からは一発ぶん殴るだけで清算って事にしようか」


 だから————。


「————歯ぁ食いしばれ」


 既に失われつつあった距離を、その言葉を最後に一足で詰めに向かう。

 直後。


「ば、かがッ!!! さっきまでどんな手品を使ってたのかは知らないが、この距離ならそれも使えない筈だ!!!!」


 怯えた様子を見せていたオドネルが、声を震わせながらも、己を鼓舞するかのように大声を上げる。


 そして虚空に浮かぶ赤色の魔法陣。

 それは、この立ち合いの最初に拳で打ち消した筈の魔法であった。

 でも————関係ない。


「消えろ!! グラム!!!」


 ————頰を掠める程の紙一重。

 しかし、『魔力鎧』で受けるのではなく、ほぼゼロ距離で発動した魔法を身体を翻しながら反応して、避ける。


「……もっとよく狙うんだったな」


 もしこの場に『魔女』がいたなら、『才能がない』と十年ほど言われ続ける事になった挙句、魔法師の恥晒しとか言われて体罰待った無しだったぞ。などと過去の自分に重ねながら、思い切り拳を引き絞る。


「それと、約束は、ちゃんと守れよ」


 ————リュカに謝らないようなら、無理矢理にでも謝らせるが。


 そんな想いを拳に込めながら、俺はオドネルの頰目掛けて拳を振り抜き————程なく、後方へと吹き飛ばされる彼の苦悶の声と、衝突音が大きく響き渡った。

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