スターシップ・ドランカーズ(下)宇宙編

笹野 高行

第七章 潜入

第34話 空に浮かぶ影

 首相官邸・屋上――


 日曜日の夕刻だった。吠えるような群衆の声が、折からの南風に乗って繰り返し運ばれて来た。普段なら警備の警察官以外に人気もない首相官邸の周辺だったが、この日はデモ隊が遠巻きに囲んで、「戦争反対」のシュプレヒコールを上げていた。その官邸の屋上では、ダブダブの白シャツを風にはためかせながら、丸メガネの老人が空を見上げていた。


「不思議な光景ですな」と、老人は言った。東大名誉教授の井出だった。「あり得ないもの、幻としか思えないものと、生臭く泥臭い大衆の声が同居している――。現実を越えた光景です」


 「世界の終わりの始まりを、見ているのかもしれません」と、そばにいた初老の男が言った。内閣官房長官の武藤だった。彼は白い長袖シャツの第二ボタンまでを外し、袖を腕まくりにまくり上げて、片手を腰に当てたまま空を見上げていた。


 梅雨明け間近の白っぽく霞んだ青空には、生まれてこの方、誰も見たことのない影が、見下ろすように浮かんでいた。その姿は、水色のバックボードに白いパステルで描いた横断歩道のようであり、天頂近くに達する頃には枠を省いた格子こうし窓のようにも見えた。細長い長方形の影が八枚、すのこ板の板のように整然と揃って並んでいる。それが、月の巡りと同じように、一時間に15度ずつ、東から西の空へと動いていくのだった。それはキャタピラーのようでもあり、腕時計の金属製ベルトにも、そんな感じのものがあったと言えるのかも知れない、そんな、なんとも形容しがたい姿のものだった。


 異形の影を見つめて、井出は言った。

「人類は滅びる時、どのような姿を見せるのでしょう……」

 間を置くこともなく、武藤は答えた。

「ただ立ちすくむだけ、ではないですか? 辺りの草木そうもくと何ら変らず……」

 その余りに素っ気ない言いように、井出は思わず笑いを漏らした。何が起ろうとも、木や草花のように全てを受け入れる。そして最期さいごのときを静かに迎えることが出来るなら、それはそれで、ひとつの終わり方と言えるかも知れない。彼は振り向き、目尻も穏やかに訊いた。

「あの若者たちは、今頃どうしているのでしょうね」

「若者たち…… 宇宙へ行った、あの二人でしょうか?」 訊くまでもないことだったが、武藤は訊いた。

 空に浮かぶ影に再び目をやって、つぶやくように井出は言った。「あそこにいるのでしょうか」

 武藤は首を横に振った。特に意志表示がしたかったわけではない。むしろ、無意識のうちに無力感がにじみ出てしまったと言ってよかった。


「これは、私のような立場の者が口にして良いことではないのですが……」と前置きして、息も苦しげに彼は言った。「国家というものが、これほどまでに無力とは、これまで考えたこともありませんでした。様々な方法で接触を試みていますが、私たちは彼らから、全く相手にされていないのです」

「それは長官、米国も中ロも同じこと。国連でさえ、ただうろたえるのみです。しかし、我らには、誇れることがひとつあります」

「誇れることですか?」

「ええ。勇敢にも敵の懐に飛び込んでいった若者たちが、他ならぬこの国の若者だったということです。この国という見方が偏狭へんきょうなら、この世界の、この地球の若者と呼び換えてもいい。彼らの存在、その意志と行動を、私たちは誇りに思うべきです」

「そうですな。命がけでしょう。先ほども、宇宙空間で戦闘とおぼしき発光現象が見られたと報告がありました。もしかすると、向こうも、我々が想像する以上に厳しい状況なのかもしれません。手荒な扱いをされてなければよいのですが……」

「無事を祈りましょう」と、井出は言った。

「そうですね。地球の運命は、今や彼らの行動にかかっていると……」


「ここにいらしたのですか」と、声がした。ふたりは振り向いた。官房副長官の佐伯さえきが小走りに駆けてきた。「長官、お知らせしたいことが……」

「なんだね?」と、武藤は訊いた。

「気象の関係で……」と言いかけて、佐伯は口ごもった。武藤は、井出を気にする佐伯に、構わない、と目で合図を送った。

 息を整えながら、佐伯は言った。

「気象庁から至急。赤道付近です。潮位が急に上がってきていると……」

「潮位? 海水か?」

「はい。ハワイの太平洋津波センターから速報が入ってきています」

「台風か何かじゃないのか?」

「いいえ。東大の、宇宙物理学の研究チームですが、数日前から潮汐ちょうせき力、つまり引力に異常があると、報告を上げてきています。ほかに国交省ですが、ICAO(国際民間航空機関)から、あのスノコ板の下を通るたびに旅客機の高度が高くなる、という知らせが……。私が思うに、あれは月のような引力を発生させているのではないでしょうか。だから海水位も上がって……」

「佐伯君」と、武藤が遮った。「まず、我々以外の場所では、めったなことを言わないでもらいたい。専門家の先生方や、関係各方面に事実を確認して、総理に発表を決めてもらう。我々が話すのはそれからだ」

「すみません……」と言って、佐伯は脂ぎった額を手で拭った。そして、井出の方にも目をやって言った。

島嶼とうしょ諸国から、国民の避難に向けた事前協議の申し入れが来ています。それから、バングラデシュやオランダなどでは、低地や海面下の住民に移動命令が出されると……」

「早いな」と言って、武藤は唸った。

「宇宙人たちの意図に、世界はすでに気づき始めていますよ」と、井出は言った。りょうもうブルワリーに置かれた各国デスクを通じて、情報は世界に拡散していたのである。


「それともうひとつ……」と、佐伯が言った。

「今度は何かね?」

「今回の件と関係があるかはわかりません。国内の原発が相次いで緊急停止しています。それも、稼働中の原発全てです」

 武藤と井出は驚きの色を見せた。

「事故か?」

「いいえ、そうではないようです。エネルギー庁からの連絡が今しがた。原因はわかっていませんが、安全に停止したとのことです」

「今動いている所は、どこだったか?」

「高浜、伊方いかた川内せんだい……え~あと、玄海と大飯おおいです。それと、福島ですが……」

「福島? 福一か? 福一がどうかしたか?」

「それが……」と言って、佐伯は空を指さした。南の空に浮かぶ白い影に目をやって、彼は言った。「福島第一原発の上空に、マンタが現れたそうです。あれと同類かも知れませんが……」

「マンタ? イトマキエイですか?」と、いぶかしげに井出が訊いた。

「いえ~、それが、宇宙船のようだと……」

「なんでそれを早く言わん……」 慌てて武藤は体を翻した。



 福島第一原子力発電所――


 大地をつちで打つような音から、それは始まった。ゆっくりと、ひとつずつ、地を這うような低い音が響いてくる。福島第一原子力発電所の保全工事に携わっていた大勢の技術者・作業員は、すぐに気づいて原因を探ろうと辺りを見回した。その数分後、低く垂れ込めた雨雲の間から、まるで湧き出すようにチャコールグレーの影が姿を現わした。


 槌音はやがて、突き上げるような地響きを伴うようになった。廃屋となった発電施設の壁が崩れ落ちて、辺りに砂埃が舞い上がる。場内に鳴り響いていた警報音も、力尽きたように沈黙した。


 地元のテレビ局が近くの高台に駆けつけた頃には、作業員は全員、建屋からの退避を終えていた。局のカメラマンは、言葉を失ったまま車から降り、そしてカメラを構えた。テレビカメラのモニターに映し出されたのは、二隻の船体を並べた双胴船カタマラン全翼機ぜんよくきを融合させた―― マンタのような形状の―― 空を覆い尽くすほど巨大な宇宙船だった。


 男性レポーターの悲鳴にも似たレポートが始まった。そのマイクにも不気味な槌音は鳴り響いた。作業員たちを載せたバスや社有車が、取り付け道路を次々と走り抜けてゆく。待避指示から避難命令に変わったのである。


 そしてそれは、突然始まった。まるでミカンの皮が剥かれるように、地表一帯が切り取られ、がされ、そして浮かび上がった。それはあたかも、瓦礫がれきが落下する様を逆回しした映像のような光景だった。我々が見慣れた重力の作用はそこになく、宇宙の摂理せつりをも超越した光景としか言いようがない。結局、辺りに広がるタンク群もろともに、四つあった原子炉の残骸は、雨が降りしきる暗い空へと吸い上げられた。地下水やタンクからこぼれ出た泥まみれの水が、巨大な透明シールドの半球形の底を波打たせていた。この国のエネルギーの未来を担うはずだった発電所は、そのまま上空の巨大宇宙船の中へ、飲み込まれるように消えたのである。

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