4:関ユキノリにかつていたフレンド、メイちゃん
彼女と出会った頃の僕は高校生だった。学校には行っていない高校生だった。
とはいえ、中学で学校に行きたくなくて立派な登校拒否児になり、保健室登校で卒業証書を手に入れた。受験はちゃっかり受かったものの、高校にもめったに出席せず、市立図書館か、2駅先に住まう祖父母の家にばかりいた。祖父母は僕を甘やかしてくれたし、新しいものが好きな祖父はパソコンを数台持っていた。
そのうちの一台を好きにさせてもらえたので、僕は中学生のうちからネットの世界に触れていた。最初はおそるおそる。騙されたり、慌てて回線を抜くような羽目になったり、優秀なセキュリティソフトと本人の臆病さが幸いして、僕はそこそこネットリテラシーのある登校拒否学生に育っていた。
時間だけはたくさんあったので、その無料MMO RPGに手を出すのは必然だった。僕はたちまち夢中になったが、祖父母は規則正しく健康的な生活を送っており、彼らの大事な夜の眠りを侵害することは僕のポリシーに反したので、プレイしていたのはもっぱら朝から夕方だった。その時間帯にゲームをしているのは、夜勤のある仕事についている人、無職、学生、フリーター、そして主婦が多く、僕は顔も知らない彼らのアバターと時を過ごした。たまにオフに誘われたりもしたが、僕は当時は携帯も持たない主義だったし、ネットで出会う見知らぬ人と会うなんてとんでもないと思っていた。今も思っている。会うなら相手を吟味すべきだ。
昼間にふらふらとフィールドで伐採していたところ、通りがかりのギルドマスターに誘われて入ったギルドにメイちゃんがいた。僕が入った頃にはすでにメイちゃんはギルドメンバーのお姫様状態で、僕は使用しているキャラクターが女性キャラだったものだから、最初はメイちゃんに目の敵にされた。
女ってこわいなあと実感した。
メイちゃんは自分の城と取り巻きを維持するためならなんでもしそうだった。だから僕はこっそりと彼女に、自分が高校生であることを伝えた。でも高校生であることを他のメンバーに教えないでほしい、とも。
──そっか、女子高校生ってだけで変なのがきちゃうんだね! 大丈夫! あたしが守ってあげるから!
彼女を操るのは容易だった。メイちゃんは僕を妹分のユキちゃんとしてかわいがるようになった。お姫様のメイちゃんの、大事な妹。だから、他のギルドメンバーが僕をパーティーに誘うときには、必ずメイちゃんの許可が必要になった。楽だったけど、面倒くさかったので僕はサブキャラとして男キャラを作って、時々そちらで息抜きをするようになった。僕のメインキャラ(ユキちゃんだ)は時折しかインしなくなり、メイちゃんはさみしがった。
さみしいというのは表向きで、ユキちゃんをかわいがるメイちゃん、を演じることで優しい自分を彼女はアピールしたかったんだろう。
僕は辛辣な感情を、自分より年上でなおかつ既婚者であるメイちゃんに抱いていた。こういう女の人はいやだな、という明確な嫌悪。でもそれを表に出すほど馬鹿ではなかったから、適度にメイちゃんをうまく利用していた。彼女のかわいい『妹分』でいると楽だった。男たちはメイちゃんに疑われたくないので、僕をかわいがりはしたが下心を見せるふるまいはしなかった。女性キャラの一部(中身が女性とは限らない)はメイちゃんを嫌っていたが、僕については「手下にされてかわいそう」という思いを持っていたようだった。ダシにされてかわいそう。いいように使われてかわいそう。そんなことはないのにね。
むしろ利用していたのは僕の方だ。
メイちゃんは操りやすくて、楽な存在だった。メンタルが不安定だったから、うっとうしいと感じるときもあったけれど、僕はそういう時期はサブキャラで遊んで彼女のケアは彼女の取り巻きの男たちにまかせた。だって面倒くさいから。
メイちゃんが僕とボイスチャットで話したいと言い出したのはいつごろだろう。メイちゃんがあのゲームから消える、2ヶ月くらい前だろうか。
メイちゃんはその頃からちょっとずつ、ちょっとずつおかしくなっていた。僕はサブキャラで遊ぶことが楽しくて気づかなかったし、彼女の周囲で一緒に遊んでいる連中はうすうす気づいていただろうけど、看過していた。だって厄介ごとからは目をそらすに限る。面倒くさいから。
『メイちゃんとボイチャしてると、子供の泣き声がさ、たまに聞こえない?』
『だってメイちゃん既婚子持ち専業主婦でしょ』
メイちゃんのいない時間だった。メイちゃんの噂はたいがい、陰口だ。だって本人はそこにいないんだから。
僕は引きこもりのネトゲ廃だったのに、健康的な時間に起床していた。なぜかといえば、自宅にいる際は両親と顔を合わせる前に家を出て、人でぎっしりの満員電車が進むのとは逆方向にある祖父母の家に向かうからだ。朝七時には祖父母の家にいて、ふたりと朝食をとり、祖父と犬の散歩に行ってから、パソコンデスクの前に座る。ある意味、学校に通っているようなものだった。
ゲーム依存になるとひたすら寝食を削ってゲームをプレイするものだが、僕は高難易度のコンテンツにもはまらず、ギルドメンバーとべたべたもしなかったので、昼前にはほどほどに飽きる。祖父母とお昼を食べて、本を読むか、図書館に行く。そしておやつの時間にはまたなんとなくゲームをする。他の人には職業不明の謎な女の子だっただろう、ユキちゃんは。祖父母の家に数日泊まっては、家に時折帰る。だからゲームにインしていないこともままあった。
朝の八時くらいだ。メイちゃんがいなかった時間だったから。メイちゃんはだいたい、朝四時か五時くらいまでインしては、眠いと言って落ちていく。夜に僕がインするとメイちゃんはいつもいた。
そんなメイちゃんの依存度合を、周囲も感じていたんだろう。メイちゃんがいないとき、彼女の噂話をすることが増えた。噂と言っても実際、メイちゃんとボイチャしているとよく子供──たぶん男の子だ──の声がしたので事実ではある。
『子供の泣き声さ、最近よく聞こえるよね』
『だってメイちゃん、既婚子持ち専業主婦なのにイン時間長いし』
『育児放棄じゃないの』
誰もが思っていて、指摘しなかった。メイちゃんとダンジョンに行ったり、ボスに行っている間、彼女の子供は放置されていたのは明らかで、彼女とゲーム内で遊んでいる人たちは、だんだんと彼女を疎むようになった。
だって、日頃の憂さを忘れて楽しく遊びたいゲームなのに、メイちゃんは現実の影をずるずると背後に引きずったまんまで「遊ぼう」と言うのだ。
遊ぼ、楽しく遊ぼ。
現実なんてどうだっていいから遊ぼうよ。
あそぼ。あそぼ。あそぼ。
みんなは共犯者になりたくなかった。
みんな。少なくとも僕は、幼児を放置してゲームに耽溺する女の人の狂気に加担したくなかった。僕が遊んであげると、構ってあげると、メイちゃんはいつまでだってゲーム世界にとどまろうとする。恐怖だ。だってボイスチャットで聞こえてくるのだ。
──おかあさん、おなかすいた、おかあさん、さみしいよう、おかあさん、おかあさん。
そして泣き声。
メイちゃんとパーティーを組んだり、おしゃべりをする人は徐々に減っていった。いかにも薄っぺらくてモテとかやれるか、ということばかり考えているタイプの男女しか彼女の周りには残らなくて、僕はそういった人たちが苦手だった。
だからメイちゃんと距離をおいた。メイちゃんが気づいていたかはわからない。
メイちゃんがどうなるかなんて、僕はどうでもよかった。だってメイちゃんは成人で、旦那さんがいて、子供がいるひとだ。守るべき相手がいるひとだ。自分の足でしっかり立っていて然るべきだ、と僕は判断した。
それが間違いだって、わかったのはしばらくの後のことだった。
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