2:瀬名アラタは関さんとは寝たいが、社長は対象外

 僕が職場から帰宅するのはだいたい21時過ぎてからだ。家から職場までは自転車で15分。雨天時にはバスを使う。快適な通勤環境だと思われるかもしれないが、単純に通勤に時間と体力と精神力を消耗したくないから。

 今日のところはNo残業デーということで、僕は定時から1時間ほど過ぎたところでデスクの上を片付けた。その気配を感じ取ったのか、社長が声をかけてくる。

「瀬名くんあがるの? よかったら晩御飯でもどう?」

「息子さん今いらしてるんですよね、親子でゆっくり水入らずで過ごした方がいいですよ」

 僕の返事はとても正しいと思う。それでも社長は眉根をよせて、わずかに不快をしめした。珍しいな、僕がどんなに塩対応でも、へこたれない様子なのに。


「ちょっとね……ゲームでいやなことがあって、話聞いてほしいなって」

「ゲームって仕事の方のゲームじゃないですよね」

 社長は最近MMOにハマっていて、新しくMMO用のTwitterアカウント(そういうすみわけがSNSでは求められるらしい)を作って楽しくやっているらしい。同じ契約社員の三浦くんや、プログラマの土田さんもそのMMOで遊んでいるそうだが、三浦くんはTwitterは鍵付きのアカウントにしているという。そうだね、この仕事をしていて、ゲームの業界仲間でつるんでいるとはいえ、SNSの世界は広いようで狭い。特に土田さんはOPENアカでよく人をスカウトしたりしているので、逆に警戒心が強い。


 僕らは生業としてゲームを作っているし、プライベートでもゲームで遊ぶ。それくらいゲームが好きだ。なので、この社長がゲーム業界にいるのはすこし不思議だったりする。あまりゲームが好きそうじゃないからね、このひと。

 たぶん人脈とか、元旦那さんの伝手なんかでうまくやっているのだろう。有名なクリエイターと仲がいいとか、(聞いてもいないのに)よく言っているし。

「うん……最近エンドコンテンツに身内で行くようになったんだけど、なんか固定で揉めはじめちゃって」

 べつに僕は彼女の話を聞くだなんて返事をしていない。なのにこうやって語り始める。僕は彼女のこの「聞いてほしい」「構ってほしい」が苦手だ。だって仕事相手で、社長で、上司でしょう? それ以外のことで関わりたくはないのだ。空気を読んでほしい。


「なんだっけ、ゲームの中のフレの、ルーナちゃんに聞いてもらったほうがいいんじゃないですか」

 僕はそのルーナちゃんの中身を知っているけど、あえてそう言った。ネトゲの中のめんどくさいことを現実に持ち込まれるのが大嫌いなルーナちゃん。でもネトゲの中の社長を観察してはため息をつくんだ。

『わかんねぇよ、ああいうの』

 ルーナちゃんはつまり三浦くんだ。三浦くんとか土田さんにとって社長は異世界生物みたいな存在で、だからついつい関わりを持ってしまったらしい。ドリアンがすごく独特な臭いを放つ果実と知っていて、鼻を近づけてしまうような心境なんだろうか。

「ルーナちゃん最近いつもBusy(取り込み中)にしてて、直接tellできないんだよね。ギルドトークでも挨拶しかしないし」

 それはたぶん社長がうっとうしいからなんだろうな。でも僕は言う。

「いろいろ忙しいのかもですね」

「うん、女の子だしね」

 いやルーナちゃん、男だけどな。僕は平然としたふりをするのにかなり努力を要した。どれだけ三浦くんはかんぺきにネカマ(故意にそうしているわけではなくて、単純にドワーフの女の子の見た目が好きなだけ、だとは思う)を演じているのか。


「僕はちょっと今日、約束があるので、お先に失礼しますね」

「あ、瀬名くん」

「はい?」

 きりがなさそうなので、むりやり話を打ち切ったら呼び止められた。めんどうくさいな。

「瀬名くんもやろうよ、おなじゲーム」

「あー……、そうですね」


 僕は曖昧ににごして、ようやく社長から解放された。急いで自転車置き場まで小走りで向かい、もどかしい気持ちで二重鍵をはずした。

 自転車をこいで向かうのは、実は自宅ではない。20分かけて、別の場所に向かった。


「遅かったね、アラタくん」

 僕を出迎えてくれた関さんは、もう食事も入浴もすませたんだろう。こざっぱりした様子で白いTシャツとハーフパンツの恰好になっていた。ダイニングテーブルの上には炭酸水。最近ビールは断っているから。

「帰りがけに社長に捕まっちゃって」

「適当にいなせばいいのに。あいつの話面白くないでしょ」

「そうでもないですよ。関さんの愚痴か息子さんの愚痴ばかりで」

「全く面白くないじゃないか。先に風呂入る?」

「お腹すいた」

 すすめられるまま、ダイニングの椅子に腰かけた。目の前にささっとスティックサラダとカマンベールチーズ、缶ビールが置かれる。


「関さんが飲まないなら、俺も飲まないよ」

「じゃあ、ふたりで半分こにしよう」

 関さんは綺麗に洗ったグラスふたつを手にして、僕の正面に座った。

「関さんの、そういうとこ、好き」

 僕が言うと、関さんは薄く髭のはえた端正な顔をかすかに曇らせた。すてきなひとだなぁと僕は思う。出会った時から思っている。顔だちも声も、体の感じも僕の好みで、僕は彼がとても好きだ。

「僕も瀬名くんの、よくわからないところが好きだね」

「そう? わかりやすくない?」


 関さんは丁寧に半分量ずつビールを注いだグラスで乾杯し、ぐいっと一口飲んでから笑った。

「わかんないね。あいつのお古と遊んで楽しい?」

「そういう言い方、なんだか僕がふしだらみたいでいいなぁ」

 僕もビールを飲む。泡が口の中で苦くて、すこし痛い。

「社長とは寝たいとは思わないけど、関さんとは寝たい。それだけでしょ」

「はは」

 笑いをこぼして、関さんはテーブルの上にのりあげてきた。僕は顔をあげて目をつぶる。


 僕は、勤務先の社長は好きじゃない。

 でも、今キスをしている、この、社長の元夫は好きだなあ。

 しみじみと、そう感じながら、くちづけをむさぼるんだ。ふたりとも同じビールの苦みを含んだ唇同士で。

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