潮風に誘われ、泡となりつつ真夏の唄─かぐら骨董店の祓い屋は弓を引く─
野林緑里
潮風に誘われ、泡となりつつ真夏の唄
第1話 福岡夏フェス
それはある夏休みの出来事だった。
ミーハーな姉に連れられて福岡で行われていた「夏フェス」に参加したのは……。
「夏フェス」……「夏の九州音楽フェスティバル」
それは九州在住のアーティストたち福岡に集い、音楽を披露しあうイベントのことだ。参加者にはプロからアマまで様々な人たちがいる。
そのイベントの規模は音楽に関するイベントの中で、九州最大なものだった。
伊恩がそのイベントに参加することになったのは、姉の誘われたからだ。
姉につれられるままに博多駅を降りて、イベントの行われる会場行のバスになる。その中には同じ目的らしき人たちの姿が多くあり、そのほとんどが若者たちだった。
「うち、こいが楽しみだったとばい」
「あんたはどのバンドがよか?」
「うちはブルーリアルかなあ」
「うちもそう思っとッた」
バスの中で、姉とその友達がそんな話をしていたのだが、そのころの伊恩には音楽としいうものにはあまり興味がなかった。それよりも早く家でテレビゲームがしたい。夏休み中に最近買ったゲームをクリアするつもりだったのに、姉のかなり強引な誘いで夏フェスに参加することになった。
「ブルーリアルのメンバーって、鎮西徐福高校の子たちらしかよ」
「え? そげん?」
「そうそう。二つ上の先輩たい」
鎮西徐福高校というのは、姉が通っている高校のことで、伊恩たちの暮らす街からローカル電車に乗って三駅ほど進んだところにある。ほぼ隣町の高校だ。
姉よりも二つ年上ということは、高校三年生ということになる。
そんな会話を聞き流しながら、伊恩は博多の街を眺めていた。
「ドーム前、ドーム前到着です」
博多弁訛りのバス運転手の声とともに、バスが停車駅に留まる。
それからぞろぞろと会場へと向かう乗客がおりていった。それに習って伊恩たちも降りていく。
会場には多くの人で混雑している。年齢層もバラバラだが、たいていは若者の姿が目立つ。伊恩とさほど年の変わらない小学生の姿もあった。
「すげえ」
人の多さに伊恩が思わず声を上げる。
「本当にすごい人出たい。やっぱい、夏フェスってよかねえ」
その横で高校生の姉がえらく感動している。
「姉ちゃんは去年もきたっちゃろうもん」
「もちろんたい。うちの生きがいやっけんね」
姉の眼は異様なほどに輝ている。
本当にこの夏フェスが大好きだということが丸わかりだ。
そういうわけで、伊恩は姉に連れられるままに会場へは入っていく。指定席はない。ただ来たもの順にたってアーティストたちの登場を待つだけだ。
「見えん。まったく見えんじゃなかかあああ」
伊恩たちがまっていると突然少年の怒鳴り声が聞こえてきた。
「しょうがなかたい。ここは、指定席じゃなかけん」
男の声がする。
伊恩が振り返ると、そこには伊恩と同じ年頃の少年とその父親らしき姿があった。
父親はそれなりに長身だ。それに比べると、少年は小柄だった。肌の色も白いために一見するとひ弱な感じにも見えるのだが、その威勢のよい声はそれとはまったく異なることがわかる。
「じゃあ。お父さんが肩車でもしてやるか?」
「おいを子供扱いするな。おいはもう小学五年やぞ」
どうやら、少年は伊恩と同じ年らしい。
けれど、その言動はまさしく子供そのものだった。
とにかく大人になりたいと願う子供そのものだ。
「なんば、見よるとや。こら」
少年は伊恩の視線に気づいてこちらへ向かって怒鳴り声をあげた。
「ごめん。ごめん。見えないなら前に行けばいいじゃん」
「ああ?」
少年は顔を歪める。
「確かにそうだな。お前ならいけるやろう? なんせ、ちびだから」
父親がそういうと、少年はその足を思いっきり踏みつけた。
「ちびっていうな。くそ親父」
そういうと人と人の間をすり抜けながら、前へと進んでいった。
「伊恩、あんたもいかんね」
「は?」
「せっかくやっけん。伊恩にも楽しんでほしかもん。ねえ。いかんね」
そういって、姉がウィンクをする。
何のつもりなのか伊恩には全く理解できなかった。
「わかった。いくよ」
伊恩は、少年の後を追うように、ステージの前方のほうへと向かう。
二人の小柄な少年の行動に周囲はあまり気にしていないようだ。ただ彼らの意識は前方に登場するだろうアーティストたちに注がれていた。
やがて、伊恩たちは最前列にたどりついた。
その瞬間にステージの幕が上がった。
突然、流れる音。
奏でる演奏。
そして、
ボーカルが歌う。
その光景を目の当たりにした伊恩は思わずくぎ付けになった。
面白い。
こんなに楽しいものがあるのかと感動した。
「早くこい」
その隣で少年がつぶやく。
伊恩が少年のほうを見ると、なにかを待ちわびている様子がうかがえた。
どうやら、少年には、目的があるらしい。その目的のもの以外にはまったく興味を示していなかった。
「早くこい」
「続いてはブルーリアルです」
そうアナウンスがかかつた瞬間に、少年が「きたーーーー」と大声を張り上げた。
それに伊恩が驚いたのはいうまでもない。
やがて、ステージには「ブルーリアル」というバンドが登場する。
そのバンドは五人組で、みんなが高校生といった感じだった。
その演奏が始まった瞬間に少年のテンションも上がる。
「兄貴いいいいい」
少年がそう叫ぶと、ギターを弾いていた人物が少年のほうを見て、ニヤリと親しみのこもった笑顔を浮かべた。
その笑顔に少年が無邪気に笑う。
「君のお兄さん」
「ああ。おいの兄貴だ。ブルーリアルのギター担当なんだよ。すげえだろう」
そういって少年が笑った。
それから、夏フェスは絶頂の盛り上がりの中で終了した。
終わると同時に観客がはけていく。
「伊恩。よかったやろう?」
「うん。おもしろかったばい。来年もきたかー」
「あれ? あの子は?」
姉が尋ねる。
「知らん。もう帰ったとじゃなかか?」
伊恩は少年が歓声を上げながら、ステージを見ていた場所を振り返りながら言った。
もう少年の姿はない。
おそらく父親とともに帰ったのだろう。
「うちらも帰ろうか」
「うん」
伊恩もまた姉に連れられて帰ることにした。
伊恩がその少年と再会したのは数年後。
伊恩が鎮西徐福高校へと入学した日のことだった。
クラスメイトとしてその少年がいたのだった。
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