第66話 殺された父親
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衝撃の事実に、俺は戸惑いを隠せなかった。その瞬間だけ時が止まったかのように。彼女の口元と手は震えている、それは寒さから来る震えじゃない。真実を話している緊張と、改めて心にくる喪失から来ているものだ。
衝撃的な言葉に俺は彼女の顔を見ようと振り返ってしまったが、すぐに首を押さえつけられた。
「頼むから動かないでよ……頼むから」
眼鏡をかけた彼女の目は涙でいっぱいになっていた。それでも彼女はこらえている。どういうことなんだ、瀧口さんの父親は殺されたって。初耳だし、彼女自身そんな雰囲気を醸し出したこともなかった。彼女は涙ぐみながらも、話し続ける。
「お父さんは普通の会社員で、いつも幸せそうに過ごしていたの。ある日、帰りが遅くて、心配してたら、家に電話がかかってきて。お母さんが代わりに取ったんだけどね。会社で殺人事件が起きて、貴方のご主人は亡くなりましたって。お母さん、何も言わずにずっと泣いてて。私、その時小学生だったから何も分からずにずっと泣いてた」
彼女の手は震え、持っていた銃が手から滑り落ちると、彼女は我に返り俺から距離を取った。銃を奪われて殺されると思ったのか。それでも俺は銃を拾わずに、彼女が話し出すのを待ち続けた。夜の冷たい空気は、涙を流す彼女の頬を冷たく撫でる。
彼女は一息ついてから、銃を腰にしまった。代わりに手錠を取り出した。涙はもう止まっている。
「犯人は会社に勤めていた、ごく普通の会社員。恋人に振られた腹いせで、事務室で恋人を刺殺。目撃者が居たのか、その人も絞殺。それで済む話なのに、犯人の男は社内に取り残された全員を刺したらしい。会議室に押し入り、取引先の社長をナイフで何度も刺し殺した。悲鳴が聞こえパニックになっても冷静に、扉を破壊し密室を作り上げ、脱出不可能にした」
ああ、あの事件だ。俺も知っている、史上最低な事件として今でも警察間で語り継がれているからな。オフィスの扉をコピー機で塞ぎ、中に閉じ込められた人間を殺して、何十人もの会社員が犠牲になった事件。白昼堂々と起こった事件で、犯人は捕まる覚悟で殺し回っていたのか、というくらいには残酷であった。窓ガラスに血が飛び散っている写真も有名だ。
「犯人は、
これも知っている。あまりにも残忍な答えに、何も関係ない俺でも吐き気を催したくらいだから。今でもネットニュースで度々取り上げられる、世間を賑わせた極悪犯罪者の名言なんていう、狂ったタイトルで。
「もちろん分かるよね……『次からは気をつけます』って。あんなに殺して、罪の意識も理解していないどころか、また外に出て殺しを繰り返そうとしていた。死刑宣告されても、自身の罪を悔やむことなく、それどころか遺族に対して『残念でしたね』って。ふざけてんじゃねぇよ、って何度も叫んだよ、誰もいない公園で」
"アンドローテ日本支社殺傷事件"、これが事件の正式名称。タイを中心に発展した製薬会社の日本支社で起きた事件だからそう名付けられた。本社の人間や取引先の社長を巻き込んだため、社会的にも経済的にも大きな被害を受け、最終的に日本支社は潰れた。
「だから私は正義の味方として、警察官を目指した。ヒーローに憧れてた、あの歳でカッコ悪いよね。最初は窃盗事件を取り扱っていたけど、いつしか殺人事件も取り扱うようになった。あの男みたいな凶悪な殺人犯を倒す、それだけのために戦い続けた。なのに、あの男は死刑執行される前に死んだ」
そこからは俺も知らない話だ。死刑執行される前に死んだとなると、自傷行為か。でも極悪人は厳重な警備隊に囲まれた生活を送ることになる。カッターはもちろん、鉛筆やボールペンすら取り上げられる。脱獄漫画によくある尻の穴に道具を隠す行為もできない、ありとあらゆる穴を細かく見られるから。となると、どうやって。
「薬物使用者が脱獄したの。生きたまま捕らえられた薬物使用者が、部下を連れて脱走。炎を無から発生させる能力を持つ人が施設に火を放ち、あの男は焼かれて死んだ。爆発能力を持つ人もいたようで、遺体は残らずに影だけくっきりと残った。影の写真を見たけど、何も分からなかった。脱走した可能性は無いらしいけど、あの男が後悔することなくあの世に旅立ったのが……悔しい」
彼女は拳を握りしめたまま話している。力が強すぎて、手錠はどんどん手にくい込んでいく。それでも彼女の心は痛みよりも、犯人に対する怒りに満たされていた。例え復讐したくても、犯人は殺されてこの世からいなくなった。だから彼女は行き場のない怒りを、どこにもぶつけられずにただ自分の心にしまっておくことしかできなかった。
「その後、薬物使用者が急激に増加してから、私はJDPA_Dに加入した。今でも捜査官として、薬物使用者と戦っている。これが私の道のり、全て話したのは貴方だけ。同僚にも昔いた彼氏にも、何も話していない。ずっとはぐらかしてきた。そのせいで裏切られたりもした、でも言いたくなかった。その気持ち、分かる?」
彼女と全く同じ経験をした訳じゃないから、その気持ちは分からない。でも似たようなことは経験してきた、みんなの話に合わせるために嘘をついたり、はぐらかしたり。今はそんなことない、でも高校生の時とかは、少しでも変な方向に目立つと虐められる。だから嘘をついて誤魔化すしかなかった。
似たような気持ちが分かる俺から、直接瀧口さんに聞いてみたいことがある。俺はその場を動かずに、彼女にひとつだけ尋ねてみた。
「……俺とショウが警視総監を暗殺したって、信じますか?」
すると彼女は少し黙った後、俺の前に来て、目線を膝をついた俺に合わせてから返事をした。
「信じてないよ。でも、このまま逃げ続けると、いつか犯罪者になる。私だって殺したくない、でもこのままだと……いつか殺されるよ」
殺されて欲しくない、だから自分の手で捕まえたいのか。よく分かる、人が死ぬのって悲しいし辛いから。心がえぐられるようで、ぽっかりと穴が空く。その穴を埋めてくれる人や要素が存在すればまだいいが、存在しない時の方が多い。でも、俺は捕まる訳にはいかない。
なら、俺も言うべきことを言おう。瀧口さんには言ってこなかったことを。彼女も父親に関する話を初めて口にしてくれた。だからこそ、オレも話す。会話の交換だ、感じる重みは違っても、彼女に伝えなきゃいけない。
「俺、どうやら……政府主導の極秘実験で能力を手に入れたみたいです」
彼女は驚くも、会話を遮ることなく黙って待っていた。俺は続けて話す。
「政府が裏で行った実験で能力を手に入れたらしくて、記憶は消されたのか覚えてないんです。真犯人は佐野克己、奴もまた薬物使用者で、他人に濡れ衣を着せながら地位を確立させています。SoulTのメンバーにも佐野に濡れ衣を着せられ、追い込まれた男がいます」
俺は焦りに焦り、早口で彼女に向かって話した。これが事実、それ以外の何物でもない。彼女はあまりの情報量に耐えきれずに震えていた。寒く流れる風は、彼女の火照った顔を冷やしていく。
「……どういうこと、全部、仕組まれてたってこと……何で……」
彼女は独り言のようにブツブツと呟いている。彼女は警察官として警視総監の命令に従って行動しなきゃならない。なのに、佐野克己が真犯人だと告げられた。目の前にいる俺が嘘をついているのか、はたまた佐野克己が本当に犯人なのか。彼女は深く困惑している。
しかし、彼女は立ち上がった。真剣な眼差しで、真剣な言葉で訴えかけてくる。
「何で言わなかったの? 私が言える立場じゃないけどさ、今の話じゃん! 私は過去の父親の話で、星田くんは今の自分の話じゃん! 言ったらさ……力にはなれないけど、力になれないって分かりきってるけど、それでも……話したかったよ」
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