29. Missing link 〜先見視〜 #2(ロイ)

「だから、開けろって言ってんだろ!」

 叫んだが、門は固く閉じられ、開かれる気配もない。


 故郷での惨事から、およそ二月ふたつき。何とか北の果てと呼ばれるイェネスハイムにたどり着いたが、古老に教えられた街の最奥にある城へやってきた彼を待ち受けていたのは、いっそ潔いほどの無関心だった。

 ぐるりと城の周りを一周しながら、何か手掛かりになるものはないかと見て回っていると、ちょうどよく大樹の枝が伸びている先の窓が開いているのを見つけた。するすると登り、その窓をのぞき込む。大きく張り出した窓は、やや距離があるが、跳べば余裕で届きそうだ。問題はその向こうに何があるか、わからないことだったが。

「まあ、考えても仕方ねえな」

 独りごちて、勢いよく枝を蹴った。そのまま窓の向こうに跳び込む。固い床の衝撃を覚悟していたのだが、思いの外柔らかく、そして暖かい何かに受け止められた。

「……え?」

「やあ、いらっしゃい」


 突然の事態に、一瞬何が起きたのか理解できなかった。


 目を上げた先には、先ほど見た大輪の薔薇と同じ色の一対がある。そのあまりに印象的な色が、人の瞳の色だと気づくまでにしばらくかかった。そして、ついでに自分がその人物に横抱きに抱き留められていることにも。


「初めまして、少年。うちに何か用かな?」


 この壮麗な城を「うち」と称するその神経に思わず心の中で突っ込みを入れたが、突然見知らぬ子供が窓から飛び込んできたというのに、まったく動じる風もなく微笑む相手のその顔は、恐ろしいほど整っている。

 美しく弧を描く眉に、通った鼻梁、薄い唇はやや薄い紅色で、その薔薇色の瞳は何よりも目を惹きつけられる。その顔を縁どる髪は白金かと見紛う、まっすぐな淡い金髪だった。こんな状況だというのに、あまりにその美しい顔に思わず見惚れてしまう。


 声も出ない彼に、彼を抱き留めている相手は、面白そうに首を傾げる。

「この顔が気に入ったかい? 顔だけはいいとよく言われるんだ」

「顔だけ……?」

「口を開くと台無しなんだそうだ」

 くすくすと楽しげに笑いながら言うその顔は、それでも十分に魅力的だった。その白い首は細く、肩のあたりも細いが、彼を抱く腕は思いの外、力強い。

「あんた……女か?」

 そう尋ねた彼に、相手はもう一度、面白そうに笑う。

「面白い子だね。私のような精霊にそんなことを聞いてもあまり意味はないよ。だがまあ、あえて答えるなら、今のところはまだ決めかねている、というところかな」

 どういうことかと首を傾げた彼に、相手はさらに悪戯っぽく笑う。

「何なら、試してみるかい?」

 どうしてだか妖しく輝いたその瞳に、その意図を悟って反射的に首を横に振ってその腕から抜け出す。この上なく美しい相手だが、そういう・・・・興味を持つことは、何だか危険な気がした。そうして、往々にして彼の勘は外れないのだ。

「……遠慮しとく」

「気が変わったら、いつでもどうぞ」

 本気なのか冗談なのか、その表情からは判別がつかない。だが、そんなことを話している場合ではないとようやく思い出した。


「あんたがこの城の主か?」

「一応、そういうことになるだろうね。私はアストリッドという。君は?」

「俺はロイ、ダレンアールの村から来た」

「おや、大地の一族の。久しぶりに聞いたねえ。ヨルンは元気かい?」

「今のところまだ元気。だいぶ皺くちゃだけど」

「そりゃそうだろうね。大地の一族の中でも最古老だろう? 君くらいの頃から知っているが、随分長生きしたものだね」

「あんた一体何歳……?」

「さあ? ヨルンよりは上なのは確かだよ」

 どう見ても、彼よりやや年上くらいにしか見えないが、精霊の中にはほぼ寿命がないような者もいると聞いていた。数百年から、下手をすれば千年以上生きている者もいるという。だが、それだけの長い間、意識を連続して保っていられるのは、よほどに力のある精霊か竜くらいなものだ、と。

「……飽きないのか?」


 彼の一族も寿命は長い方だが、おおよそ百年を過ぎると、その生に飽いて姿を消していく者が多い。ヨルンは破格に長生きだが、それは彼には村を導くという役割があるからだと言っていた。


 尋ねた彼に、だがアストリッドは事もなげに笑う。

「暇な時はだいたい寝ているからね」

 何とも怠惰な返答に思わず呆れた。

「……まさか、今も寝てたとか?」

「ご名答。どれくらい眠っていたのかな。わからないけど、まあ城は無事なようだし世界も相変わらずかい?」

 のんきな問いに、だがそれこそが彼がこの城を訪れた理由だったと我に返った。

「そのことで、あんたに話がある」

 少し緊張した面持ちで、背筋を伸ばしてそう言った彼に、アストリッドも表情を改めた。それから少し首を傾げて何かを考え込むと、彼を窓際のテーブルへと誘った。棚から葡萄酒の瓶を取り出し、グラスを二つ並べる。

「まあ、長い話になりそうだから、とりあえず座ろうか?」

 にこり、と笑った顔はそればかりはやはり魅力的で、彼は逆らえるはずもなかった。



 それから彼は、彼の故郷でつい最近起こった惨劇と、彼が視ている夢についてつぶさに語った。相手は、グラスを傾けながら静かにこちらを見つめて話に聞き入っているように見える。彼の話が進むにつれ、どこか悩ましげに眉をしかめる様は、そんな場合ではないとわかっていても、目を奪われるほどに美しかった。

「——というわけだ」

「なるほどね」

 このままでは世界が滅ぶかもしれない、と告げた彼に、アストリッドは軽く首を傾げて何かを考え込む様子だった。それからこちらをまっすぐに見つめる。

「それで、君は何を望むんだい?」

「この世界で起きている全ての戦の終結」

 きっぱりと言い切った彼に、アストリッドが目を丸くし、それから面白そうに微笑んだ。

「随分大きく出たねえ」

「他に手段があるなら構わない。でも俺は、何としてもこの俺が見ている夢が現実になるのを止めたいんだ」


 ——もう、あんな思いをするのは二度とごめんだ。


 思い詰めたような顔でそう言った彼に、アストリッドは奇妙に暖かい眼差しを向けてくる。

「若いっていいねえ」

「馬鹿にしてんのか?」

「まさか。希望に満ちた若者に感動しているんだよ」

「……絶対馬鹿にしてるだろ?」

「どうしていつも私の想いは伝わらないんだろうねえ」

 やれやれとため息をついたが、それでもこちらをまっすぐに見つめ、ふわりと微笑む。

「君の話はわかった。とりあえず、精霊の長たちに話を聞いてもらおう」

「長たち? そんなことができるのか?」

「なにしろこの世界だって広いからね。一人で全てを治めるのは不可能だ。だから森だの風だのそれぞれの精霊の住処すみかごとに長がいる。で、一応、これでも私はこの世界すべての精霊の長、ということになっているらしくてね。だけどまあ、あんまり期待しないでおいてくれると助かるかな」

「何で?」

「信用がないから」

「……何で?」

「大昔、ヘマをやってねえ」

「ヘマ?」

「ちょっと腹立ちまぎれに、大勢殺してしまったんだよね」

 まるで、料理に失敗した、とでもいうような軽い口調で言われたその言葉が、意味を伴うまでしばらくかかった。それから、深くその意味を咀嚼する前に、言葉が口をついて出ていた。

「大勢……ってどれくらい?」

「千人くらいかな」

「精霊を?」

「精霊も、人間も、それ以外も」

 語られる言葉の不穏さに反して、目の前の薔薇色の瞳は、変わらず凪いで穏やかだ。それでも、その口が真実を語っているのだと、どうしてだか信じざるを得なかった。

「まあ、なので、いろいろ大変かとは思うけれど、何とかしてみよう」



 アストリッドが語った通り、精霊の長たちの召集はあっけないほど簡単だった。城の広間に一瞬で集められた長たちは、だが、アストリッドの話を聞いても、毛ほども心を動かされた様子がなかった。

「その小僧の先見視さきみまことになるとどうして信じられる?」

「いずれにしても、襲ってくるのは人間たちの方。我らが手を緩めれば、攻め寄せられ滅びるだけ」

「それほど未来を憂えるのならば、あなたが人間どもを滅ぼしてくれればよい」

 しまいには無茶苦茶なことを言い出す長たちに、だが、アストリッドは言い返そうとはしなかった。ただ、先ほど彼と相対していたときの朗らかさが嘘のように、静かで、冷ややかな眼差しを向けている。

「彼の先見視は本物だよ。大地の一族の村に開いた大穴は、私も確認した」

「たった一度を言い当てたとて、世界の滅びが見えるとでも?」

 嫌味な顔でそう言った長の一人に、アストリッドはただ静かに答える。

「このままではそうなると言っている。人間たちの銃火器ぶきだけではない、あなた方が無計画に、そして無闇に自然の力を濫用することで、確実に世界の均衡バランスは乱れている。目覚めたばかりの私でさえ、それが感じ取れるというのに、ずっと目覚めていたあなた方にそれがわからないとでも?」

 だとすれば無能にもほどがある、と言外の言葉を誰もが感じ取っただろう。怒りと羞恥で皆が顔を歪めたが、それでもアストリッドの和平の提案を受け容れようとするものはいなかった。


 結局、その会合は何の合意も得られぬまま、散会してしまった。

「どうしたものかねえ」

 決定的に打つ手もなく手間取っているうちに、世界は確実に破壊されていく。アストリッドに連れられて、彼は既にいくつもの夢が現実となっていることを確認していた。今、この目の前でも。


 燃え尽きた村と、積み上がる死体の山。その中には、幼い子供のものも少なくない。初めてそんな光景を目にした時、彼は泣きながらひたすらに吐いた。だが、今はもう涙さえも出ない。


「……アストリッド、俺に何ができる?」

「いっそ、焼き尽くしてみようか」

 珍しく不穏な声で、アストリッドがそう言った時、ゆらりと人影がこちらに向かってくるのが見えた。大きな銃を構え、こちらに向けているその体はもう満身創痍で、もはやその命は長くないのが見てとれた。

「やめておきなさい。君はもう助からない」

「なら、道連れは、多い方がいいだろう?」

 狂気に満ちたその眼差しはまっすぐに彼を捉えていた。背筋が震え、足が竦んで動けない。男が引き金に指をかけ、彼が死を覚悟したその瞬間、だがその相手の体が燃え上がった。

 声を上げる間も無く、男の体は焼け焦げ、灰になった。

「あれ、ちょっとやりすぎたねえ」

 目を向けると、苦笑する顔が目に入った。だが、同時に肉を焼く不快な臭いがすぐ近くからすることに気づく。

「あんた……その腕……」

 アストリッドの右腕は、長時間高温の炎であぶられたように、焼け焦げただれていた。

「術に失敗したのか⁈」

「いいや——ああ、まあそうだね。そういう見方もできるかもしれない」

 ほんのわずか、顔をしかめながらそう言う顔に浮かぶのは苦い笑みだった。


 ひとまずはその腕にありったけの水筒の水を振りかける。すると、アストリッドは少し驚いたように、それでも、ああそうか水がいるね、と他人事のように言うと、空を見上げた。一瞬の後、空が曇り、雨がぽつりぽつりと降り始める。

「……これもあんたの力……?」

「実は、水を操るのが一番得意なんだ」

 得意げに言うその顔に、どうにも苛立ちを感じて近くの木の根元までひっぱってくると、その場に座らせる。

 焼け焦げた腕はあまりに無残だったが、本人はあまり意に介していないように見えた。

「何なんだよ、一体⁈」

 声を荒らげた彼に、アストリッドが驚いたように目を丸くする。

「何で君が怒っているんだい?」

「あんたが意味わかんない事ばっかりするからだろう。説明しろ!」

 ひどく焼け爛れた腕を水で洗い流した後、故郷の村から持ってきた塗り薬をありったけ塗りたくり、包帯を巻きながらそう言った彼に、アストリッドは困ったように笑う。どうしてだか、その表情に彼の心臓がおかしな鼓動を打った。

「言っただろう、以前ヘマをしたと。その時に、私は消滅させらころされても仕方なかったんだけど、たまたま生き残った一人が反対してね。これは仕方のないことだから、許してやって欲しい、と」

「……何があったんだ?」

「精霊の長を決める会議があってね。私はそんなものにはなりたくなかったのだけれど、頑固な年寄りどもが押しつけようとしてきてねえ。ところが、ある一人の精霊はそれが許せなくて、当時私が連れていた小さな妖精を殺したんだ。手のひらの中で握り潰して」

 どこか感情を置き忘れたような空虚な笑みで、握り潰す、というその言葉が比喩でなく、実際に行われたことなのだと、彼は悟ってしまった。

「それで、生まれて初めて私は怒りという感情を知った。けれどそのせいで、街一つを吹き飛ばしてしまってね。その辺りにいたものはすべて死に絶えた。けれど、立会人だった人が私を庇うものだから、無罪放免になってしまいそうになってね」


 でも、自分が許せなくてねえ、と切ない笑みを浮かべながら、精霊は続ける。


「私は強硬に反対したんだけど、あの人が、どうしても譲ってくれなくて。そのまま生き延びるのが嫌なら気が済むまで寝てればいいからって言うんだよ。意味がわからないだろう?」

 だから、呪いをかけてもらったんだ、と、幸せそうに左腕の内側の手首を見せながら言う。そこには、竜の鱗のような形の文様が刻まれていた。

「妥協点として、あの人に呪いをかけてもらった。もし、私が誰かを傷つけようとしたら、同じだけの術が返るように」

「そんな……!」

 相手を灰にするだけの術が本人に返れば、術者本人も間違いなく死ぬ。それをわかっていて、この精霊はあの術を放ったというのだろうか。

「でも、どうやら随分手心が加えられているようだね」

「あんた、死ぬつもりだったのか⁈」

 思わずその襟首を掴んでいた。まだ何も成し遂げていないのに、彼を庇って、自分だけ先に逝こうとしたのか。

「いやあ、そんなつもりじゃなかったんだけど、君が死んでしまうかと思ったら、とっさについ……」

 空虚だったはずの薔薇色の瞳に、ほんのわずか、不可思議な光が浮かぶ。その意味はわからなかったが、どうしてかまともに受け止めきれなくなって、彼は視線を逸らしながら小さく呟いた。

「……あんた馬鹿だろ?」

「どうしてかな? よく言われる」


 気がつけば、後頭部に手がかかり、その薔薇色の一対が間近に迫って唇が重ねられていた。驚いて目を丸くした彼に、だが、アストリッドはふわりと笑う。


「君のまっすぐな想いは実にいい。私も、君が愛するように、この世界を愛せたらいいのに」

「意味わかんねえ」

「ふふん、実はそれもよく言われるんだ」

 妙に胸を張ってそう言う姿に、彼はため息を吐くより他なかった。



 それから、アストリッドと彼が世界の破滅を止めるためにとったのは、とにかく彼の先見視さきみを各地の有力者たちに信じさせるというごく単純な策だった。


 彼は、アストリッドの紹介で魔女と呼ばれる女の元に弟子入りし、呪術と医術を共に学んだ。そうして、呪術と怪しげな薬で、強引なまでに自身の魔力ちからを引き出した。夢に視るだけでなく、望めば自在に白昼夢としていつでもその幻影が見られるほどに。

 呪術の影響なのか、薬の副作用なのか、青かった彼の瞳はいつしか紫がかった青紫に変わっていた。アストリッドは驚いたようだが、それもまた綺麗だね、と相変わらずのんきな感想を述べていた。


 そんな準備期間を経て、彼はアストリッドと共に各地を周り、可能な限り破壊と悲劇を防ぎながら、有力者たちのありとあらゆる秘密をその力で暴き、時には脅し、彼の力を見せつけることで、とにかくこの先に待っているのが破滅しかないことを全員に納得させていった。


 そうして、初めて彼がアストリッドに出会ってから四年後、精霊と人間の大戦は和平条約の締結をもって一応の終結を見たのだった。

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