Ch 5. Change the Destiny, Curse the World
27. 想いのかたち
闇の中に一人で立っていた。どこまで行ってもただ、淡く霞むような、仄暗い闇。
いっそ漆黒で、自分の手も見えないほどに暗ければ、諦めもつきそうな気がするのに、どこまで歩いていっても誰の姿も見えない。まるで、世界にたった一人で取り残されたように。
「嫌だ」
一人でいることなんて、当たり前のはずだったのに。鮮やかな金の瞳と、柔らかく笑む青紫の瞳が脳裏に浮かんで、その場に蹲る。
「——たすけて」
子供のように呟いて、ふと頬に何かが触れる感触で意識が覚醒する。目を開ければ、鮮やかな金の双眸がこちらを見つめていた。大きな手が頬を拭い、それでディルは自分がまた涙を流していたことを知る。
「……アルヴィード?」
呼びかけると、じっとこちらを見つめる。大きなその手に触れようと右手を動かそうとして、その瞬間、右肩に激痛が走った。息が詰まるほどの痛みに思わず目を閉じると、そっと温かな手が肩に触れた。痛みで涙の浮かぶ目を開けて見れば、少し眉根を寄せた難しい顔がそこにあった。
「三発、貫通していた。動くな」
いつかもそんなことがあったと思い出す。けれど、あの時は、もっと呆れてはいても、穏やかな表情をしていた気がするのに。向けられている眼差しは、今はひどく厳しく、それでいて何かに戸惑っているような感情が透けて見えた。
「アルヴィード、何か……怒ってる?」
ずっとただひたすらに待ち続けて、ようやく迎えにきてくれて。あの瞬間に湧き上がった想いを、なんと呼べばいいのか、まだはっきりとはわからなかったけれど、それでも甘く緩んだあの表情と、今のそれはひどく隔たって見えた。ずっと会いたくて、だからこそ、今の彼の様子に、胸が刺すように痛むことに気づいて、ディルはかろうじて力の入る左手の拳を握りしめた。
約束を守ってくれたのは、彼もまたディルを想ってくれていたからだと、そう思っていた。だが、もしかしたら違ったのかもしれない。ただ、あの時の責任を感じただけで。
「ごめんなさい……」
「違う」
俯いてそう呟いた瞬間、だが強い否定の言葉が聞こえた。目を上げれば、これ以上ないほどに険しい眼差しがディルを見下ろしていた。その眼差しの強さに、不意に涙が溢れた。自分でもどうしようもないほどに、ぽろぽろと流れ出した涙に、アルヴィードが、いつかのようにぎょっとして目を見開くのが滲んだ視界の向こうに見えた。
撃ち抜かれた痛みで、腕を上げることもままならず、ただ流れ出る涙を見られたくなくて、首だけを壁の方に向けたディルに、ややして深いため息が降ってきた。
そっと、痛みを感じさせないように、ゆっくりと背中に腕を回して抱き起こされた。力強い腕に抱きすくめられて、硬く厚いその胸に頬が押し当てられると、甘いような辛いようなあの匂いに包まれて、さらに涙が溢れ出る。いつかと同じように、子供のように涙を流すディルを抱きしめる腕は優しいけれど、それでも何かが違う。
「ディル」
呼ぶ声に目を上げれば、アルヴィードが眉根を寄せてこちらを見下ろしていた。それから頬に手を触れて涙を拭う。その優しい手つきは変わらないのに、それでもやはりその眼差しには何かを迷う色があった。
「何?」
「何であの時——俺を庇った?」
「なぜって……」
「俺は銃弾の一発や二発では死なない。だが、お前はそうじゃない。俺より遥かにか弱くて細い。なぜ俺を庇おうなんて思った?」
「それは……」
問われてしばし考える。ほとんど無意識に体が動いていたから、理由など考えたこともなかったのだ——けれど。
「——あなたがいない世界に、意味なんてない、って思ったから」
するりとこぼれ出た言葉に、アルヴィードが心底驚いたように目を大きく見開いた。その瞳になぜか剣呑な光が浮かぶ。きつくその目が眇められ、顎を掴んで引き寄せられた。
唐突に深く、何かを刻み込むように口づけられて、強く抱きしめられる。体が軋むような痛みに驚いて、なんとか逃れようとその胸を押したが、後頭部を掴まれて貪るように何度も繰り返し口づけられる。
そのまま押し倒されて、思ったより柔らかな黒髪が頬に触れた。首筋に小さな痛みが走る。大きな手が上衣の裾から入り込んできたのに気づいて、慌ててその頭を掴むと、金の双眸がまっすぐにディルを見下ろしてくる。そこには見たこともないような狂おしい光が浮かんでいた。
「アルヴィード、どうしたの……? 変だよ?」
「俺が、
「何を言って……」
「たとえ、お前が俺に向ける想いが偽りだとしても、わけのわからない運命なんてものに、お前を攫われてたまるか‼︎」
厳しい声と苛烈な眼差しにただ呆然としていると、上衣を引き剥がすように取り払われた。上半身に巻き付けられた包帯のせいで、肌の露出は少なかったけれど、剥き出しになった肩に触れた手がひどく熱く感じられ、近づいてきた金の双眸の強さに体が震えた。
「アルヴィード!? 何を言ってるのか、全然わからない……嫌だ!」
そう言ったディルに、ほんの少しアルヴィードの眼差しが怯んだように緩む。
「——それでも、俺はお前を失いたくない」
それだけは真実だと、苦しげに眉根を寄せてそう言って、もう一度ディルの首筋に顔を埋める。その時、あの匂いがしないことに不意に気づいた。そして、一瞬の後、のしかかっていたその体が消えて、がつん、と鈍い音が響いた。
何が起こったのかわからず、ただ呆然としたままのディルの耳に、低い、もう聞き慣れたもう一つの声が届いた。
「怪我人を襲うとか、最低だろ」
「邪魔をするな!」
「阿呆、こんなことで解決するわけねえだろう。頭を冷やせ、この
掴み掛かろうとするアルヴィードをあっさりとかわし、その鳩尾に拳を叩き込む。倒れはしなかったものの、膝をついたその大きな体を片腕で引きずり、部屋の外に蹴り出すと、扉を閉めて鍵をかけた。
しん、と静まり返った部屋で、やれやれ、と呆れたような深いため息が聞こえた。それから、ゆっくりと近づいてくる。しばらく迷うように寝台の脇に立っていたが、ややしてその端に腰かけた。見下ろしてくる青紫の瞳は穏やかで、気遣うような光を浮かべていた。その眼差しに、また涙がこぼれる。ロイはまた、しばらく迷うように視線を彷徨わせていたが、先ほどアルヴィードがそうしたように——それ以上に優しくディルを抱き寄せた。
子供のように涙を流す自分を情けないと思いながらも、包み込むようなその抱擁は、もう慣れた薬草の複雑な香りがして、何より安堵する。額を肩に押しつけると、びくりとその体が震えて、それから宥めるようにディルの頭を撫でた。
「大丈夫か?」
優しい声に、さらに涙が溢れて言葉にできずにただ子供のように首を振る。苦笑する気配が伝わって、それでもロイは静かにディルの解けて流れた銀の髪を、優しく労るように撫で続けた。
どちらかといえば他人に触れられることには慣れていなかったし、以前は不快さを感じることの方が多かった。なのに、今は暖かく大きな胸に抱かれてひどく安心する自分に首を傾げて、ディルはその顔を見上げる。
「どうした?」
穏やかに問いかけてくるその声に、こてんと頭を預けて、ぽつりと呟いた。
「……父親ってこんな感じなのかな」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声に弾かれたように身を離そうとして、激痛でまたその胸に倒れ込む。ロイもばつが悪そうな顔をしながら、労るように背中を撫でてから、そっとディルを離して横たえさせた。右手で額を押さえて何やら難しい顔をしているその様子に、何かまずいことを言っただろうかとじっとその横顔を見つめていると、ロイは苦笑してディルの頭を撫でた。
「まあ、あんたからすりゃ、そう見えても仕方ねえか」
よくもまあ、そんなんであんな誘惑をしてくれたもんだ、と低く呟く声が聞こえたけれど、ディルには理解できなかった。
ロイは、横になったディルに清潔な真っ白い掛布を顎の下まで引き上げて、呆れたように苦く笑う。その眼差しは、どこかアルヴィードが浮かべていたのと同じような困惑を浮かべているように見えた。
「ロイ……何が、あったの?」
そう尋ねると、ロイは寝台の端に座り込んだまま、じっとディルを見つめ返し、それからがりがりと頭をかきながら深いため息を吐いた。
「あいつはあいつなりあんたを大切に思ってる——ちょっと、というかかなり混乱気味だがな」
だが、とディルに向けられる眼差しは複雑だった。
「あんたは、それでもあいつが好きなんだろう?」
頬に触れながらそう言う眼差しは切ない色を宿していて、ディルの胸も痛む気がしたけれど、その問いの内容には首を傾げた。
「……好き、なのかな?」
そう言ったディルに、ロイはさらに額を押さえて問いを重ねる。
「あんたなあ……。そういえば、あいつに何を言ったんだ?」
「何を、って?」
「あいつと何を話した?」
真摯な眼差しに、ディルはアルヴィードとの会話を振り返る。
「何で俺を庇ったんだ、って訊かれたから、あなたがいない世界になんて、意味がないと思ったから、って……」
その答えに、ロイは大きく目を見開いた。それからあーもうと呟きながら片手で両眼を覆いながら天を仰ぐ。
「……ロイ?」
「そりゃあ、
「どういうこと?」
「あんたにとっちゃ本心だったんだろうが、あいつからしてみれば、運命があんたにそう仕向けたと思ったんだろうよ」
馬鹿な奴、と呆れたように低く呟いて、一人で何かを納得している様子に、ディルが眉根を寄せてその袖を引くと、くしゃくしゃと頭を撫でられた。それからふと、表情を改める。
「あいつが何を考えたのか、その話の前に、俺はあんたに話さなきゃいけないことがある。あんたにかけられたその盟約違反の呪いと、もっと厄介な、『祝福』にとやらについて」
ロイは、ディルの頬に手を滑らせて、苦い笑みを浮かべた。
「俺は、俺の大切なものを守りたかった。だから、あいつに願って、世界に呪いをかけさせた。その俺とあいつの
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