12. 約束

 アルヴィードは今度こそ歩き出したが、ディルがついていっても拒む様子はなかった。諦めたのだろう。しばらく街中をあちこち歩き回る。何人か、ディルの知り合いの少年たちがディルの姿を見つけて寄ってこようとしたが、その隣りを歩く長身の影に気がつくと、皆一様に怯えたように去って行った。

「魔除けみたい……」

「せめてお守りって言えよ」

 呆れたような口調に、思わず吹き出す。この街に住む者たちは力に敏感だ。相手が弱いか、強いか——それを正しく判断できなければ、自分の身に危険が迫る。アルヴィードに関していえば、その容姿だけでなく、身に纏う雰囲気が明らかに常人とは異なることを、誰もが感じずにはいられないのだろう。


 ふと、アルヴィードが足を止めた。だが、周囲を見回すでもなく、またすぐに歩き出す。

「どうかした?」

「別に」

 言いながらも街から離れ、森の中へと歩みを進めていく。その森は、木々が鬱蒼と生い茂り、昼なお暗い。ほとんど人の踏み入れぬその場所は、ディルにとっては、だからこそ格好の隠れ家だった。


 アルヴィードは何か目的でもあるかのように、迷いなく歩みを進める。そうして、たどり着いたそこは、かつてディルが初めて彼に会った場所だった。そこで足を止めると、ディルに向き直り、その頬を両手で包んでニヤリと笑う。どうしてだか不穏な気配を感じ取って、ディルは逃れようとしたが、アルヴィードは許さず、その顔を近づける。

「そうしたいなら、別にいい、なんて他の奴には絶対に言うなよ」

 その眼差しは面白がる光を浮かべていたが、確かに熱を宿している。わずかに開いた唇がディルのそれに触れる寸前、だが銃声が響き、二人の頬を掠めた。

「真っ昼間からお熱いこったな」

 視線を向けると、顔に大きな傷のある男がこちらを睨み付けていた。その手には銃が握られている。さらに後ろに同じように柄の悪そうな男が二人、控えていた。

「俺たちを裏切ってお宝を独り占めした上に、ガキに手を出すとは外道にもほどがあるな」

「なんの話だ? 俺は下りると言った。お前たちが勝手にしくじっただけだろう?」

 ディルを離し、男たちに向き直るその顔は、ディルに向けていた穏やかな顔とは打って変わって、いつか見たのと同じように獰猛な笑みを浮かべている。それこそ獲物を見つけた獣のように。

「うるせえ、俺は見たんだ! そのガキのおかしな術で全員倒れちまった後、お前がやってきて、そのガキを抱き上げてから、倒れてる仲間に銃を向けたのをな」

 驚いて見上げたディルに、アルヴィードは平然と頷いた。

「言っただろう。こいつらを生かしておけば、必ずお前をつけ狙う」

「そんな……」

「貴様……!」


 男が引き金に手をかけたが、アルヴィードの方が早かった。懐から銃を抜き出し、躊躇いなく撃つ。その銃弾は狙いをあやまたず男の右肩を貫いた。続けて、その男だけでなく後ろの男たちも両腕と両脚を撃ち抜かれ、その場に倒れた。突然の事態にただ立ち尽くしていたディルは、だが、自分の後ろに他の影が近づいていることに気づけなかった。


「そこまでだ」

 もう一人、木の影から現れた男が、ディルの頭に銃を突きつけていた。その男にも見覚えがあった。アルヴィードは振り向かないまま、ため息をつく。

「なんだ、もう一人生きてやがったか。警備の奴らの腕を信じたのが間違いだな」

「おしゃべりはいい。このガキの命が惜しかったら銃をこっちに寄越せ」

 男の腕はがっちりとディルの肩を抱いており、頭ひとつ動かせない。アルヴィードはゆっくりと振り向くと、こちらを静かに見つめた。その眼には何かを迷うような光がある。それが何か、ディルは気づいた。

「アル……」

 彼の腕をもってすれば、一撃でこの男の額を貫き、止めを刺せるはずだ。だが、彼はそれをためらっているように見えた。


 ——きっとディルが人殺しに怯える、その事実に気づいているから。


「早くしろ。こないだ受けた傷のせいで手が震えちまってな。うっかり引き金を引いちまうかもしれねえぞ?」

 男は愉しげに言う。アルヴィードは、しばらく黙ったまま男とディルを見つめていたが、やがて銃を男とディルの前に放り投げた。男が笑う気配が伝わってくる。

「おい小僧、お前こないだ変な術を使ってたよな? ってことは魔力持ちだな?」

「だったら何」

「なら、その銃を拾え。お前には使えないだろうからな」

 この男も、罰について知っているのだろう。ふと、視界の外で何かが動いた気がしたが、それより先に男の銃が火を吹いた。アルヴィードの肩から鮮血が溢れ出す。

「動くなよ。次は心臓だ。それにその前にこのガキの頭を撃ち抜いてやる」


 アルヴィードの眼は、静かだが怒りに燃えている。足手まといになった事を悔やんでも遅い。この男は、間違いなくアルヴィードを殺すだろう。ディルが余計なことをしたばかりに。男は視線を感じたのか、下卑た笑みを浮かべる。


「抵抗しなきゃ、お前は生かしておいてやる。綺麗な顔をしているからな、高く売れるだろうさ。その前にたっぷり俺が可愛がってやるさ」

「まだ子供だぞ」

「生憎、俺はこういうのが好みでな。無抵抗なガキを犯るのはそりゃあ愉しいのさ」

 アルヴィードの殺気がさらに強まる。だが、男の銃口はまっすぐにアルヴィードの額を狙っている。

「早く拾え」

 促され、ディルはゆっくりとその重い銃を拾った。引き金には白い結晶が輝いている。このままではどちらにしても二人とも身の破滅だ。アルヴィードは殺され、ディルは囚われる。


 もう一度、銃を見つめる。それは、ディルをあの少年たちから救ってくれたものだった。顔を上げ、アルヴィードに目を向けると驚いたような顔をした。それで、自分が微笑んでいるのに気づいた。

「馬鹿、よせ……!」

 アルヴィードが声を上げるのと同時に、ディルは男に振り向くと、もうためらわずに男の心臓に向けて引き金を引いた。


 大きな銃の反動は大きく、ディルはその場に膝をつく。だが、その威力は確実で男の胸から血が溢れ出し、その場に倒れる。噴き出した返り血がディルの頬を濡らした。

「この馬鹿‼︎」

 叫んでアルヴィードが駆け寄ってくる。

「なんで撃った⁈」

 ディルの手から銃を取り上げながらその肩をつかむ。その顔はかつて見たことがないほどの焦燥を浮かべていた。

 答える間も無く、不意に森の中に何か不穏な歌声が響いてきた。それは空気を震わせ、やがて、何もないはずの木々の間に、闇が生まれた。

「な、なんだあれ……」

 奥で倒れていた男たちが唖然とした声を上げる。まともに動かない脚を引きずり、それでも必死にその場から逃げ出していく。


 その闇から現れたのは、二人の精霊だった。その手には美しい三日月のような大きな鎌を持っている。一人は淡い金の髪に、紫水晶のような瞳。もう一人は、濃い金の髪に、水色の瞳。いずれも信じられないほど美しいのに、どちらの眼差しも酷薄な光を浮かべている。ぞくり、とディルは背筋が冷えるのを感じた。

「おやおや、久しぶりに呼ばれたと思って来てみれば」

「随分可愛らしいこと」

 近づいてくる二人の精霊に向けて、アルヴィードが銃を構える。だが、精霊たちは意に介した風もなくひらひらと手を振る。

「そなたには関係のないこと。死にたくなければ下がっておれ」

「これは我ら魔力を持つものの古き約定。盟約を破ったものには罰を与えねば」

 にこりと微笑みながら、銃口をものともせずに近づいてくる。

「知るか。お前たちが精霊でも、この銃は黒鋼くろはがねの弾が込められてる。俺は、お前たちを殺せる」

「ふむ……興味深い。誰にも懐かぬ孤高の獣が、盟約を破った者を庇うかえ」


 面白そうに二人の精霊はまじまじとディルとアルヴィードを見つめる。水色の瞳の方が少し驚いたように声を上げた。


「そなた、天の瞳の持ち主か。これは珍しい。しかしその命を狩らねばならぬとは、惜しいことよの」

 言いながらその鎌をディルに向かって振り下ろそうとする。その瞬間、アルヴィードの銃が火を吹いた。銃弾は、精霊の頬をかすめる。すかさず、もう一人の精霊の鎌がアルヴィードの頬を切り裂いた。さらにもう一人がその背に斬りつける。

「アルヴィード!」

「いかな黒狼とて、我ら二人を相手にするのは分が悪かろう」

「ふむ、もう一人惹かれて来たようだ」

 その声に呼ばれるように、闇からもう一人似たような精霊が現れる。

「久しぶりの狩りだ。私も交ぜてもらおう」

 酷薄な笑みを浮かべるその顔は、どこか狂気を感じさせるが、それでも美しい。その鎌がディルに向かって振り上げられた。それを防ごうと動いたアルヴィードに別の精霊の鎌が迫る。あれ以上斬りつけられたら——。


「やめて!」

 叫ぶと、精霊たちが動きを止めて一斉にこちらに目を向ける。その冷ややかな視線を感じながらも、声が震えないよう、拳を固く握る。

「アルヴィードは関係ない——俺を殺して。それでいいんでしょう?」

 まっすぐに告げたディルに、精霊たちが、どうしてだか柔らかく微笑む。

「ああ、潔い子供は好きだよ」

「その心根に免じて、苦しまぬように逝かせてやろう」

 まるで労るように、精霊たちは穏やかにそう言った。その美しいが冷ややかな顔を睨みつけながら、ディルは震えそうになる体を制して拳を握りしめる。

「その代わり、アルヴィードには手を出さないで」

「我らの目的は盟約を破った者のみ、その他の者は邪魔せぬ限りは関わらぬ」


 ふわりとディルの周りに降り立った精霊たちは、一様に鎌を構える。


「ふざけるな!」

 疾風のようにアルヴィードが動き、振り下ろされようとした鎌の下からディルを攫う。それでも、その背に鋭利な刃がかすめ、血が流れ出すのが見えた。

「アルヴィード!」

 その場に膝をつきながらも、ディルを守るように抱きすくめて、アルヴィードは笑う。

「俺も焼きが回ったな。あの程度の連中に斬られるなんて……」

 頬に触れる手は暖かく、笑みは穏やかだ。けれど、後ろでは三人の精霊たちが静かに鎌を振り上げている。

「諦めよ。邪魔さえしなければそなたは見逃してやろう。それに、盟約を破ったのはその子供の方。そなたがいくら守ろうとしても、もはや手遅れだ」

「手遅れ……?」

「その腕を見るがいい」

 言われて、ディルが示された自分の左の手首を見ると、その内側に黒い何かの小さな文様が浮かび上がっていた。

「それは盟約を破った呪いの証。すぐにというわけではないが、ゆっくりとその者を蝕んでいく」

「どれくらいだ?」

「さて、十年か百年か。いずれにしても、寿命なき精霊には、瞬く間よの」

「随分気の長い話だな……」

 アルヴィードが呆れたように言う。正直なところ、ディルも同感だった。

「まあ、なら話は早い」


 アルヴィードは背後の精霊たちの様子など意にも介さず、腕の中のディルを見つめる。 


「ディル」

「何?」

「今、お前を抱えたまま逃げるのはおそらく不可能だ」

 その言葉に、心臓を掴まれたような気がした。それに気づいたのか、もう一度強くディルを抱きしめてその頭を撫でる。

「見捨てるわけじゃない。だが今は、これしか方法がないんだ」

 そう言って、懐から二枚のひらひらした紙切れを取り出した。そこには何か複雑な文様が描かれている。

「俺でも使えるってあの魔女は言ってたが、身の丈に合わない魔法には必ず代償がつきものだ」

 それでも、とアルヴィードは続ける。

「俺の名にかけて誓う。俺が、必ずお前を迎えに行ってやるから」


 ——何があっても生き延びろ。


 ふわりと風が吹く。アルヴィードの顔が近づいて、一度だけ軽く唇が重なった。それはすぐに離れて、低い声が何か一連の言葉を紡ぐ。

 後ろで精霊たちが一斉に何やら抗議の声を上げるのが聞こえたが、彼らが動く間も無くアルヴィードの持っていた札から風とともに光が湧き上がった。風が強くなり、ディルは思わず目を閉じる。体ごとどこかに攫われるような感覚に包まれ、一瞬の後に全てが止んだ。


 目を開けると、一面の緑の野原に立っていた。アルヴィードも、そして精霊たちの気配もない。


 ディルは、再び独りになっていた。

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