11. 束の間の

 目を覚ますと、ディルは見慣れない部屋にいた。正確には見たことはあるが、自分が住んでいる「祈りの家」ではない場所に。常に雑多な音で満ちていた「祈りの家」とは異なり、宿屋の部屋の中は静かだった。


 どうして、またここにいるのだろう。アルヴィードの言葉に激昂し、酒場を飛び出した。それから森の中の泉で黒い獣と出会い、どうしてだかひどく安心してその背に身を預けて眠ってしまったのは覚えている。あの獣が彼に知らせたのだろうか。

 彼が連れ帰ってくれたのだとすれば、まだ側にいてもいいということだろうか。けれど、どんな顔をして会えばいいのかわからない。


 考えがまとまらないまま、寝台の横にある窓をそっと開く。窓枠に手をかけて、身を乗り出そうとしたまさにその時、襟首を掴まれた。

「何をしてる? 飛び降りるつもりか?」

 親猫に咥えられる子猫よろしく吊り下げられる。見上げると、例の金の双眸が相変わらず射抜くような鋭い光を浮かべてこちらを見下ろしていた。

「……気配、しなさすぎ」

「お前が迂闊なだけだろう」

 軽口を叩いて、けれどそれ以上会話は続かなかった。思えば最初に出会った時から彼はずっとディルを救ってくれていた。その理由も、そしてそれをどう受け入れればいいのかも、わからないままに。


 俯いたまま、言葉を探していると襟首を掴んだ手が離れて寝台に腰掛けさせられた。アルヴィードは向かいの椅子に座り、じっとディルの顔を見つめる。

「どうやって、魔力を持つ者の銃の所持を発見するか知っているか?」

 突然の問いに、ただ言葉を見つけられずじっとその顔を見つめ返していると、深いため息を吐いてから、先を続ける。

「この世界じゃ、魔力を持つ者の銃の所持は重罪だ。だが、持っているだけじゃ、そうそう罰せられることはない。堂々と振り回してる馬鹿か、よっぽど運の悪いやつくらいだな。だが、使えばまず間違いなく捕まる」

 なぜなら、とアルヴィードは懐から黒光りする彼の銃を取り出して、引き金の部分を示した。そこには、小さな透き通った結晶が嵌め込まれている。

銃火器ぶきには全てこの月晶石げっしょうせきが仕込まれてる。逆に言えばこれがないと引き金を引いても何も起きない。だが、この石は魔力に反応する。魔力を持ってる奴が引き金を引くと、反応してを呼び寄せる」

「奴ら?」

「古い精霊たちだ。この世界の盟約とやらを守ることを生業にしてるそうだ。学び舎で習わなかったか?」

「……知らない」

「そいつらは、『盟約』を破った者を見つけ次第、殺す」

 まじまじとその顔を見つめたが、嘘をついている様子はなかった。

「精霊なのに?」

 本来、精霊は自然とともに生きる者たちで、殺生を好まないはずだ。

「暇なんだろ。長い長い生に飽きて、刺激に飢えてる。先の大戦で奴らがどれほどの人間を殺したか、知らないわけじゃないだろう」

 事も無げに言う。確かに、精霊と人間たちの戦いの歴史については学び舎で習った。けれど——。

「……知ってて、イェルドは俺に銃を渡したのかな?」

 引き金を引けば、ディルが殺されると。

「お前が欲しいと言ったんだろう?」

 向けられる表情は静かだったが、その瞳はやはり複雑な色を浮かべている。

「だが、そもそも使わせる気はなかっただろうな。もしお前が引き金を引いて、奴らが現れちまったらそれこそ面倒だ」

「じゃあ何で連れていったんだろう?」

「面白がっていただけだろうな。よく知ってるわけじゃないが、あいつはそういう危ういところがあった」


 ——そうして、命を落としてしまった。


 快活で、けれどどこか妖しい光を宿していた緑の瞳を思い出す。ほんのわずかな時間を過ごしただけだが、彼はディルの現状をよく理解していた。もしかしたら、似たような境遇にあったのかもしれない。今となっては尋ねることもできないけれど。


 意識をそちらから引き剥がし、アルヴィードの手の中にある銃を見る。

「じゃあ、アルヴィードは本当に魔力がないんだ」

「ああ」

「あなたは人間……じゃないよね?」

 尋ねると、面白そうに笑う。

「何でそう思う?」

「わかんない……けど、なんか変な匂いもするし」

「変な……ってお前だって同じだろう」

 そう言って、おもむろに首筋に顔を寄せる。思ったより柔らかな黒髪がディルの肌をくすぐる。びくりと体を震わせたディルに、アルヴィードの気配が変わった。

「……どうしたもんかな」

 低くかすれた声でそう呟く。首筋に寄せられた口元から熱い息が伝わる。頬に手が触れ、金の眼差しが射抜くようにディルを見つめる。まだ出会ったばかりなのに、どうしてこんなにもこの瞳に惹きつけられてしまうのだろう。

 ディルは半ば無意識にその頬に手を伸ばした。

「あなたは何者なの? この街の人じゃないよね?」


 この長身と独特の雰囲気は街中にいれば必ず人目を引く。それでなくとも大きな街ではなかったから、余所者がいればそれなりに人の噂に上るはずだ。イェルドもディルを街中で見かけたと言っていたから、昨日今日訪れたというわけではなさそうだったが。


 アルヴィードは頬に触れているディルの右手を握り、じっと見つめ返してくる。

「探し物があってな」

「探し物?」

「ああ、だがあいつらがしくじったせいで、もう一度最初から計画の練り直しだ」

「……アルヴィードも強盗の仲間なの?」

「いや、あいつらとはたまたまこの街で知り合っただけだ」

「旅人?」

「そんなものかな」

 では、彼はいつかこの街を出ていくのだ。どくんと不規則な鼓動を打った心臓に、さらには刺すような痛みが走ったけれど、その意味を深く考えるのはやめておくことにした。どうせずっとは続かないのなら、せめて今だけでもこの温もりを感じていたい。

 首筋に触れる柔らかい黒髪の感触に、どうしてだかあの黒い獣を思い出して、ディルはほんのわずか微笑んだのだった。



 それから、ディルはアルヴィードと共に宿で過ごした。部屋は広くはないが寝台は二つあったし、左肩は動かすとまだ痛みが走る状態だったから、それを自分への言い訳にして、傷が癒えるまでは、と。

 彼は口数が少なく、何が目的で、なぜそばにいてくれるのかもよくわからないままだった。ただ、夜うなされて目が覚めると決まってそばにいて、柔らかく頭を撫でられた。けれど、それ以上触れてくることはなかった。それでも、必要な時に手を伸ばせば届くところにある温もり——それは、ディルが今まで一度ももったことのない「家族」というものを想像させた。


 「祈りの家」を離れ、彼と過ごす日々は驚くほど穏やかに過ぎていった。誰からも虐げられることもなく、朝早く出かけてしまうアルヴィードを見送って寝台に寝転がって過ごす。あまりに怠惰にも思えたが、肩の傷が癒えるまではじっとしていろと言われればそれでいいのかとも思えて、彼が置いていった歴史書を読んだり、時折は宿の手伝いをしたりして過ごした。


 事件が起こったのは、出会ってから半月ほどが過ぎた頃だった。肩の傷も半ば癒え、アルヴィードに連れられて外に出たところで、聞き慣れた声に呼び止められた。

「ディル?」

 不意にかけられた声に、思わず身が強張る。振り返ると、ルドウィグが唖然とした顔でこちらを見つめていた。

「お前、無事だったのか……」

 言いながら近づいてくる。腕をつかもうと伸ばしてきた手は、アルヴィードに払われた。

「まだ懲りないのか、坊ちゃん?」

「お前……あの時の」

 それからディルに向き直る。だが、どうしてか声を潜める。

「おい、お前こんな奴と一緒にいるのか? 強盗の仲間だろう?」

 周囲を気にするように小声で話す。

「黒装束の男たちが、エドヴァルドの館を襲ったけど、ほとんどが殺されたって。お前もあの日から姿が見えないから、巻き込まれたのかと……」

 どこかほっとしたようなその表情は、まるでディルを気遣っているようだった。

「とりあえず、こんなところにいない方がいい。あいつらの生き残りが、お前とその男のことを探してたぞ」

「……生き残り?」

「一人だけ生き残った奴がいたらしい。何人か引き連れて、『祈りの家』にも来てたぞ」

「何で……? 俺はともかく、この人は関係ない」

「……エイリークの奴があることないこと話したらしい」

「本当にいいお友達を持ったな」

 皮肉げにそう言う金の眼差しは、すでに鋭さを増している。

「そいつらはどこに行った?」

「し、知らない……」

「へえ。ならそいつらにまた会ったら、俺はお前たちに初めて会った、あの森にいると伝えておいてくれ」

「アル……?」

 名前を呼びかけて、だがルドウィグには知られない方がよいかと途中で止める。

「手負いの獣は厄介だ。お前を狙ってくるなら、確実に息の根を止めておかないとな」

 それまで見たこともないような冷ややかな笑みを浮かべるその姿に、背筋が冷えた。だが、思わず震えそうになる体を叱咤して、その腕を掴む。

「だめだよ」

「……何でだ? あいつらはお前を殺す気だぞ?」

「それでも、人が死ぬのは嫌だ」

 脳裏に浮かぶのは光を失った緑の瞳と、血溜まりに沈む幾つもの黒い装束の男たちの体。そして、今なおまとわりついているような血臭。


 アルヴィードは、拳を握って震えるディルの姿をしばらくじっと見つめていたが、ややしてふっとその表情を和らげて、顎をすくい上げた。間近に迫る金の双眸はどこか悪戯っぽい光を浮かべている。

「まだ不安なら、もう一度してやろうか?」

 そう言いながら顔を寄せてくる。和らいだ光の浮かぶその瞳に、どうしてかやはり見惚れながら、ディルはほっと息をつく。

「……あなたがそうしたいなら、別にいいよ」

 そう言うと、アルヴィードは今まで見たことがないくらいに目を見開いて固まった。わずかに口を開いて何かを言いかけたが、また閉じてしまう。

「どうしたの?」

「お前って、本当にガキ……」

 ため息をついて、手を離す。ふと横に目をやると、どうしてだかルドウィグが真っ赤な顔をしていた。


 ともかくも、ディルを離すとアルヴィードはどこへともなく歩き出してしまう。

「どこ行くの?」

「その辺りを見てくる。お前は宿に戻って待っていろ」

 その身に纏う空気はまた不穏さを増していて、だからこそ一人で行かせてはならないと何故か思った。その腕を掴む。

「俺も一緒に行く」

「足手まといだ」

「それでも行く」

「あのなあ……」

「やめとけよ、ディル」

 急に割り込んだ声に、ディルだけでなくアルヴィードも足を止めた。振り向くと、ルドウィグがどこか思い詰めた顔でこちらを見つめていた。

「そんな奴と一緒にいても危険なだけだ」

 先ほどからまるでディルを気遣うような口調に苛立ちが募った。自分がしてきたことを忘れたとでも言うのだろうか。

「……お前たちの方がましだとでも?」

 ディルの肩には、ルドウィグの火器で焼かれた痕が今もはっきりと残っている。その傷はさすがに「祈りの家」の大人たちでさえ眉を顰めるもので、ディルはその痛みと引き起こされた熱のために一週間寝込むことになったのだ。


 無意識にか傷痕を押さえてそう呟いたディルに、ルドウィグは顔を歪めたが、それでも表情を改めてまっすぐに見つめてくる。

「あれは、本当に悪かった。謝って許されることじゃないのはわかってる。でも、そいつと一緒にいると本当に危険だ。行くところがないなら、僕が守ってやるから。従者が嫌なら、ただ家にいるだけでいい。家族には僕から話す。それで、いつか僕の……」

 ほのかに頬を染めてそう言うルドウィグに、ディルが口を開く前に、アルヴィードが一歩前に出た。そして、いつの間にか取り出した銃をその額に突きつける。

「——黙れ。そして今すぐ俺の目の前から消えろ」

 その指はすでに引き金にかかっている。一瞬でも遅れれば、命を失いかねない。そう悟ったのか、ルドウィグは真っ青になり、ちらりとディルに目を向けたが一目散にどこかへ駆け出して行った。


 ディルは、自分の前に立ったその男の背中をそっと窺う。その身に纏う空気は、触れれば今にも爆発しそうに張り詰めている。それでも、不思議とそれほど恐ろしく感じなかった。

 その大きな背中にそっと腕を回して抱きついた。鍛え上げた身体はしなやかで硬く、力強い。

「……ありがとう」

 そう呟くと、しばらくしてからふっと空気が緩んだ。大きな手がディルの頭をぽんぽんと軽く叩く。

「何、あいつのにやけた顔に我慢がならなかったんでな」


 肩をすくめて苦笑した彼に、ディルもまた自然と微笑んでいた。

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