第13話アル日ノ事

 それは、何度かの仕事を経て殺し屋としての立ち回り方がほんの少し分かりかけていた頃だった。いつもの様に事務所内でミケやムラマサと大麻やLSDをキメながらトランプゲームに興じていると、ランドセルを背負ったチキータが帰ってきた。しかし普段と様子が違う。彼女の顔にはいくつもの傷やアザが付けられていた。本人曰く体育で転んだらしいのだが、どうも拭いきれない違和感があった。だってチキータはそんなに運動神経が悪いワケではない。それは初対面でビンタされた俺が裏付けている。


「ちょっとヤブの所にいってくるね…」


 医者のフロアへ治療しに行ったチキータを放っておけなかった俺は、コッソリ後を付いていく事にした。真相を確かめるには第三者から意見を聞くのが得策だ。チキータの手当てが終わるまで息を潜め、彼女が診察室を出たのを確認した俺は、治療にあたっていたヤブさんに事情を教えてくれと頼んだ。少しだけ話そうか迷った素振りを見せたヤブさんは、真剣な面持ちで口を開いた。

 やはりと言うべきか、チキータの怪我は転んでできたものではなかった。医者から言わせれば、アレは人から殴られた跡らしい。どうやらチキータは学校でイジメを受けている様だ。こういう事は初めてではなく、幾度となく同級生からの暴行を経験していて、その度に彼女は傷を拵えるのだ。しかも、一切の抵抗もしないらしい。それもそうか。もしチキータが本気を出してしまえば、普通の小学生なんか一捻りだろうからな。

 だからと言って黙って殴られるのは気分のいいものじゃない。それなのに学校へ行く事を止めないチキータは、一体どんな気持ちで日々を過ごしているのか、俺には想像もつかない。

 なんだか憂鬱な気持ちにさせられながら事務所に戻ると、チキータは絆創膏だらけの笑顔で仲間たちと談笑していた。とてもその中に入っていけるだけの余裕もなかった俺は、アミーゴにこの事を相談した。


「チキータガイジメヲ受ケテルノハ知ッテル。アノ子ハ強イカラ、一回モ弱音ヲ吐イタ事ハナイガナ…」


 外国人が珍しくないこの街でも、多少の人種差別はある。特にチキータは、明るい茶褐色の髪色に緑がかったグレーの瞳だ。顔立ちも整っていて、単純に言ってしまえば『美人さん』の彼女を快く思わない連中は一定数いる。つまりは同性からの嫉妬だ。

 小さな身体でそんな理不尽とも闘っている境遇でも、甲斐甲斐しく笑って見せるチキータを不憫に思ってしまった俺は、不意に心の内をそのまま言語化していた。


「そんなヤツらなんかよォ…、殺しちまえばいいじゃんか……」


 自分でも失言だとは分かってる。でも、勝手に彼女のお兄ちゃんをしている俺にとって、チキータを傷つける者を許す事は到底できなかった。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、アミーゴは大きな手で俺の頭をワシワシと撫でながら、優しく諭してくれた。


「オレタチガヤル殺シハ稼業ダ。一般ノ小学生ヲ殺シテモ一銭ニモナラン。感情デ動クヤツハ『プロノ殺シ屋』ジャナイ…。ゼータモソノ辺ハ弁エナイトナッ」


 そうか、俺たちは殺し屋だが殺人鬼ではない。ターゲットに全くの感情移入をしないからこそ、躊躇なく引き金が引けるのだ。イジメに耐えられるのはチキータ自身の強さもあるが、そもそも暴行を加える同級生を『取るに足らない存在』だと認識しているからなのかも知れない。殺そうと思えば簡単に殺せる。だが、殺す価値もない人間に披露してやれるほど、彼女の殺しは安くない。一人前の殺し屋としての自負があるチキータにとって、これくらいのイジメは蚊に刺された程度のトラブルなんだろう。

 でも、もしこれを自分に置き換えたら、もしこれを妹に置き換えたら、今の俺はその相手を殺してしまう可能性は大いにある。人の殺し方を覚えてしまったから。しかしそれをやってしまえば俺は『殺し屋』ではなくなってしまう。ここにいる俺以外の皆は、そこを履き違えないだけの精神的アビリティを兼ね備えている。早く俺もそうならないと、いつか取り返しの付かない失敗をしかねない。ちゃんと見習わないとなぁ。


「ソレニ学校ニ通ワセテヤレルノハ、チキータダケダカラ…」


 そう呟いたアミーゴは、本当なら子供たちはちゃんとした教育を受けるべきだと考えている様だ。ここに居るのは俺を含め、本来なら就学していなきゃダメな未成年ばかりだ。だが、チキータ以外は殺し屋として入団した時に顔を変えられている。それまでの暮らしはもう謳歌できない。俺自身も既に元の中学には通えないしね。

 だからと言ってここの殺し屋少年少女たちに学がないワケではない。実際にミケなんかは大学院生クラス以上の知識を駆使して仕事を行う。ムラマサは人体構造について詳しいし、チキータは元素周期表を丸暗記するくらいの秀才だ。あれ?もしかしたらここで一等おバカさんなの俺じゃね??


「俺も少しは勉強しといた方がいいかな…」


 元々学力がそこまで高くない俺は、急激な焦燥に襲われた。このままじゃ中卒以下のオツムで大人になってしまう。高校に行く事はできなくても、そのレベルの学力は欲しいなぁ。そんな事を考えていると、アミーゴは有益な情報を与えてくれた。何とこのタワーマンションには、組織に属している子供に向けた『塾』が開いてあって、好きな時に好きな教科を学ばせて貰えるのだとか。ただし無料ではない。一時間数千円という授業料を支払う必要がある。ここで勉学を身に付けたいのであれば、それ相応の仕事をしなくてはならないのだ。

 それに比べれば、チキータは恵まれているのかも知れない。生まれてすぐ組織に引き取られた彼女は、顔を変える必要もないし、偽造だが戸籍だってある。この組織で唯一義務教育を受ける権利を持つチキータは、自分の意思で学校に通っている。学費も自分で払っている様だ。そこまで自立してる小学生なんか他にいるのか?いや、いてたまるか。

 そんな彼女からすれば、同級生などジャリ同然に見えてしまっても不思議じゃない。そりゃ多少イジメられても怒りが沸いてこないはずだ。でも…、やっぱり殴られたり蹴られたりした時は痛かっただろうし、悲しかったんじゃないかな。


 何だか急にチキータが愛おしくなり抱きしめたい衝動に駆られたが、ロリコンの気でもあるのではないかと疑いを掛けられるのも癪なので、グッと我慢した。

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