第19話 キール

小さい頃は、大剣を振りかざし、大型の魔獣を一太刀で薙ぎ倒す。そんな冒険者に憧れ、そして目指した。

しかし蓋を開けてみれば、魔力も少ない、非力な冴えない冒険者の一人であった。

落ち込んだ瞬間もあったが、表層の仕事だけでもそこそこ稼げるようになると、愛した妻と子に、家で毎日迎えられる生活も悪くないなと思うようになり、そしてそこに帰れなくなることが恐ろしくなった。

それからは、生き延びる方法だけを追求した。

感覚を研ぎ、自分の手の届く範囲だけは守れる様に。

反対に、同じ頃に冒険者になった奴らは、果敢に遺跡の果てへ挑み、そしてどんどん数を減らしていった。

臆病者とおれを蔑む奴もいたが、笑ってその通りだと言ってやった。逆に、見込みのありそうな新人が来ると、そういう奴らに鍛えてもらうように頼んだ。

俺の探索は安全すぎるらしい。俺の元で長く学んだ奴は、こんなもんか。と遺跡を舐めて挑み、すぐに死んだ。

そういえば、最近少し変わったやつが入ってきた。非力だが慎重で、そして増長しない。こいつは俺の様に長生きするかもしれないと思った。




そいつは、追ってきている時から何処かおかしかった。

根によって捉えた気配がぶつぶつと切れるし、距離を開けたと思っても、気がつくと近くにまで迫っていた。

姿を現した時は、最高に嫌な予感がした。


朦朧とする意識の中、小皺が増えてきたがまだまだ美しい妻と、俺の後を追ってギルドに入り、受付として仕事を続ける、婚期を逃しつつある娘の姿が浮かぶ。……帰らなければならない。

遠くで、生意気に俺を呼び捨てに叫ぶ声が聞こえた。




「キール!!」


おれは魔物の事は構わずに、キールに走り寄った。

彼は、ゴホッ。と血の混じる咳をしたあと、焦点の合わない目をしながらも立ち上がり、吹き飛ばされながらも離さなかったナイフを構えた。

しかし、再度名前を呼んでみるが、こちらには反応がない。大丈夫なのか……?


「うるせえ、聞こえてるよ」


キールは長く息を吐いた後、三度目の呼びかけでようやく反応を返した。


「……気失ってたか。ナイフは……あるな。」


意識がはっきりしてきたのか、すぐに状況を確認し、ナイフを握り直すと、魔物を睨みつけた。


「毒の無効。無音の移動に、分身。それからあの馬鹿力か……」


「移動は気配遮断と空間魔法ですかね……。昇華ってやつも見えますが詳細は分かりません。」


集中を欠いてるせいか、うまく読めとれ無い。


「鑑定か、助かる。ナイフは効いてるみてえだな。1人じゃキツそうだ、コウスケ、頼めるか?」


投げたナイフによって傷ついた、魔物の横腹からどくどくと血が流れ出ている。

魔物は機会を窺っているのか、此方を見ながら舌なめずりをした。

怖い……でも、やるしか無い。


「はい。」


おれはナイフを構えると、キールの合図に合わせて走り出した。

魔物が屈む様な動作をする。すると周囲に黒いモヤが発生し、その中から肉を練って作った様な、2本の触手が勢いよく伸びておれたちを襲う。

空間魔法か?しかし……


「悪手だな。」


おれたちは、それを二手に別れてかわすと、その影に隠れて接近する。

肉薄された魔物は、キールの方を狙って腕を振るうが、彼はそれを地に伏せて交わすと、ついでに切りつけた。

魔物はさらに、戻した触手で追撃しようとするが、そちらはおれが蹴飛ばし、軌道をそらした。

苛立ったように叫びを上げた魔物はふたたび姿を消す。そして、2匹になっておれたちの背後に現れると、同時に腕を振るった。

しかし、ビクッ。と片方が一瞬動きを止める。

もう片方の魔物の腕が迫るが、おれたちはそれを無視し、光の縄の絡みつく魔物の首を狙って、2本のナイフを走らせた。

おれたちをすり抜けた方の腕と、魔物がモヤになって消える。

そして、切り裂かれた魔物の首が、ぼとりと地面に落ちた。


おれたちは、魔物から距離を取って油断なく見守る。

少し離れたところで、転がるミトの側にしゃがみ込むシルヴィアも、警戒しながら様子を伺っていた。


ぐしゃり。と魔物の体が崩れる。

おれたちはそれを見て、ようやく息を吐き出した。

キールがこちらを見て、なかなかやるじゃねえか。と言ってにかりと笑った。




それは、体を打つ激しい鼓動を落ち着けながら、魔物の死骸を眺めている時だった。

ふと、その光景に違和感を覚えた気がした瞬間、ふわりと緩い風を感じた。

風に誘われるままに、そちらを振り返る。

木に絡みつく腸の様な長いなにか。その先にぶら下がる魔物の頭には、だらりと人間が咥えられている。

そして魔物は、それを音を立てて噛み砕いた。


『アハッ。アハハッ。』


キンキンとなる、気味の悪い笑い声を聞きながら、ぼとりぼとりと崩れ落ちる、キールの身体を、おれは呆然と見守った。



「は?え?……は??」


頭を混乱が満たす中、遠くで誰かが悲鳴を上げた気がした。うまく呼吸が出来なくなる。

ゴロンと転がるキースの頭。その虚な目は、キールが死んだことを実感させるのに十分だった。






「キール監督官の死亡を確認。周囲に魔物の姿はありません。冒険者3名を保護しました。……もう一体遺体を確認、損傷が酷いため照合をお願いします。」


鎧を着た男が、通信装置の様なものに向かって、何か話しているのが聞こえた。

逃げた冒険者に報告によって派遣された、ギルド捜索隊が、2体の遺体を手際良く袋へ収容している。


「先輩……」


顔をぐしゃぐしゃにしてその様子を見守るミトを、シルヴィアが慰めていた。その彼女も、目の周りを赤くし腫らしている。

彼らの気配を感じて逃げたのか、到着した時にはグズグズに崩れた胴だけを残して、件の魔物はすでにいなかったらしい。サンプルとするのか、防護服を着た隊員がその腐臭のする肉塊を集めていた。

おれは、その様子を、ただぼんやりと眺めた。

程なくして捜索隊の作業が終了したらしい。通信装置で話していた男が掛けた号令によって、おれたちは街へ帰還した。




その後のことはよく覚えていない。

気づくとおれは、アカネに寄り添われて、キールの埋葬に参加していた。

それは以前立ち入ったことのある墓所で行われており、葬儀にはミトにシルヴィア、一緒にいた他の冒険者や見覚えのないものまで数多く参列していた。

あの時見た鎧の男もいて、壮年の女性が頭を下げている。彼女がキールの奥さんらしい。そしてその横に見覚えのある女性が立っており、こちらに気が付いて歩いてきた。


「コウスケ……君。……久しぶりね。」


おれは、砕けた口調で話しかけてくる、ギルド受付のアリアに会釈した。


「ああ、ごめんなさい。……父がよく、あなたの話してくれていたから。」


父……。アリアは、キールの娘だった。


「そんな顔しないで。この仕事をしている限り、こう日

が来るかもしれないことは、母も、私も覚悟してたわ。」


「でも、おれが……。」


あの時、何か違う行動をとっていれば。いや、もっとおれが力を付けていれば……。やり直しなんかない。考えたところで仕方ないのに、何度も何度も、思考がぐるぐると同じ所をまわり続ける。


「あなたの所為じゃ無い。むしろ、あなた達を助けることが出来た父を、私は誇りに思うわ。……父は、若手を育てることをずっと避けていたのだけれど、最近面白い奴がいるんだと言って、たまには仕事するのも悪かねえかな。って嬉しそうにしてたの。あなたのことよ。」


「……キールさんは、おれたちのことより、家に帰りたかったと思います。」


そうだ、彼は心から帰りたいと望んでいたに違いない。

ズキリと胸が痛む。



「……。ねぇ、父は……」


アリアは何かを堪える様に一度言葉を切り、そして、強い眼差しでおれを見て言った。


「父は……最後まで勇敢だったでしょうか。」


キールさんは……。

最後に見た、子を見る父の様な優しい笑顔を思い出す。

抑え込んでいた感情がじわりと溢れ出す。


「最後まで勇敢で、強くて、優しくて……格好良かったです。凄く。」


アリアはそれを聞いて、目に涙を浮かべた。

しかし、そう……。と小さく微笑むと、腕でぐいっとそれを拭う。そして、見覚えのあるのある、意匠の凝らされた一本のナイフを取り出した。


「これを持っていって。父を……父のことを覚えていてやってください。」


それを見て、ついに堪えきれず、嗚咽が込み上げてくる。アカネが、背中を優しく撫でてくれるのを感じる。

おれは、声を出して泣いた。



そして、キールのナイフを受け取った。

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