第13話 ラインオーバー流接待
津田と同じ1年8組に大塚準一がいる。高校に入学するまで津田とは全く無関係だった人物である。よく津田に話しかけてくる。新Y中学出身だ。入学してしばらくしたときに名簿が配布された。生徒の住所、電話番号が書いてある。津田の家には電話がないので、電話番号がない。大塚の住所は、かなり東の方だ。ラインオーバーだ。遠方から新Y中学に通い続けてY高校に入学したのだ。
放課後のグランドを見て、ふと眼に入った。大塚がラグビー部にアンガジェしているではないか。
大塚が、ある日、津田に「うちに遊びに来ませんか」と誘った。女の子を二人と薬師寺君を呼んでいる、4人で楽しく話をしましょう、と言った。薬師寺道雄は、同じクラスの人物で、名簿を見ると宝塚が住所になっている。大塚と反対方向からの遠距離ラインオーバーだ。津田は、宝塚は金持ちの町だと長屋の近所の人に聞いたことがある。
津田は、大塚の家に行きたいとは思わないし、呼ばれた理由も全く分からない。どうすればいいか迷った。迷ったが、拒否しなくてもいいかと思って、行くと返事した。
日曜日の朝10時に大阪駅前で薬師寺と待ち合わせた。薬師寺が一緒に行こうと言ったからである。10時になったが、薬師寺は来ない。
津田は、いつも、時間を守るようにしている。薬師寺は、40分遅れて来た。遅刻人間だ。津田は、これまで、遅刻人間から何回も批判されている。時間にこだわっているようではダメだと攻撃される。薬師寺は、遅れてすまなかった、と言わない。大塚の家に到着するまで、何やかやとペラペラ喋りまくった。新Y中学出身であることにプライドを持っていることが分かる。エリートリッチ人間なんだ。花川南之町の住人の津田とは異なる。アルム人間の津田とは無縁なんだ。
この薬師寺も重要な相手の場合は遅れない。入試のときも、もちろん遅れなかった。新Y中学で、それも学習するんだ。そういう人間は、世間に多数存在するということを後に知った。相手が重要人物だったら、絶対に遅刻しないし、万一遅刻したら、思いっきり謝罪する。相手が重要人物でない場合は、絶対に遅刻し、絶対に謝罪しない。遅刻人間の本質である。ラインオーバー入学によって獲得する重要な行動原理の一種類である。
大塚の家に着いた。長屋ではない。しかしながら、上等の家ではない。所有権者であるから、借家の長屋に住んでいる芳雄とは異次元である。けど、必死のラインオーバーだっただろうと芳雄は推測した。
部屋に入った。女性が二人いる。津田は、サプライズした。小学校で同級生だった黒田香代子さんが座っている。彼女は、市営住宅に住んでいる。新Y中学にラインオーバーしたがY高校に進学できなかったラインオーバー戦争敗者である。
彼女は、柏里の市営住宅に住んでいる。黒田さんはG高校に入学したと聞いていた。同じ市営住宅に住んでいる斜怪視的沈没の沢田隆夫も同じG高校である。
津田の観察では、G高校生徒には、ルサンチマン人間が少なくない。もちろん、下位の高校からすれば上位の高校だから、満足人間も存在している。この観点から分析すると、沢田は、典型的ルサンチマン人間である。このパターンの人間は、下位の人間に対して強く支配者的言動に出て、上位の人間に対しては、たとえばY高校の人間に対しては、恨みを晴らす過激で陰湿な行動に出る。表面的には尊敬に満ちた態度で接近するので、見破るのが難解で、巧妙な行動様式だ。沢田は、その典型的人物だ。
もう一人の女性は、津田の知らない人物である。大塚が「白木玲子さんです。美人でしょ。歌が上手なんです」と紹介した。白井さんも黒田さんも、相対的美人だ。
大塚も薬師寺もよく喋る。芳雄の知らない新Y中学関係の話をしている。津田の行っていた歌島中学では全く聞かなかった話である。異次元の世界である。
二人の話を聞いていると、世の中で上昇して、高い地位に就くには、どうすればいいかという原点から出発している。二人のラインオーバーは、そういう価値観の上に成立している現象であると強烈に感じる。そうだとすると、生きていくうえで、ラインオーバーは、極めて重要な選択肢なのだという考えが成立すると津田は痛感した。その価値観からすると、津田もラインオーバーすべきだったのだということになる。もしかすると、将来、津田は、このことで間違った道を歩んだと考えるようになるのではないだろうか。中学の三年間は大きな三年間である。
帰りは、津田と黒田さんが一緒だった。家の近くの塚本駅までずっと一緒だったが、まったく話をしなかった。黒田さんは、ドブメンの津田には関心がないだろう。バカバカしくて、ドブメンの相手になっていられないだろう。黒田さんには、新Y中学2年生の妹さんがいる。佐代子さんである。同級生の沢田隆夫の斜怪視的分析によると、妹さんの方が圧倒的に美人である。お母さんは妹さんに似ている。そのことを市営住宅のみんなが知っていると沢田が斜怪視して語っている。
学期末試験が近づいたとき、大塚が数学のノートを貸してくれ、その代わり、国語のノートを貸してあげると津田に言った。
このとき即座に、家に呼ばれた理由が分かった。この時点までは、呼ばれた理由が分からなかった。白木さんと黒田さんの存在理由も根拠づけられた。
数学のノートを借りるなら、津田芳雄だ。これが選択理由である。イケメンだから家に呼んだのではない。津田は、超ドブメンである。
薬師寺が呼ばれているのは、中学時代から親しくしているからであろう。なぜ、薬師寺と親しいか。宝塚の金持ちだからであろう。ラインオーバー的行動感覚で一致しているんだろう。
大塚の国語のノートを見て、津田は、予想できなかったものを見たと感じた。大量に書かれている。物凄い時間と体力が必要だっただろう。津田は、こんなふうに、何もかも書くということはない。大塚は、毎日毎日、すごい時間を費やして勉強に励んでいるのだ。ラグビーもやって、勉強もするのは大変だろうというのが津田の感覚である。ラインオーバー流文武両道は大変だ。
津田も、もちろん勉強する。けれども、音楽も聴く。エロイカが大好きだ。津田は指揮者の気分になる。だから、数字は3が好きだ。子供の頃から、ラジオの音楽番組をよく聴いてきた。今も聴いている。聴きながら勉強する。けれど、音楽が勉強を妨げるという見解もある。フルヴェンになっていたのでは、勉強なんかできないんだと言う見解だ。
大塚がこの音楽の話を聞いたら驚くだろう。新Y中学の生徒たちは、大塚のように恐ろしく勉強するんだ。しなければならないんだ。新Y規範だ。この行動規範の存在をナチュラルに学ぶんだ。ラインオーバー・イフェクトだ。
大塚が津田に数学のノートを返した。
「何の役にも立たへんかったわ」と言って、津田の机の上にポンと投げた。
津田は、その意味が直ちに分かった。書きまくっていた大塚の国語のノートと違って、ちょっとしか書いてないからである。ラインオーバー流は、大量に書きまくる。
「きちんと書いた別のノート持ってるやろ」とコンティニューした。
「あれしかないけど」と津田は事実を返事した。
「そんなウソついたらあかんわい」と再攻撃だ。
大塚は、数学が苦手なんだと津田は思った。そういえば、もしかすると、黒田さんも数学impotenz共同体の一員だったかもしれない。
バルトロは、幾何学が得意だったから、大塚は、バルトロと共同体を構成することはできない。大塚は、モーツアルトも知らないだろう。あの日、音楽の話は全く出なかった。大塚は、白井さんが歌が上手だと言ったが、それ以上に音楽の話は展開しなかった。彼女は、何を歌うんだろう。モーツアルトか歌謡曲か童謡か。そういう話には全くならなかった。白木さんは、新Y中学校の校区に住んでいるので、ラインオーバーとは無関係で、シンプルに大塚と同級生になったのだろう。この校区にはテンスリー・タウンがある。白木さんの住所がそれと関係があるかどうかは話に出なかったので分からない。
「君は、川西路子さんにふられたやろ」と大塚は言った。
津田は、大塚に返事をしなかった。それは、松本医院の息子の話ではないのか。ふられるためには、付き合ったという事実が必要な構成要件である。それが全くない。
「川西さんはチャーミングやから、いろんな男が迫ってるんや。競争が激しいねん。競争の勝利者のことを教えたるわ」と大塚がニッタリ笑いながら話し始めた。大塚のルサンチマン・フェーデ攻撃だ。空振りのフェーデだ。
「ぼくもイケメンやけど、その男は、もっとイケメンやねん。モア・イケメンやな。ドブメンの君とは世界が違うんや」と攻撃が始まった。
ラインオーバー流報復攻撃だ。大塚の先天的流儀か、中学時代に学んだ流儀か。
「彼の名前は浅野で、スポーツマンや」と大塚が言ったとき、浅野に対する大塚の軽蔑的意図とジェラシーを感じた。浅野はラインオーバーしたが、先天的に勉強の才能がないんだと言っていると直感した。
浅野は、N高校の生徒になっているんだと言う。この高校は有名である。津田も知っている。結果的にスポーツ高校に行くことになる生徒もラインオーバーするんだ。新Y中学に殺到するんだ。
小学校のときに成績が良くなくても、ラインオーバーして新Y中学に入学すると勉強ができる人間になれると両親が考えるんだ。
「浅野の親は金持ちなんだ。家に風呂を作るのを商売にしている。今流行している世間の動向だ。商店街に工事を受け付ける店があるから、見に行ったらどうや。イケメン浅野を見れるかもしれへんぞ」と大塚は、芳雄のジェラシーを搔き立てようとしている。
最近、家に風呂を作るのが流行だ。浅野株式会社は大いに儲かっているんだと大塚は分析する。津田は風呂を作る話は聞いたことがあるが、花川南之町に具体例は存在しないはずだ。みんな風呂屋に行く。ソーシャルミートだ。富永さんと出会ったのは、ナイスミートだったのだ。風呂屋がなくなると、ソーシャルミートが減る。
浅野の店舗は、A駅の商店街にあると大塚が言った。
津田は、子供の頃に京治と一緒にこの商店街を歩いたのを思い出した。京治は、淀川や中津川に関心があったので、関係のある場所を見に行ったのである。京治は、菅原道真の話もした。
そのとき、京治が野球の強い高校が近くにあると言ったのを覚えている。
中学校のとき友達だった福地君がN高校に入学して野球部に入った。野球部員は300人位らしい。同級生の相対的美人の杉山さんの弟は野球が上手で、N高校か別の野球の強い高校を目指していると福地君は言っていた。
高校生になってからは、津田は福地君と出会っていない。浅野と福地君は同級生になっているだろう。野球部の友人になっているかもしれない。
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