披露宴
@TUDALEX
第1話 悪い奴
津田芳雄は、高校時代の同級生だった谷口修一に結婚式のあとの披露宴に来てもらうことにした。祝辞も頼んだ。
津田は昭和二〇年七月十九日に疎開先の能勢で生まれた。バルトークと同じ時代を少し過ごした。家族で住んでいたのは、西淀川区花川南之町の長屋で、父の悟郎、母の久子、久子の父の京治、母のきみ、久子の弟の満寿男の六人が一緒だった。三年後に芳雄の妹の昌子が生まれて、七人になった。さらに数年後に弟の隆雄も生まれて八人になった。六軒続きの長屋の一軒にすんでいて満員だったが、津田は楽しかった。
御幣島幼稚園、柏里小学校、歌島中学校とかよって、東淀川区のA高校に入学した。
谷口とは高校二年生のときに同級生になって知り合った。彼は、加島に住んでいる。御幣島の隣に竹島があり、津田は幼稚園の時に竹島を知った。行ったことがある。幼稚園の友達が何人か竹島から来ていた。竹島の向こうが加島だというのは聞いたが、行ったことはなかった。加島からの友達は幼稚園にいなかった。
父は呉服屋をやっているんだと谷口は言った。自分よりだいぶ金持ちの子だろうなと津田は推測している。彼が剣道部に入っているのも、その推測の根拠の一つである。剣道の道具は高いんだと聞いたことがある。
谷口は津田によく話しかけてきた。それで、親しい友人になった。三年生になったときも同級生になった。親友状態の継続である。
高校の卒業が近づいてきたとき、津田もサイン帳を買って、友達たちに書いてもらった。谷口にも書いてもらった。いろんなことを、いっぱい書いてくれた。親友だという感覚にあふれる文章だった。
大学受験について、谷口は、E大学を受験すると言った。担任教師の甲田が、「君の成績では無理だ」と言ったが、書類は書いた。結果は、不合格だった。谷口は、5点差だったので、合格できてたかもしれないと言って、悔しがった。甲田が5点差は大差だと言ったので、谷口は怒った。
谷口は、二期校のG大学を受験し合格して入学した。
津田は、W大学法学部を受験して合格し入学した。
G大学が東京なので、谷口と話す機会は、ほとんどなくなったが、年賀状のやりとりはしていた。
谷口がロシア語のT教授のゼミに入っていると年賀状に書いてきた。津田は、ドストエフスキーを論じた本のなかでT教授の名前を見た記憶があった。
谷口は、大学卒業と同時に、父親と一緒に琵琶湖の西側にスーパーマーケットを作る仕事を始めた。父親の呉服店はなくすらしい。呉服店をやめて、息子と共同でスーパーマーケットをやる。加島から滋賀県に移っていって、親子で新しい時代の方向に向かったのである。
谷口が葉書に結婚したと書いて送ってきた。相手は、神奈川県出身の女性で、大学のゼミが同じだったので出会ったらしい。ロシア語のT教授のゼミである。
滋賀県で両親と同居している。彼女がスーパーマーケットを手伝っているかどうかは書いていない。
おめでたいことであるから、現金でお祝いを贈った。お返しに陶器の壺が送られてきた。津田は、お礼を書いて送った。
淀川大橋の上の国道を海老江とは反対の方向に行くと御幣島幼稚園や谷口の住んでいた加島があるのだ。芳雄は、鼻川神社に来るといろいろと思い浮かんでくる。谷口は加島を去ったけれど、いろんなことを思い出す。
津田の結婚式の披露宴に谷口が来てくれた。
披露宴の始まる前に、会場の入り口近くで津田は谷口と会った。谷口は、妻と二人の男の子を連れて来ていた。妻に初めて出会ったが、美人だ。二人の子供は双子なんだと谷口は言った。5人で出会ったこのときは、穏やかで楽しい雰囲気だった。披露宴の間は、妻と子供は会場の外で遊んでいるからということだった。
谷口の祝辞が「津田は悪い奴やぞ」と始まったので、津田は、びっくりした。
谷口は、「悪い奴」を説明をした。それを簡単に言うと次のごとくである。
高校三年生のとき、ある模擬試験の直前に、こんどの試験は、お前と俺の成績はどちらが上になると予想するかと谷口が津田に聞いた。津田は、自分が上になると思うと返事をした。けれども、試験の結果は、谷口が上だったのである。これが、津田は悪い奴だと谷口が言う事実関係の要点である。このやりとりの事実は津田の記憶と一致していて、谷口がでっち上げた虚偽ではない。
谷口の祝辞は、この話をしただけで終わった。津田は悪い奴だと言っただけで終わったと言ってよい。
津田は、それまでの試験で谷口より成績が悪かったことはないので、普通に返事をしたという感覚だった。その一回だけ、谷口に負けたというのは事実である。その模擬試験のことを、谷口と話し たというのも事実である。
けれども、披露宴の祝辞で「悪い奴」はないだろうと津田は思った。高校の同級生で披露宴に呼んだのは谷口だけだったのである。
披露宴の2年後、谷口の妻から津田に電話があり、谷口が病気で死んだと言った。白血病だと言った。
このときには、谷口は琵琶湖の西側に住んでおり。谷口の妻も子供たちも一緒に住んでいた。加島とは関係がなくなっていた。
谷口の妻から電話があったのは、葬儀がすんで数日後のことである。高槻から国鉄で谷口の家に向かった。指示された駅から谷口家の自宅に歩いて到着した。大きな立派な和風の家だった。妻に案内されて祭壇に向かい弔意を表明した。谷口の母親が現れて、涙を流しながら谷口の最後を短く語った。非常に悲しんでいる気持ちが現れていた。
部屋を移動して、父親と出会った。小柄でイケメンで、しゃきっとした姿勢の人物である。悲しみの様子を見せずに、事態について端的に説明した。谷口が、体調不良を訴えて病院に行ったところ、直ちに入院しなければならなかったこと、入院から一週間で死亡した事実を説明した。共同でスーパーを大きく展開する予定であったことを強調した。
父親との話がおわり、別の部屋で細君と話した。葬儀にゼミ担当のT教授が東京から来てくれたと言った。細君は、その大先生が東京から来てくれたことに大いに感激しているようである。
津田は、このことをどう理解していいのか分からない。谷口自身が葬儀に呼ぶべき人物を決定していたのかどうか。谷口には、もはや判断能力が欠けていたので、細君が決定したのか。
谷口のロシア語の能力が非常にすぐれていたことがT教授の行動の根本的理由であるかどうか。
津田は、葬儀に呼ばれていない。後日、細君から連絡があったので、滋賀県に行ったのである。なぜ、連絡があったのだろうか。
谷口は、高校卒業のときの津田のサイン帳に褒め言葉をいっぱい書いてくれた。悪い奴を匂わす表現は全くなかった。津田が谷口を披露宴に呼んだ大きな理由である。
津田は、滋賀県から帰って、サイン帳の谷口のページを切り取って細君に送った。けれども、まったく返事はなかった。
いくら歳月が経過しても、津田は、谷口の「悪い奴」を理解することができない。
あの二人の子供は、元気にしているだろうか。
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