あなたの歌を唄わせてください――4

 ――『住善神社じゅうぜんじんじゃ』まで来てほしいの。お願い、できる?


 そのとき、そう問いかけられた僕に、正常な判断をする余裕なんて微塵もなかった。


 結果、僕は自転車を押しながら急勾配きゅうこうばいを上っている。


 住善神社は、文月さんが歌の練習をしていた海辺の公園。そのすぐ近くにある。


 おそらく、文月さんの家はその近くにあるんだろう。


「――お邪魔するの? いまから? 文月さんの自宅に?」


 僕はとても戸惑っていた。


「もしかして、上がるの? 文月さんの部屋に?」


 心臓がバクバクしてうるさい。頭に血が上っている感覚がする。それらがキツい坂道のせいじゃないことだけは、たしかだ。


 僕の緊張はマックスだった。




          ♫  ♫  ♫




 自転車にまたがって住宅地を下っていくと、住善神社の鳥居が見えた。


 その前に、文月さんが立っている。


 僕に気付いた文月さんは、片手を挙げて振り始めた。


 さて。いま僕は、どんな顔をしているんだろう? それすらもわからないくらいアガっていた。ただ一つ、自然な笑顔でないことだけは断言できる。


 自転車のブレーキをかけて、僕はゆっくりと速度を落としていき――


「こ、こんにちは」


 文月さんの手前で止まり、サドルに跨がったままの格好でぎこちなく挨拶あいさつをした。


「こんにちは。いきなりごめんね? 皇くん」

「い、いえいえ。その……本日はお日柄もよく?」

「え? うん。いい天気だね」


 いかん。相当おかしな切り出しだ。ダメだ。ちっとも頭が回らない。


「なんやぁ? ガチガチやなぁ、キミ」

「――はい?」


 不意に声をかけられ、僕は文月さんの隣に立っている、小柄な女の子の存在に気付いた。


 僕の様子を見て小首を傾げているその子は、ちょっとだけ日に焼けた、健康そうな肌をしていた。


 セミショートの髪の毛はポニーテールになっていて、活発そうな雰囲気をかもし出している。


 瞳の色は琥珀色。み渡る美しいライトブラウンは、髪の色とお揃いだった。


 桜色の唇はやや山型になっていて、どことなくネコっぽい印象を受ける。


 目元はややつり気味。


 よくわからない外国語のロゴがプリントされたティーシャツとか、デニムのホットパンツとか、スポーツブランドのスニーカーとか、どうやらボーイッシュ系のファッションが好きみたいだ。


 体付きは細く、胸も控えめ。


 メリハリ女の子ボディーな文月さんとは一八〇度異なるタイプの、けれど、かわいい女の子だった。


「え、ええと?」

「この人が皇啄詩くんだよ、音子ねこちゃん」


 文月さんが、僕のことをその子に紹介する。


「北洋高校一年一組、上野音子うえのねこ。姫の親友や」

「はあ」

「ウチ、もともと関西の人やねん。ちゅうても小学生なる前に引っ越してもうたんやけどな」

「はあ」

「せやから変な関西弁やけど、よろしゅう頼むわ」

「は、はあ」


 上野さんが眉を立てた笑顔を見せながら、早口で自己紹介をした。


 男の子っぽい印象とは裏腹に、コロコロした可愛らしい声だ。キャンディボイスっていうんだっけ? こういう声。


「啄詩にな? ウチと姫から頼みたいことがあんねん」

「はあ」


 明らかにコミュ強な上野さんに、僕はただ「はあ」とだけ繰り返す。


「あのね? 皇くん?」


 文月さんが言った。




「皇くんに、作詞をお願いしたいの」

「――――――はい?」




 あ、「はあ」以外にも口にできたよ、僕。

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