あなたの歌を唄わせてください――3

 原稿はPDF形式のデータに変換して、その日のうちに文月さんのもとへと送った。


 文月さんからは、




『ありがとう、皇くん! スッゴく嬉しい! いまから楽しみです! 早速さっそく読ませてもらうね(≧∀≦)』




 との返信が。


 それから一日経った午後。デスクの横にあるウッディラックの上に置かれた時計は、三時になったことを示していた。


 僕は机の上に教科書とノートを広げ、シャーペンをカチカチとノックして……それをノートの上にポイ、と放った。


「ああー……集中できない」


 夏休みのはじめのうちに課題を片付けて、早々に執筆を開始しよう――そんな僕のプランは、早くも崩壊の危機を迎えていた。


 いや、だってそうでしょ? あの、学校一の美少女。憧れていた高嶺たかねの花――文月さんと、電話番号とアドレスを交換できたんだよ?


 そのうえ、僕と文月さんはお互いの秘密を知っていて、なにより文月さんは、


「僕の恩人だったんだよね」


 上月姫子さん――僕のことをずっと支えてくれていた、誰よりも尊敬する女性だったんだから。


「うぁ、またニヤけてきた」


 頬がゆるむ。なんなんだろう? このむずむずして堪らない気持ちの高ぶりは。


 もしかして、これって長めの夢なんじゃないの? 幸せすぎるんですけど? ラノベを読みすぎて書きすぎて、ついに主人公願望が炸裂しましたか?


 なんてバカバカしすぎる考えを真面目に検討してしまうほど、僕は舞い上がっていた。


 ただ、だからこそ、不安でもある。文月さんに、僕の作品を読んでもらっているっていう現状が。


「大丈夫、かなあ?」


 文月さんに送った作品は、今回の新人賞で一次選考をなんとか通過できたものだ。


 第一次選考における基準は、作品として未熟かどうか。


 つまり、最低限、作品として完成されているかどうか、だ。


 一次選考を通過できた僕の作品は、誰かに読んでもらっても『一応』失望させることはない。そう評されたってことなんだろうけど……。


「やっぱり心配だなあ……」


 僕としては最高に面白い作品を書いたつもりだ。


 けれど、多分、そんな僕の物語は評価通り、『ありきたり』で『説得力に欠けて』いて『スケールの小さい』ものであって……


「はあぁぁぁ……」


 僕は再び大きく吐息する。


 情緒不安定にもほどがあるよね。テンションのスイッチが完全に壊れているよ。


 でも、どうしようもないでしょ?


 文月さんにまで、「あんまり面白くなかったね?」って言われたらどうしようと、延々えんえんと考えてしまうんだから。


 そのとき、机の隅に置いてあった僕のスマホが、ムー、ムー、と震えだした。


 液晶画面に表示される『文月さん』の文字。


 ドッ! と鼓動が跳ね上がる。


 口のなかが渇いて、呼吸が速くなっていく。


 震え続けるスマホ。


 僕はゴクリ、とつばをのみ込んで、震える手でスマホを取った。


「――――文月、さん?」


 僕の声はかすれていた。


『皇くんっ?』


 文月さんの声は明るかった。


 パアっていう擬音がピッタリな、喜びの色をしている。


『スッッッゴく面白かったよっ! 皇くんの作品!』


 その言葉を耳にして、昨日からずっとモヤモヤしていた僕の心に、ようやく平穏が戻ってきた。


 こわばっていた身体から一気に力が抜けて、僕はダラリと肩を下げる。


「よかったぁ……」

『もうね? 三回も読み返しちゃった! 『王宮騎士おうきゅうきし再誕リライジング』!』

「あ、ありがとう」

『特にね? アーサーがエリーに告白されるところがとってもステキだった!』

「――――え?」

『感動したよっ! アーサーの気持ちにエリーが気付いたんだよねっ?』

「う、うん」

『胸のなかが温かくなって――あぅ、お、思い出したら泣けてきちゃった……』


 耳元で聞こえる、クスン、という声が、どこか遠かった。


 そのシーンは、僕が一番想いを込めて、二人の気持ちを伝えたくて、頑張ったシーンだったから。


『ご、ごめんね? 皇くん』

「――ううん」

『あれ? 皇くん大丈夫? 声、掠れてるよ? どうかしたの?』


 言えないよ。嬉しくて涙が溢れちゃったんだ、なんてさ。


「なんでもない。大丈夫だよ。――ありがとう」


 だから精一杯、震える声を抑えて、僕は答えた。


 ありがとう。本当に。文月さん。


『それでね? 皇くん』

「うん」

『お願いしたいことがあるんだけれど……』

「なに?」


 急になんだろう? なんだかわからないけれど、いまならなんだって叶えてあげたい気分だ。


 僕が涙を拭っていると、




『いまから、わたしの家に来られないかな?』

「えっ?」




 全身が硬直した。


 予想外にもほどがある。

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