第19話 ずっと

 地図を片手に式場を探す。都内の、比較的新しくできた式場。そうであれば、結婚式には大層な金がかかるらしいし、けしてひもじい思いはしていないということなのだろう。比奈が私の前からいなくなったことをあっさりと受け入れることは適わないし、それで得た幸せを祝福する気にはならないけれど、充足した生活が送れているということ自体は、私に安堵をもたらしてくれた。


 特に迷うこともなくそれを見つけ、中に入る。知らない人も、顔だけ知っている人もいる。学生時代、比奈と共通の友人はいなかった。共通の知り合いもいないから、一人なのは私だけだ。和気藹々とした雰囲気の中にある疎外感。友達もなにもいなくって、ぽつんとクラスに座っていた私のあの頃を、こんなところで思い出すとは思わなかった。私のために立てられた名札のある席に座る。私のことを考えてくれたのが分かる位置だった。目立たない場所。でも新郎と新婦の座るであろう席からは、視線が通る席。


 始まるのをじっと待つ。やがて司会進行がわっと宣言すると、喧騒を破るようにして新郎新婦がともに、腕を組んで現れた。知らない弦楽の音が会場に静かに響く。


 そっちを見て、息を呑むと同時に、ずっと固く抱き続けてきた、重い感情が揺さぶられるのを感じた。割れるような拍手。頭が割れるような。私はただ座ったまま、動けず、拍手もせず、目を逸らしたいのに、それもできなかった。彼女に注がれる私の視線がどうなっているのか、自分では分からなかった。


 大雨のような拍手を受けて、彼女は照れ隠しに唇を噛んでいた。私はあの表情を知っている。知っているとも。二人でお風呂に入っている時とか、更衣室に二人でいるときとか、布団の中でする顔だ。拍手がやんで一礼すると、比奈がきょろきょろとする。何を探しているのかは分かる。私だ。それを証明するように、目があった瞬間彼女は固まって、しばらくそうしたあと、私に向って小さく手を振った。それに、どう答えればいいのか分からなかった。


 式は進行していく。挨拶とか、紹介とか、主賓による一言とか。つまらない映画を観るときのように無感情に、ただその光景を眺めていた。余興の趣向もよく分からない。ああいうので笑う感性を私は大人まで得てこられなかった。でも、つまらないものを淡々と見ることには慣れている。私はずっとそうして生きてきたのだ。ここに来れば――ここに来たら、虚無感が拭えるかもと、そう思っていた。


 だが間違いだった。これは単なる表面的な催しで、実際の結婚は署名捺印提出の数分で済むのだから、ここに意味はない。私の問題を解決してくれるような場所ではない。でも、そんなこと、最初から分かっていた。分かっていたはずなのに、なにを期待してきたのだろう。馬鹿だった。


 やがて式は一段落がつく。ほとんどの行程が終了し、あとはほんの少しの余興だけ。この合間の時間に、スタッフは食事を片付け、同窓会のようにみんなで懐かしがり、新郎新婦はお色直し。私は立ち上がった。ここには、私のやることはなく、懐かしがる相手もいなければ、求めるものもない。でも職場に行けばやることがあり、顧客がいる。そのほうがよっぽどよかった。千秋を呼んでもいい。さっと荷物をまとめて外に出る。会場の出口を抜けようとした瞬間に、腕が掴まれた。


「やっぱり。帰ろうとするんじゃないかって思ってたの」


 彼女だった。結城比奈。色を抜かれた桜色みたいなウェディングドレスを着て、こんなところで私を待っていた。


「……もう帰ります。呼んでくださってありがとうございました」


「あはは……なんで敬語なの?」憂うような上目遣いが、彼女の白い肌の奥で揺れる。私の腕を掴む力が強くなる。「控室空いてるから、話してこうよ。少しだけでいいから」


「他にも比奈と話したい人、いっぱいいると思うよ」

「いいの。咲良ちゃんの前では、どうでもいいから」


 大人びた彼女。薄く施されたメイクの中に映える茶色の瞳、それがまっすぐに、私を見つめていた。

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