第2話  与知らぬ事態

 嫌な予感がした。職員室が近づくたびに、それは加速度的に段々と。心と足が重くなっていった。

 俺が拾った指輪のことを考えれば、否応なしに。

 職員室の扉を開いて、落とし物カウンターちらりと見ると、そこには男が一人、しかめっ面で指輪とにらめっこしていた。


 カウンターには、指輪の落とし物が、パッと目に入るだけで50くらいはあるだろうか。

 俺の手の中に、見知らぬ指輪が4つ、持ちきれないのでポケットにさらに2つあった。職員室にたどり着く間に6も拾ってしまった。指輪を拾うたびに疑念が湧き、足が重くなった。


 あ。これ、何か嫌な事件に巻き込まれているな? と。

 帰れないパターンだ。

 いくら落とし物だとしても、校内に指輪が、指輪だけがこんなに落ちているものだろうか?

 自分のあずかり知らない間に、物事が良くない方向に進んでいる、嫌な予感がしたのだった。


「あぁ、指輪を拾ってくれたんだね。ありがとう」

 指輪とにらめっこしていた男が話しかけてきた。俺と同じくらいの長身、整った顔立ち、教師の中でも若く、イケメンに属する人だった。

 しかし、悲しいかな。マンモス校だからか、その人が誰なのかはわからなかった。

「えぇと……」

「あぁ。はじめまして、だよね? 私は鶴見つるみ 繕郎つくろう。一年の偶数クラスの社会科を担当しているよ」

 偶数クラスか。それなら知らなくても無理はない。


「一年十一組の試崖こころがけです」

「試崖くんか。ふぅん、君が……ね」


 何か、引っ掛かる言い方をされた。それにツッコミを入れるよりも、明らかにおかしい現状に目が行ってしまった。

「なんなんですか? これ」

 落とし物カウンターにあふれんばかりの指輪。大小さまざまな形があり、色も形もデザインもバラバラだった。手と足、全部の指につけたとしても3人くらいは必要だろうか。自分でも何を言っているか分からない。

 よく分からない状況というのは、言葉にしてみても理解が追いつかないものだ。


「落とし物だよ。君も拾った時に見ただろう。校内のいたるところに、指輪が落ちているんだ」

「どうしてそんなことに?」

「さぁ。でも、多分、私のせいなんじゃないかな」


 はぁ。

 聞きたくないな。しかし、もうこういう流れだ。


  と、俺が聞く流れになってしまった。

 厄介事に巻き込まれたら、アイツに会う羽目になる。


「それは、どういうことですか?」

「どこかに落としてしまったんだ。私の結婚指輪をね。それを生徒たちに伝えて、もし見つけたら拾ってほしいって頼んだんだ。そうしたら、何をどう勘違いさせてしまったのか、色んな指輪が落とし物カウンターに届けられるようになった。生徒たちの、何らかの遊びに火をつけてしまったようだ」


 原因は彼ではないが、発端は彼の落とし物、ということだろうか。

「この変なイタズラはやめてもらいたいんだけれど、なかなか収まってくれない」

「その山のような指輪の中に、先生の指輪は無いんですか?」

「全部目を通してはいるんだけどね、なかなか。さすがに結婚指輪と、生徒たちが落としたものとは全然違うものだけれど、ここまでたくさん指輪が落ちていると、目がちかちかしてくるよ。君が拾ったものも一応見せてくれないかな?」


 俺は6つの様々な種類の指輪を手渡した。

「あっ! ……いや、違う……な。形はそっくりだけど、刻んでいる文字が違う。私のものは『Oct.12 T.T&Y.K』なんだ。ここまでそっくりなのは初めてだな……。でも、サイズが小さい。これは女性のものだろうね。……なんて、もう2週間近く指輪を探しているよ」


 思わず差し出された指輪を受け取った。

 俺が拾った指輪には、『Oct.12 T.T&.K』と彫ってあった。一文字違いか。パッと見なら間違えてしまいそうだ。他にも誰か落とした人がいるかもしれないな。

 結婚指輪を? そんな馬鹿な。


「私が結婚指輪を無くしてしまったのは、恐らく先月の、中間テスト後の社会科の補習のときだと思うんだ。一応その教室は何度も見て回ったんだけどね……」


 2週間でたまった指輪が60個近くもあるという。相当な数だ。一年の社会科担当という話だが、他の学年の校舎にも落ちていたりしたのだろうか。

 いくら不注意で蹴っ飛ばしてしまったとしても、渡り廊下をうまく渡って、隣の校舎までは行かないだろうから、隣の校舎で落とした人は一年生ではない可能性もある。


「多分、生徒はおろおろと困っている私を見るのが好きなんだろう。いち早く本物の結婚指輪を見つけ出して、このイタズラを終わらせたいものだよ」

「そうですね。そうなるといいですね。じゃあ、俺は失礼します」


「君は、あの『ツバキノミネート』の部員って話を聞いたんだけど、本当なのかい?」


 職員室を後にしようとした背中に、一番聞きたくない言葉が突き刺さった。


『ツバキノミネートの部員』。


 一年十一組、試崖。という名前は既に、『ツバキノミネートの一員』として教師たちにも知れ渡っているということか。俺に逃げ場はなかった。


「10分ほど、待っていてもらえないかな。今、アレを作って渡すよ」

「アレって何ですか?」


 聞かなくても分かってはいたが、少しでも自分が帰れる可能性を模索した結果、いらぬ質問をしてしまった。

「『推薦状』だよ。彼に渡してくれないか」


 ◆


             推薦状


 拝啓

 雨に濡れ、木々の緑も深みを増すこのごろ、ご機嫌いかがでしょうか。


 さて、早速となりますが、校内に形も色も材質もデザインも違う、大小さまざまな指輪が落ちている現状をご存知でしょうか。

『結婚指輪を落としたので、もし落ちていたら探してほしい』という旨を生徒たちに伝えたところ、何を勘違いしたのか落とし物を増やすイタズラを行なっているようです。


 このイタズラを止めて、そして、落とした結婚指輪を見つけてくれないでしょうか。


 校内を探すだけで一学期が終わってしまうほどの広さです。生徒たちをこれ以上私事に巻き込みたくもないので、できるだけ秘密裏に見つけ出してほしいのです。そういった事情もあり、ただの落とし物探しではありません。この難題を解決してくれる者が早急に必要です。


 二年一組 橙井 壱を推薦します。


 数々の難題を解決してきた彼こそ、最もその信頼にこたえてくれる人物です。

 必ずや、指輪を見つけ出してくれるものと信じています。


 それでは、梅雨入り間近ですが、どうかお健やかに過ごされますように。敬具。



二〇二一年 六月 九日

鶴見 繕郎




 ◆


「それでどうかな」


 きちんとした文書だ。これならアイツも受理するに違いない。

 この文書を俺が握りつぶしてしまえば、その限りではないが。


 しかし、困っている人物を見て見ぬふりはできない。

「わかりました。届けておきます」


「君も、巻き込んでしまってすまないね。宜しく頼むよ」

 そう言うと、鶴見先生はまた60個弱の指輪を観察する作業に戻った。


 気は進まないが、やるしかない。ツバキノミネートの部室に向かうことにした。

 各学年12クラスまであるこの椿ノ峰高校の、本来存在しないはずの『二年十三組』の教室を部室として使っている。

 その場所は誰にも分からない。『ツバキノミネートの一員』である、俺たちにしか分からない。

 だからこそ、依頼をするには掲示板に張り出すか、一員から直接『推薦状』を手渡してもらうしかないのだ。


『誰もが知っている』くせに、『誰も知らない』ところで活動している。その点が都市伝説のように、様々な尾ひれが付いて、噂話のような扱われ方をしている所以なのかもしれない。


 職員室を出て、二年の校舎の方をみた。

 今月もまた、すんなりとは帰れなさそうだな。

 はーあ。


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