エースはまだ自分の限界を知らない[4.5 WBC編]
草野猫彦
第1話 ドリームチーム
完璧な投手、パーフェクトピッチャー、超絶技巧、マシーン、精密機械、ミスターパーフェクト、バグ、チートなどと、色々な呼ばれ方をしてきた直史であるが、最近ネットでは魔王と呼ばれていることが多く、壮行試合の後からは大魔王と呼ばれることが多い。
本人としては心外以外の何物でもないのだが、プロの選手からさえ「悪魔のようなアイツ」とか「悪夢の化身」とか呼ばれているのを知った時は驚いた。
いやあんたら、上杉とか大介とかを見てるじゃないか、と言いたいところである。
あちらはあちらで、王とか神とか破壊神とか超人とか鉄人とか、色々と言われていたりする。
なお大介が最も嫌う呼び名は、小さな巨人である。小さいって言うな。
荷物をまとめた直史と樋口は、日本代表の宿舎にやってきた。
WBCが始まる三日前に合流するこの泥縄な感覚は、ワールドカップを思い出す。
あの時と同じメンバーが、大介、織田、玉縄、福島と四人もいる。
他にも同窓であると、上杉正也、島、井口、がそうである。
今年がプロ三年目なのに、WBCに召集されているのが四人、四年目が三人。
その一個上だと上杉勝也一人しかいなくなってしまうのだが。
だいたいの年齢層は、20代の半ばから後半だ。
しかしそれぞれのポジションに、一人は30代のベテランが入っている。
ただ、年長者だからと言って、リーダーポジションとは限らない。
さて、今回のWBCの話をしよう。
21世紀になって、五輪競技から野球が削られるのを補完するため、などとMLBは言っているが、実際は金儲けの絶好のチャンスと見て、MLBはWBCを創設した。
むしろ野球単体で利益が出ると確信したために、五輪から野球を外させた疑惑まである。
赤字が出たら補填するなどと言っているが、日本があまりにも主導権を握ろうとするMLBに対し、不参加を表明していたところ、これで大会が失敗したらお前らのせいだから賠償を請求するなどと言っていては、お里が知れるというものである。
自信満々だったのか、それとも侮っていたのかは分からないが、第一回と第二回の大会を、日本が連覇したことは単純に事実である。
記念すべき第一回、優勝はおろかベスト4にすら入れなかったアメリカは、いったい何を考えていたのか。
そもそもこの時期の大会は、他の時期にもやりようがないとは言っても、日本もアメリカもプロのキャンプ中である。
ほとんどのMLBのオーナーはWBCへの自球団の選手の参加を快く思っておらず、今回などはMLBの日本人選手が一人も参加しないという事態になっている。
アメリカの高給取りの、つまるところFA権を持っているぐらいのメジャーリーガーは、誰も出場したがらない。下手をすれば長期契約などを結んで怪我などをすれば、契約の罰金さえありうる。
これで怪我をして失う収入を考えたら、不参加を選ぶのも当たり前のことである。
日本はまだ、アメリカに比べると国への帰属意識が、低いようでいて高いのだ。
参加するのは20の国。
前回の大会からシードで本戦から出場出来る国があって、残りの枠は去年に行われた予選で既に決定している。
20の国を四つに分けて、五つの国によるリーグ戦を行い、その中の一位と二位が勝ち抜きで決勝トーナメントに進み、準々決勝、準決勝、決勝と戦うことになっている。
プロのプレイオフのシリーズでは、勝ち星を先にどれだけ上げるかで優勝が決まることと比べると、明らかにWBCの仕組みの方が異質なのだ。
日米野球でさえ複数回の試合をするし、これほどトーナメントが重要になるのは、それこそ日本のアマチュア野球ぐらいではないだろうか。
ただこれもまだ暫定的なものであり、集客力が最大化する方法を、MLBは考えているだろう。
実は決勝だけは、プレイオフのように複数回の試合で勝者を決めようという案もあったのだ。
しかしこれは先に連勝で優勝が決まってしまうと、試合の回数が減る可能性がある。
その時のための労力なども考えて、やはり一発勝負と決まったわけだ。
日本は開催国の一つである。
中国、イタリア、オーストラリア、キューバの四つの国と戦って、この五チームのうちの上位二チームが、決勝トーナメントに進むことが出来る。
「なんでよりにもよってキューバが一緒かね」
などとは何度も言われるが、世界ランキングでは現在、日本は実はアメリカを抜いて一位となっており、そこに五位のキューバが入るのも不思議ではない。
もっとも近場なのだから、アメリカの方のグループに入れてくれとは思ったが。
かといって近場という理由で、韓国などが入ってきても大変になる。
韓国は韓国で三位であり、それが台湾開催のグループに入れられているのも、気の毒と言えば気の毒だ。
台湾のランキングは四位である。
順当な実力どおりに勝敗が決すれば、日本とキューバが勝ち進む。
だがイタリアもオーストラリアも油断できる相手ではないし、中国もそれなりに最近は強くなってきているのだ。
もっとも中国は相変わらず、個人のスポーツの方が強い。
金のかけ方が、合理的と言えば合理的だ。スポーツ全体を底上げするのではなく、個人の選手に投資するのであるから。
かの国ではいまだに、スポーツのショービジネスのマーケットは大きくない。
第一ラウンドになるリーグ戦は、実は球数制限が決勝トーナメントよりもかなり厳しい。
まず最大で80球までしか投げられず、しかも50球以上投げたら中四日、30球以上でも中一日は空けなければいけない。
そしてそれ以下の球数でも、連投は二日まで。もっともこれはリーグ戦が三連戦になる組み合わせがないので、当初の想定と大会の日程に変化があったのだろう。
決勝トーナメントでは最大の球数も100球まで増やされるが、他の制限は同じである。場所はアメリカのロスアンジェルス。
準々決勝は一日二試合を二日、準決勝は一日に一試合で二日をかけ、決勝は準決勝の第二試合から一日の休養日がある。
おそらくピッチャーの運用で、どのチームが優勝するかは決まる。
ぶっちゃけ上杉をちゃんと決勝に温存できるかどうか以外に、特筆すべきことは何もない。
それとリーグ戦においては、コールドが存在する。
五回15点差、七回10点差と、日本でよく使われるよりは厳しい基準だが、各国の実力差を考えれば、まずまず妥当なところである。
リーグ戦の順番であるが、よりにもよってと言うべきか、幸いにもと言うべきか、日本は初戦がキューバ戦である。
相手のデータは集まっていないが、上杉を使って試合期間を空けることが出来る。
強いチームに当たるのが、早い方がいいのか遅い方がいいのか。
既にデータが多く出回っており、相手が対応してくるであろう日本などの場合は、確実に勝てる相手と先に当たり、強いであろうチームとはデータが揃ってから当たりたい。
そう思えばキューバとは、先に当たった方がいいのか、後に当たった方がいいのか。
野手において、つまりバッティングにおいて高い評価のあるキューバであるが、この場合は先に当たっておいた方がいい。
上杉を使えばほぼ自動的と言ってもいいぐらいに、投げてる間は完封出来るからだ。
後に当たるとなると、決勝トーナメントは日程があるため確実に準々決勝に投げられるが、第一ラウンドのリーグ戦では、苦戦した試合に上杉を使ってしまう可能性がある。
上杉をキューバ戦で使い、二戦目と三戦目は使えないと、最初から設定しておく。
精神的なものであるが、これで迷いなく采配も振るえるし、他のピッチャーも覚悟が決まるだろう。
ただキューバも相手が日本であるだけに、強いピッチャーを出してくる可能性は高い。
ならばコールドなどはとても狙えず、他にもピッチャーを一枚、展開によっては二枚以上使わなければいけなくなる。
直史は相手のデータが出揃っている方が、力を発揮するタイプのピッチャーだ。
初戦で使うよりは、他の試合で使った方がいい。
またワールドカップや大学のリーグ戦なども見るに、クローザーにもかなり向いてはいる。
グラウンドボールピッチャーとフライボールピッチャーの間を好きなように移動し、どんなバッターでも手玉に取ってしまうのだ。
日本代表の連繋は、かなり上手く取れている。
守備に関しても打撃に関しても、共通のイメージがやはりあるからだ。
そしてスターティングオーダーもおおよそ決まってくる。
1 (中) 織田 (千葉) 言わずと知れた千葉の牛若丸。その出塁率や打率は知られていても、決勝打の多さはあまり知られていない
2 (二) 咲坂 (埼玉) トリプルスリーを残した埼玉の鉄壁二遊間の一方。これを二番で使う贅沢さ
3 (遊) 白石 (大阪) 説明不要
4 (三) 南波 (福岡) 強打者揃いの福岡で、助っ人外国人と四番の座を争う男。今年もホームラン王だ
5 (D) 尾崎 (神戸) 四番の後にこの強打者がいることが恐ろしい。今年もホームラン王争いの強力な対抗馬だ
6 (左) 井口 (巨神) 名門タイタンズにおいて二年目にてクリーンナップ。今年もさらなる飛躍はなるか
7 (一) 冬川 (中京) ストレートの料理はお任せ。助っ人外国人ピッチャー殺し
8 (右) 渡辺 (広島) 対応力は球界屈指。全く油断は出来ないバッターだ
9 (捕) 山下 (北海道)打てるキャッチャーの代表。そして若手キャッチャーの代表でもある
だいたいどこからでも点を取れる打線であるが、一応大介の前には特に、出塁率の高い選手が入っている。
走力ではやや尾崎が劣っているが、だいたい他はどのバッターも、年間に10個ぐらいは盗塁をするイメージがある。
まあ、三番に盗塁王付きの三冠王を据えている時点で、悪魔のような打線ではあるのだが。
そして、そのままDHを使わずに打順に入った方がいいのではという疑惑もある上杉が、キューバ戦の先発である。
80球以内で完投するのは不可能であるため、その後に誰を持って来るかは重要な問題だ。
どのイニングまで投げられるのかにもよるが、リリーフ適性としては福島だろうか。
ただイニングの途中からとなると、あまり福島はそういった使われ方はしていない。
ピッチャーは13人いるため、誰と誰を組み合わせて使うかは、重要な問題である。
だが上杉の後を投げるなら、下手な速球派を持っていくのは、相手にとってかなり打ちやすくなるだろう。
「いきなり佐藤試してみよか」
島野の大胆な発言に、他のコーチたちは驚くが反対はしない。
大学生のバッテリーを招集したのは、一応は相談はしたが島野の決断である。
早めにその実力は、確かめておきたいのだろう。
ちなみに第一ラウンドのリーグ戦と第二ラウンドの決勝トーナメントの間に、ピッチャーだけは二人の交代が許されている。
たぶん大丈夫だとは思うが、もしも通用しなかった時には、入れ替える必要がある。
おそらく、日本中の野球ファンが待っていた。
上杉と大介が、同じチームでプレイする。
もちろんオールスターの時も、セで同じチームに入ってはいたが、オールスターはあくまでお祭りである。
日の丸を背負って、同じユニフォームを着て、世界を相手に戦うのだ。
東京ドームを超満員にして、開会式が行われる。
さすがに国際大会なので、下手に長い挨拶などはない。
NPB側からも選手会の代表などが出て、スポーツマンシップに則って、正々堂々と戦うことを宣言する。
三カ国のチームがグラウンドを後にし、そして日本とキューバのみが残る。
開幕試合だ。いい勝負が見れそうである。
国際大会ということで、両チームの選手が並び、双方の国歌が流れる。
満員の観客。そして応援団もいるが、この間は粛々と静まり返っている。
この試合前の統率された礼儀正しさに、他国の選手はプレッシャーを感じることも多いらしい。
拍手の中、先攻のキューバチームはベンチに戻る。
そして日本のマウンドに立つのは、最強ピッチャー上杉勝也。
一度でも出来たら凄いノーヒットノーランを三度達成し、しかも一回は完全試合。
今年でまだ五年目の超人は、日本の期待の全てを背負っても、全く動じないのだろう。
始球式に出てきたのは、小柄に見える少女。
いや実際は日本女性の平均よりは背が高いし、童顔なだけでそろそろ女性と言った方がいい年齢なのだが。
『始球式は世界女子野球選手権大会MVP、権藤明日美さんです』
野球用にポニテにまとめた髪が揺れる。
同じく日本代表のユニフォームに身を包んだ彼女に対して、野太いものと黄色いものの、二種類の歓声が湧きあがる。
照れ笑いをしながら手を振る明日美。それに対して上杉はボールを渡す。
(まあ、驚くだろうな)
ごく普通にこの様子を見ているキューバチームであるが、さすがに女子野球の日本の状況などは気にかけていないだろう。
キューバは確かに野球が盛んだが、女子野球はマイナーだ。
そして女子野球において日本は、とにかくぶっちぎりで世界最強である。
マウンドの上で振りかぶり、しなやかな連続した動作で球を投げる。
そのボールの速度に慌ててキューバのバッターは振りにいくが、もちろん空振りである。
球速表示は140kmが出ていた。しっかり肩を作ってきてよかった。
キューバは球速はマイル表示に慣れていて、日本も世界基準に合わせて、両方の表示が交互に出るようになっている。
上杉よりもまず先に、明日美がキューバの度肝を抜いた。
これから打つのは、それよりもずっと速い、鬼のようなストレートなのだが。
にっこりと上杉に笑顔を向けた明日美は、スタンドに手を振って、マウンドから去る。
キャッチャーの山下からボールを受け取った上杉は、にっかりと笑った。
始球式の一球だけで、よくもまあ盛り上げてくれたものだ。
一度バッターボックスを外したキューバのバッターが、明らかに混乱していた。
「さて、やるかあ」
上杉が本気になった。
×××
※
第一ラウンドのグループ分け
A組 日本 キューバ 中国 イタリア オーストラリア
B組 台湾 韓国 オランダ スペイン イスラエル
C組 アメリカ カナダ ドミニカ コロンビア 南アフリカ
D組 メキシコ プエルトリコ ベネズエラ イギリス ニカラグア
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