第4話 継承

 ……どうなってんだ。あり得ない。これは夢だ、夢でなくてはならない。

 俺は目の前の光景が到底信じられなかった。


 生物、なのだろうか。

 大きさは2メートル前後。顔面と掌、足首から下以外は真っ赤な体毛で覆われ、4本ずつある手足の指からは20センチほどのかぎ爪が生えている。頭の形は犬や狼の類に似ており、4つの血走った青い目が眼がぎょろりと光っていた。

 何より異様なのは口だ。こいつは犬みたいに鼻と口が顔から突き出ているが、その長さは50センチもある。口だけ見れば、完全にワニだ。

 そいつは自身の身体に無数に巻き付いている鎖を引き千切ろうと、涎を吐き散らかしながら暴れている。この光景を一言で表すのならそれはまさに、悪夢というほかなかった。


『さて、もう一度言っておこう』


 腕組みをしながら壁にもたれかかっているサザデーが話かけてくる。


『ここは、君がこれまで過ごしてきたのとは別の世界だ。この化け物が、そのことを示す証拠のひとつだと思ってもらおう』


 この時。俺は彼女のその言葉に、妙な違和感を抱いた。うまく説明できないが、何かモヤモヤする。しかし考える暇も与えず、サザデーは続けて言った。


『こいつは魔狂獣ゲブ・ベスディアという生命体でな。見た目からは哺乳類の1種と思うだろうが、その凶暴性は狼や熊なんぞの比ではない。一切の知性を持たず、視界に映った人を喰らうという本能のみで活動している』


 ……なんだ、そりゃ。やっぱり話が全然見えないぞ……。

 俺はまだ信じてはいない。目の前にいるこの化け物が、ホログラムによる立体映像の可能性も考えている。しかし先ほどまでとは違い、半信半疑の域には到達していた。

 その根拠のひとつが、この尋常ならざる恐怖だ。さっきのサザデーに対するものとも違う、これまでに感じたことのない恐怖。大きさという意味ではない、恐怖の種類がまるで違う。食物連鎖の頂点に立つ人間という種族であれば、生涯抱くはずのないもの。ハエがカエルに、カエルが蛇に、蛇が鷹に対して抱くもの。そう。これは自分たちの種族を脅かす存在、いわゆる『天敵』へ向けた、本能的かつ根源的な恐怖だった。

 

 額の汗を拭う。俺は乱れていた呼吸を整え、震えを抑える。少ししてから、サザデーに言葉を投げかける。


『……いくつか、質問してもいいですか』


『なんだ』


『ここが俺のもといた世界じゃないって言うんなら、なんで俺は今あんたとこうして話ができているんですか。あんたが喋っているのは、間違いなく俺の生まれた国の言葉だ』


『……今私が使っている言語が君の世界でなんと呼ばれているかは知らないが、歴史書が示すところによれば、この世界では3000年以上前からこの言語が使われている。今ではほぼ全世界共通だ。偶然、というしかないな』


 気のせいか答える際、彼女が少し目を泳がせたように見えた。

 なに、ひとつの言語が世界共通? そんな馬鹿なハナシがあるか! 地球上にだって200近くの国があり、言語に至っては主要なもので20、細かいのも含めると7000種類以上あるんだぞ!? それがなに、世界共通!? だいたいここが別の世界だっていうのなら、その世界独自の言語がなきゃおかしいだろ! 

 また思考の沼に嵌りかけるが、こんなところでつまずいていたんじゃ一向に話が進まない。質問を続けなければ。


『……次です。なぜ、転移させる対象を俺にしたんですか。何かわけがあるんですか?』


『それは大きな勘違いだな。別に君という個人を選んだわけではない。発動した転移魔術に、偶然君が引っかかっただけだ。運命のいたずら、というやつか』


 また偶然!? いよいよ無理がありすぎるだろ! 転移させたのがたまたま俺という日本人で、この世界の公用語もたまたま日本語と全く同じものだったってのか!? どんな確率だよ! くそォどんどん分からなくなっていく!


『じゃ、じゃあですよ。そもそもの質問ですけどね。なぜ別の世界から人を転移させたんですか。その理由はなんです』


 それを聞いた途端、サザデーの眼がぎらりと光った。


『そう。それを1番聞いて欲しかった。まずはこれを見てくれ』


 サザデーが指をパチンと鳴らす。その瞬間、彼女の手元が輝きを帯び始め、そこに光の球が現れた。

 なんだ? かすかだが見覚えがあるぞ。直径は80センチくらいみたいだ____


『……あ、ああっ!』


 思い出した! 俺は、これに触ったんだ! 竹藪の中にあったこれに触ろうとして、それで中に吸い込まれたんだ! そうだ、そうだった!

 ……あれ。俺はなんで竹藪なんかにいたんだ? さっきこの人が言ったことによれば、俺がこの光の球を見つけて転移させられたのは運命のいたずら、偶然らしい。でもそれじゃあ変だ。あんな夜遅くの真っ暗な竹藪の中を、偶然通りかかったなんてことがあるわけがない。……思い出せない。俺は、なんであんなところにいたんだろう。


『そう、こいつはお前を転移させたもの。次元に穴を開けることができるほどの巨大な魔力を、極限まで凝縮したものさ。ちなみに魔力というのは、魔術を使うために必要なエネルギーのことだ』


 不意に、彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめる。


『ここに来るまでに話したろう。君はこの世界で2人目、500年ぶりの転移者だと。この魔力は、君の先代の転移者がその身体に宿していたものだ』


 ……あれが、ホントの話だってのか……?


『およそ500年前のある日。当時を生きていた某人物がとある文書を発見した。作者は今でも不明だが、そこには転移魔術に関することと、そして異世界、つまり君のような異世界人に関する、ある情報が記載されていた』


 なんだ。なんだかすごい話になってきたぞ。


『書いてあったことは簡単に言うとこうだ。君たちが暮らす世界にはここと違って魔術の概念が無く、そこに生まれた人間の身体に魔力を注ぎ込むと、魔力がその者の体内で爆発的に増幅するのだ、といったところか。その仕組みやらなんやらも書いてあったらしいが、すまんが私は小難しいことは分からん。とにかく、それを読んだ500年前の某人物がその記述に従い実際に異世界人を呼び寄せて魔力を譲渡すると、その魔力は本当に何十倍にまで膨れ上がったらしい。その異世界人というのが初代、つまり君の先代の転移者であり、ここにあるこの魔力の塊はその先代が譲渡され増幅させたものだ』


 サザデーは自分の右掌の上に浮かんでいる光球を指差して説明し、俺は彼女の言うことに必死についていく。ただでさえよく分からない状況なのに、説明を聞き逃してこれ以上頭が混乱するなんてのはまっぴらだ。


『そして、転移魔術の発動条件。これは実にシンプルだ。一定以上の大きさの魔力を保有する者が死んだのと同時に、それは発動する。転移魔術を初めて行使した時は、この世界に住む1万人近くの人々を犠牲にしてやっと発動できたそうだ』


『は?』


 待て、おかしい。今の説明には、決定的におかしな点がある。


『……俺は2人目の転移者なんですよね?』


『そうだ』


『で、最初の転移者が来たのが、今からだいたい500年前?』


『そうだ』


『……質問です。その人が死んだのは、いつですか?』


『今から10日ほど前だな』


 おい、いい加減にしてくれよ。

 今の返答からつまり、俺の前に転移したその人は、この世界で500年もの間生き続けていたことになる。500年前! 日本は戦国時代の真っ只中。種子島に鉄砲が伝わり、カッパ頭の宣教師がゾロゾロと押しかけ、全国の武士たちがすったもんだを繰り返していた激動の時期だ。そんな時に生まれた人が、つい10日前まで生きていた!? もうメチャクチャだ。ミステリーを通り越してホラーの域だよ。


『……なるほど。そこに引っかかるということは、君の世界の基準でも500年の寿命というのは異常なのだな』


 彼女は俺の考えていることを察したらしい。


『まぁそれは置いといてだ。長々と話してしまったが、私が求めていることというのはつまり____』


 彼女は再び、自身の右手にある光球、もとい魔力の塊とやらを指差す。


『君に、この魔力を継承してほしいのだ』

 


* * *



 ? とはならなかった。分かってたよ、言いたいことは。話の流れからだいたい予想できていたさ。


『継承して何をしろっていうんですか』


『ざっくり言えばだ。私たちの仲間になり、そこにいるような魔狂獣、および私たちの敵である者共と戦ってもらう』


『……戦う? どうやって?』


『無論魔術を使ってだ。魔力が体内に入れば、君もこの世界の人類と同じように魔術を使えるようになる。詳しいことは継承した後に教えよう』


 俺はまた、暴れている化け物をチラリと見る。

 冗談じゃない。あんな得体の知れないヤツと、得体の知れない力を使って戦えだって? はい分かりましたやります、なんて言えるわけがないじゃあないか。


『ああ、もし君にその意志がないのなら、今すぐもとの世界に帰してやる。この光の球があるうちは、次元の穴は開いた状態にあるらしいからな。来た時と逆方向に行けばいいというわけだ』


 帰れるの!? それを早く言えよ! もはや考えるまでもない。こんな意味分からんところに連れてこられただけでも災難だってのに、この上化け物やらなんやらと戦わされるなんてふざけてる。仮に魔術とやらが使えたとしても、あんな恐ろしい怪物を倒せる気はしない。時間の無駄だ。さっさと帰してもらおう。

 俺はその旨を彼女に伝えようとした。



『そうそう、それともうひとつ。君が継承するこの魔力は今の段階でも相当巨大だが、こいつは君の身体に入ればさらに数十倍に増幅される。そうなれば君は魔導士として、この世界でも3指に入る戦闘力を手に入れることができるだろう』



 吐きかけた言葉を、喉元で止める。

 ……なんだ。この人今なんて言った。世界で3指?

 俺の目の色が変わったことに気づいたのか、サザデーは僅かに口角を上げた。



『究極の力、というやつだ。おそらくこの世界の天才共が赤子同然に見えてしまうほどのな。魔狂獣も並大抵のレベルであれば勝負にならないだろうよ』



『……』


 揺らいで、いる。これまで考えて来たことのほとんどが頭から蒸発して消えていき、俺の心は、こんなあからさまな誘惑の言葉に大きく動揺していた。

 しかしなんとか持ち直す。こんな上手い話があるはずがないのだ。動揺を掻き消すため、俺はまたひとつ質問をする。


『……そんなにすごい力を、俺みたいな見知らぬ者に簡単に渡すはずがない。分かったぞ。あんた、俺を利用したいだけだろ。1度俺に魔力を継承させて、俺の体内で増幅させた魔力を再び奪う。俺を殺すかなんかしてな。そういうつもりなんだろう?』


 しかし俺の予想に反し、サザデーは全くうろたえる素振りを見せずに答えた。


『そんなことはせん。というより、できない』


『できない……? どういうことですか』


『私を含めこの世界の人類は皆、一部の例外を除いて生まれつきその体内に大なり小なり魔力を宿している。魔力というのは遺伝子レベルで固有のものでな、自分以外の者の魔力を無理矢理体内に入れてしまった場合、身体は重篤な拒否反応を起こし、最悪死に至る。例えるならこれは血液型がAの者に対し、B型の輸血を行うことと同じだ。魔力継承は、君のような生まれつきの魔力を持たない者に対してのみ可能なのさ』

 

 この話が本当かどうかは分からない。しかし彼女の堂々とした答え方に、俺の心はいよいよ激しく揺さぶられる。



 生まれてからずっと、俺は負けてばかりだった。どれだけ努力を重ねても、どんなに勝利を願っても、天才に追いつくどころか凡人にすら見下される。世間の言う『普通』にすら、俺は満足になることができない。

 人は、数字などに示された明確な『結果』を出して初めて、称賛の言葉を贈られる。たとえ血反吐が出るまで頑張ったとしても、勝てなければ、『結果』出さなければ、そいつは出来損ないなのだ。

 両親ですらそうだ。物心ついた頃からずっと、両親は俺が出来た部分を褒めるのではなく、出来なかったところを突っつくことばかりした。


 ……もとの世界に戻って、どうするんだ。またあの毎日を繰り返すのか。母親には罵られ、父親からはいないもの扱い。敗北感に埋もれるだけの日々。

 もしかしてこれは、チャンスなんじゃないか。運命のいたずらではなく、天から与えられたチャンスなんじゃないのか。

 帰るのか。帰っていいのか。こんな幸運……2度もあると思うか?



『……本当なんですね……?』


『なにがだ』


『とんでもない力が手に入るっていうのは、本当なんですね!?』


 食い気味に聞き出す。呼吸と鼓動がまたも早くなる。しかし今回のは恐怖ではなく、興奮によるものだった。


『ああ、間違いない。保証しよう』


 掌が汗でじっとりと滲み、俺はそれを固く握りしめる。呼吸がこれまでで1番荒くなり、全身がぶるぶると震えだす。


『ただ分かっていると思うが、魔力を継承してしまったら君はもう2度ともとの世界には帰れないぞ』


 分かっている。帰れなくなる。あの世界に、あの環境に、あの家に、あの人間関係に。俺は、これまでの人生の全てを失う。

 失う? はっ、何言ってんだ俺は。俺が生きてきて何かを生み出したことなんて1度もないだろうが。家族はいる。友達もいる。でも、俺なんかがいてもいなくても、別に何も変わらないんじゃないのか? 


____そんなことじゃ、一生負け組のままよ


 うるせえ。そんなのごめんだ。負けっぱなしはもうたくさんだ!



 深呼吸をひとつし、サザデーの目を見る。


『……魔力をください。俺は、この世界に残ります』


 彼女の表情はほぼ変わらない。しかしほんの一瞬だけ、哀れむような目つきをしたように見えた。


『……その決断に、感謝する』



 その瞬間、サザデーの右手にあった光球が勢いよく弾け、10数の光の筋に分離する。それらはそのまま俺の胸に向かって次々と猛スピードで突っ込み、身体の中に溶け込むようにして消えていく。やがて、全身がぼんやりと光を帯び始めた。

 

『改めて歓迎しよう、ユウヤ君。我々の世界にようこそ』


 サザデーが言葉を終えるのと同時に、俺の身体の輝きは消えた。









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