命を絶たせて、肉を切る

@miyabi1945

プロローグ

 そこはとある小山の中、標高150メートルほどにある広い場所だった。小さく見積もってもサッカーコートの5倍はあるであろうその場所は、その表面の全てを芝生で覆われている。いや、ついさっきまではそうだった、と言うべきか。

 その敷地の中央が抉れているのだ。大きさは直径50メートル、深さは10メートルといったところか。穴からは黒煙が立ち昇り、沈みかけている太陽の光を遮っていた。


 そうしてできた影の中に、人がいる。

 1人は女性。かなりの大柄だ。外見から察するに、年齢は30代あたりだろう。長く絹のように滑らかな黒髪をポニーテールにした、白い瞳の人物だった。

 もう1人も女性。こちらは身長が160にも満たない小柄な体型で、年齢は最大でも10代後半。橙色の髪をふわりとしたボブカットにしている。

 最後の1人は男性。が、この者だけ明らかに異常だった。

 少し強めの癖を持つ黒の短髪。170ほどの背丈。歳は片方の女性と同じく10代後半あたり。筋肉質でもなければ、肥満気味でもない。人間という種族の男性としては模範的なほど、ありふれた外見をしている。異常というのは容姿云々の話ではない。この青年の現在の状況を指している。


 青年の右腕は、折れていた。肩から手首にかけた部分が強く絞った後の雑巾のようにねじ曲がり、所々の皮膚が裂けている。青年はその激痛を少しでも紛らわせたいのか、額を地面に押しつけてうずくまっている。苦痛でぐちゃぐちゃに歪ませたその顔からは、涙と鼻水が滝のように流れていた。

 

『……や〜れやれ、また失敗か』

 

 その様子を少し離れた位置から見ていた黒髪の女性が、ふぅ、と息を吐きながら呟き、その傍ら、ボブの少女が慌てて青年のもとに駆け寄る。


『ユウヤさん安心して! すぐに痛みは無くなりますから!』

 

 少女は青年のそばにしゃがみ込み、両手で彼の右腕に触れる。そして少し探るような手つきをしたと思ったその時、彼女の掌が光を帯び始めた。それはたちまち青年の右腕全面に拡がり、やがて自分たちのいる煙の影の中までをも柔らかに照らし始めた。

 しばらくすると、青年の右腕に変化が現れた。出血が和らぎ、続いて裂けていた皮膚が少しずつ塞がっていく。腕の捻れも緩みつつある。治っているのだ。少女の手から発せられる光に触れた傷が、癒されていっているのだ。


 日がいよいよ地平線の向こうに消え始める。

 

 ユウヤ、と呼ばれたその青年に対し、遠巻きに治療の様子を眺めていた黒髪の女性が歩み寄って口を開く。


『全然駄目だな。まるで制御がなっていない。今回は骨折だけで済んだからよかったが、こんなことを続けていたんじゃいずれ腕が千切れ飛ぶぞ』


 それを聞いた青年__ユウヤは肩で息をしながら顔を上げ、自身の目の前に立つその女性を見上げる。腕はまだ完治には程遠いが痛みはかなり引いたらしく、その表情は青ざめながらも落ち着きを取り戻していた。


『……加減しろなんて言われたって、勝手が分かりませんよ。魔術を扱い始めてからまだ10日しか経っていないんすよ……』


『そんな駄々など聞く耳持たん。10日もあれば、生まれたての赤ん坊でも言葉を覚え始める。お前の学習能力は乳幼児以下か? やれと言ったらやれ。次からは、今撃った時の魔力をさらに5分の1以下にすることを意識しろ』


 ユウヤの弱々しい反論を一蹴し、黒髪の女性は踵を返す。


『今日の訓練はここまでだ。ユウヤ、腕が治ったらランニングに行ってこい。今日のノルマは20キロ。終わるまで晩飯は食わせん。ユリン、お前はいつも通り、ユウヤの健康状態を記録しておいてくれ』


 そう言うと彼女は去っていった。


 いつしか辺りは真っ暗になる。ユリンと呼ばれた少女の手の光はまだ消えてはいないが、それに30分以上も触れ続けたユウヤの右腕は、正常な形をほぼ取り戻していた。


『……ユウヤさん、大丈夫?』


 ユリンが、俯いているユウヤの顔を覗き込みながら話しかける。


『……うん、平気。ありがとうユリン。腕はもう全く痛くないよ』


『……そっ、か。なら、よかったです……』


 そこから2人の間に、しばしの沈黙が続く。周囲も実に静かである。聞こえてくるのは、夜風に吹かれた木や草のカサカサとした音。鈴虫や蟋蟀を思わせる虫の鳴き声。そして__どこか遠くから飛んでくる、獣のような野太く荒々しい咆哮だけだった。


『!!』


 その咆哮を耳にした2人は身体を硬らせ、それが聞こえた方角に顔を向けた。そして次の瞬間、山の下__街中に、甲高いサイレンが鳴り響く。 


『出たのか……!?』


『はい……!』


 ユリンの手から光が消える。


『腕は治りました。でもユウヤさん、今日のランニングは中止です。あなたはこのまま部屋に戻ってください。私は討伐隊の応援に行ってきます』


『俺も行く! 何か役に立てることが……』


『ダメですよ! まだ敵がどれほどのレベルなのかも分からないですし、そもそも今のユウヤさんじゃ圧倒的に実力不足です! 死にに行くようなものです!』


 その大人しそうな雰囲気からは想像に難い大声を張り上げ、彼女はユウヤを制止する。


『サザデーさんはあのように仰いましたが、あれは焦って物事を進めろという意味ではありません。1個1個、やれることを増やしていければいいんです。ユウヤさんの力は使いこなしさえすれば、誰に負けるものでもなくなるんですから。役に立ちたいというその気持ちはとても素晴らしいですし、嬉しいです。でもだからこそ、その気持ちを無駄にしないためにこそ、今はまだ現場に出てはいけません。いいですね?』


『……分かったよ』


 説得に応じたユウヤだが、その顔つきはいかにも納得いかないといった風だった。


『じゃあ私は行きます! 気をつけて帰ってくださいね!』


 ユリンは走り出し、山を降りていった。

 1人残されたユウヤはのっそりと立ち上がり、右腕を軽く動かしてその調子を確かめつつ、空を見上げた。たくさんの星が、よく見えた。一部に星々が集中しており、黒い空の中でそこだけがクリーム色に染まっている。綺麗だった。実に、美しかった。


『……ちくしょう』


 彼の口がぽろりと溢す。悔しさゆえか、虚しさゆえか。それは彼自身にも分からない。

 しかし彼はきっと、羨ましかったのだ。誰もが美しいと褒めるであろう、万人が認め見惚れるであろうその夜空が。そしてまた、惨めだったのだ。自分以外の何物をも妬むことしかできないほどに、真っ黒にすすけた自分の心が。

 ため息を1つつき、彼は歩き始める。足取りは重く、目つきも暗い。憂鬱であり、気力も湧かず。しかし彼は逃げられない。


 現実ここなのだ。現実ここでしか人は生きられない。才は限られ、時間は平等。生い立ち、環境、多種多様。癇癪かんしゃく上等、言い訳結構。それでも明日はやって来る。


 彼__菜藻瀬雄弥なもせゆうやもまた、そんな明日に備えんと、山を降りて行った。

 

 



 


 


 


 


 

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