イデアルライト -Ideal Light-

創つむじ

遭遇

 

 この世界は何者かによって創られている。そうでなければ今俺の目の前で起きている現象に説明がつかない。


 約10年前、未知の新種ウイルスによって全人口の3割ほどが減少した。しかし治療用のワクチンが完成してからと言うもの、とてつもないベビーブームが到来し、気が付けば2031年現在で世界人口は100億人を突破していた。ウイルスによって亡くなった人の大半は免疫力の弱い老人だったので、しばらくは若者や働き盛りの年代で活気に満ちていたが、溢れかえったエネルギーはその分消費も激しく、各地で食料や土地を巡った争いと犯罪が頻発している。

 そんな治安の悪い世の中でも、荒波立てずに細々と過ごそうとしていればそれほど苦にもならない。特別やりたい事も目指す場所も無かった俺は、受験戦争と就職活動なんて面倒事からは身を引いて、高校を卒業後すぐに実家を出てフリーターとなった。バイト先を転々としながら過ごして早4年、胸を張っては歩けていないが、さしたる不満も無い生活を送っている。

 だが22時までのバイトを終えた帰り道の今まさに、面倒事を避けてきた俺の現実とは思えない状況に出くわしている。

 

「なんだよこの黒い化け物……」

 

 体を屈めてはいるが、3メートルはあるだろうか。暗い路地を照らす街灯の光を、まるでその全身が吸収しているかのように真っ黒な体と大きな翼、獣のように突き出た顎には氷柱つららのような白い牙が並んでいる。

 もしゃもしゃと何かを貪るその口からは、人の腕のような物がはみ出していて、そいつの足元は真っ赤に染まっていた。

 

「じょ、冗談だろ……? こいつ人食ってやがる!」

 

 あまりの衝撃で口から漏れた声に、食事中の化け物は咀嚼を止めてこちらを向いた。その眼は野生動物のように、光を反射して黄色く輝いていた。

 睨まれた俺はゴクリと唾を飲んで、左足から一歩後退あとずさりをするが、異形の怪物の威圧感に身体の震えがおさまらない。逃げるのが正解なのか、物でも投げつけて追っ払うのが正しいのかも分からない。

 

「グルルルルゥ………」

 

 見た目通り人の言葉は通じそうにもない。食事の邪魔をされて不機嫌なのか、俺の方をじっと見つめたまま低い唸り声を出している。

 焦りで乱れる呼吸を整え、一歩一歩後退りをしながら距離をとっていく。これが俺に出来る最善策だと信じて……

 

「グガアァァァア!!!」

 

 奴を発見した場所から3メートルくらい後退しただろうか。突然怪物はライオンのような雄叫びをあげて、翼を大きく広げた。

 元々の距離と合わせても15、6メートルしか離れていないのに、あの翼が飾りではないなら俺が逃げ切る手段なんて到底思いつかない。俺は怪物に背を向けて、一目散に走り出した。

 幸いこの辺りは山の近くで、夜は人通りもほとんど無い上に隠れる場所も多い。なんとか化け物をまいてしまえば、山の端っこを経由して大通りに出て、交番まで駆け込める。

 とりあえずこの公園を通り抜けてふもとの林に身を隠すしかない。

 

「ぶわっ!」

 

 急に突風が吹き、足元の砂が舞い上がった。顔に付いた砂を拭いながら空を見上げると、真っ黒い化け物が羽ばたきながら見下ろしているのが分かった。

 見晴らしのいい公園を通ったのは失敗だったか。


「ちくしょう、あの巨体でどうやって空飛んでんだよ……!」

 

 バサバサと羽ばたく音がだんだんと近くなり、怪物はズシンと重厚感のある音で正面に降り立った。流石にもう逃げられまいと、死を覚悟した。

 だがこのまま喰われるのを待つだけなのはしゃくに触るし、近くに落ちていた頼りない細さの木の棒を拾い、腹を括って怪物の懐に飛び込んだ。

 

「こんな訳分からん死に方してたまるかよ‼︎」

 

 怪物の胸を目掛けて、力一杯棒を叩きつけた。しかし筋肉が張り詰めているのか、奴には傷ひとつ付かないまま棒の方がへし折れてしまった。何かしたかと言わんばかりの怪物は、じっと俺を睨みつけている。

 少し引いて、他に応戦する手段はないかと辺りを見回していたその時、怪物の方が動いた。

 

「カアアァーッ!」


 体格の割には細い脚で、力強く地面を蹴った奴の巨体は、たった一歩で俺の喉笛を噛みちぎれる距離まで来ていた。奇声をあげて噛み付いてきた奴に対し、急所を守るため咄嗟に左腕を前に出して防御した。


「うぐっ!」

 

 喰らいつかれた瞬間、ベキっていう鈍い音と共に血がダラダラと流れ、耐え難い激痛が走ったが、なんとか左腕は繋がっている。化け物は鼻息を荒くしながら、腕をちぎろうと力ずくで引っ張っていた。

 俺は咄嗟に右手に持っていた折れた木の棒を、奴の眼球目掛けて思い切り突き刺した。

 

「グギャアァァー‼︎」

 

 常識外れな化け物でも、痛みは感じるようだ。

 果物を握り潰したように黒い体液が飛び散り、左眼を抑えながら悶え苦しむ怪物の肘からも滴り落ちている。体と同じ真っ黒なこの液体が、奴の血液なのだろうか。

 すぐにUターンして逃げようとした矢先、怒り狂った化け物は刺さった木を抜いて突っ込んできた。

 これまでかと諦めかけたその瞬間、視界の左側からものすごい勢いで何かが飛んできて、化け物の巨体が弾き飛ばされる。

 

「ちょっとそこのあなた、大丈夫?」

 

 突進する怪物を軽々と蹴り飛ばしたのは、引き締まった細い身体と月明かりに映えるブロンド髪をした、外国人っぽい一人の少女だった。

 とても人間とは思えないスピードで放たれた飛び蹴りは、10メートル近く吹っ飛んだ怪物よりも恐ろしく思える……

 

「あ、あぁ、とりあえず助かったよ。だけどおたくは何者だ? その化け物の事も知ってるのか?」

 

「詳しい話はあいつを消したあと。死にたくなかったらさっさとここから離れなさい」

 

 少女が睨み付ける先の化け物は、唸りながらゆっくりと立ち上がって、警戒している様子だった。

 俺が近くに居ても奴の餌になるだけだし、この場は彼女に任せて、一旦公園から出る方が得策か。

 

「すまん、化け物は任せる。おたく一人で倒せるか?」

 

「問題無いわ。あなたは動けるなら病院にでも行きなさい」

 

 命令口調なのがちょいちょい引っかかるが、助けられた上に怪物退治まで引き受けてくれているんだから、文句は言えない。

 辛うじて繋がっている左腕を支えながら、出口に向かって歩き始めた時、翼を広げた怪物が、逃げる獲物に襲いかかる勢いで飛びかかってきた。

 すかさず間に割って入った少女は、握り拳を怪物の脳天に力一杯振り下ろす。

 怪物の突進と少女の拳の衝突は辺りに衝撃波を起こし、俺の体は軽く飛ばされ木に激突した。頭を打ち付けて薄れていく意識の中、横たわる黒い巨体が蒸発するように消えていくのが見えた。


 気を失ってから何が起こったのだろうか。目が覚めると見知らぬ和室で、布団に寝かされていた。あの化け物とのやり取りは夢だったのでは? とも思ったが、千切れかけた左腕には包帯が巻かれ、木の板でしっかりと固定されていた。

 状況を確認しようと体を起こすと、腕に痛みが走り思わず声が漏れた。

 すると部屋の外からパタパタと足音が聞こえてくる。その足音が近付いてきたかと思うと、ゆっくりドアが開いた。

 

「ようやく目が覚めたのね」

 

 部屋に入ってきたのは、さっき化け物と戦っていた少女だった。

 灯りを点けて部屋の角に座った彼女は、Tシャツにデニムの短パンというずいぶんラフな部屋着姿だったが、白人系の整った顔と綺麗なブロンドの髪に組み合わせると、なんだか様になっている気がする。すごい飛び蹴りをしていただけあり、スポーツ選手のような発達した大腿四頭筋が目立つ。

 

「人のことジロジロ見てるけど、あなたの体調は大丈夫ってことでいいのね? 相当血も流れていたんだけど」

 

 あぐらをかいて頬杖をつき、ムッとした顔でこっちを睨んでいる。

 流石に見過ぎたか……

 

「ごめんごめん、まだ腕は痛むけど大丈夫そうだよ。この手当ては君がしてくれたのか?」

 

「そうよ。骨まで噛み砕かれてたから、そんな応急処置のままでは心許ないけどね。早く病院に行って適切な治療を受けた方がいいわよ」

 

 なんだか刺々しい言い方をしてくるが、内容はもっともだ。包帯も添え木も丁寧に巻かれているし、きっと親切な子なんだろう。

 俺達が話していると、また部屋の外から足音が聞こえてきて、ドアが開かれた。

 

「姉さん、こんな時間なんでもう少し声のボリュームを下げてもらいたい……」

 

 眠たそうに目を擦りながら入ってきたのは、華奢で中性的な見た目の少年だった。髪も金髪に近いが、ブリーチして作った明るい茶色っぽさを残している。

 

「君達は姉弟なのかい?」

 

「あ、はい! 僕は弟のソーマ・フィールズです」

 

 弟君が元気に応えてくれたところで、俺達には微妙な空気と沈黙が漂っていた。

 

「そう言えば自己紹介がまだだったな。俺の名前は志道零秀(シドウ レイシュウ)。22歳のフリーターだ。君は?」


「アイラ・フィールズよ」

 

 自然に促したつもりだったが、姉はあまり面白くなさそうに名前だけを名乗った。弟のソーマは若干気まずそうにしながら、姉のフォローを入れ始めた。

 

「すみません志道さん。姉さんはいつもこんな感じですが、悪気は無いので許してあげて下さい……」


「いや、俺は助けてもらった立場だし、全く気にしてないよ。それよりふたりは見た目も名前も外国の人みたいだけど、日本語が上手いね。ずっとこっちに住んでるとか?」

 

「日本に来たのは11年前ですけど、僕らの母は日本人なので、日本とイギリスのハーフなんです。出身はイギリスです」

 

 ソーマは姉と違って人当たりが良く、とても話し易い。この子達の外見の良さも、ハーフということで納得できた。しかしまだ気になるところがいくつもある……

 

「11年前って言うと、例の殺人ウイルスが広まり始めた頃だよね。なんでその時期に日本へ……?」

 

 あーそれは……とソーマが言いかけたところへ、アイラが腕を組みながら口を挟んだ。

 

「あなたずいぶんと呑気なのね。私達の身の上話なんかより、もっとあなたにとって知るべき事があるんじゃないの?」

 

 アイラの口調と態度から察するに、俺が関係無い事を聞いているからと言うよりも、余計な詮索をするなと言われている気がする。ここは本題に入るしかなさそうだ。

 

「すまん、どうも面倒な事に首を突っ込むのが嫌いでね。まぁすでに手遅れなレベルで巻き込まれてるんで確認するけど、さっき襲ってきた真っ黒な化け物はなんだ? あんなもん見た事も聞いた事もないんだが」

 

「あれは悪魔よ。公にはされていないけど、世界各地にうじゃうじゃ存在してるわ」

 

 当たり前のようにそう言うアイラに、俺の頭は理解が追いつかない。悪魔って言うのは、物語やゲームに登場するようなあれか? 確かに見た目なら悪魔ってイメージに近いが、フィクションの存在が世界各地に居て、人を喰ってるってのは、はいそうですかと信じられる訳もない。突然変異種の生物を悪魔って呼び名にでもしたのか……?

 

「信じられないならそれでもいい。でもあいつらは生物の枠にも当てはまらない、召喚の儀式によって出現した魔力の器というのは、紛れも無い事実よ」

 

「わかった。まだあまり理解は出来ていないが、あの黒いのは悪魔であり、儀式で召喚されたってところまでフィクションと同じイメージでいいんだな。じゃあもうひとつ、君は悪魔を素手でぶっ飛ばしていたけど、ただの人間じゃないんだよな?」

 

 この外見は仮の姿で、実は対悪魔用に造られたアンドロイド兵器だ、なんて突拍子もない事でも言われれば、いっそこれまでの話しは全て妄言でしたって笑い話にして、解散出来そうな気もするんだがな。

 俺が半信半疑なのを見透かされているのか、アイラは口をへの字にして、質問にどう答えようか悩んでいる様子だ。

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