“私”
靄は一つに纏まり、様々な色に変化しながら宙に浮いています。
「なに……これ……何なの……」
私がその場に立ち尽くしていると、靄は薄い緑色に変わり、そのまま風の球を私に投げつけてきました。私はすぐにその球を避けます。
「あんなの、当たったら大変なことに……」
靄はあちこちに動き回りながら風の球を生成して投げつけてきます。私は昔教えてもらった風の魔法で自分の動きを早くします。けど、私の魔力は少ししか使えません。あの靄は私と同じ属性の魔法を使います。持久戦に持ち込まれたら確実に負けて殺されてしまいます。
「どうにかしないと……! でも、どうすれば……!」
私は試しに誰でも扱える魔法を使ってみます。手を靄の方に向けて強く念じます。コツは、自分の力を手の平に集めるような感覚です。魔力が手の平に集まると、それは緑色の球体に変わります。これが魔力弾です。
私は魔力弾をそのまま靄に撃ち込みます。けれど魔力弾が小さいからなのか、魔力弾は靄に吸い込まれてしまいました。
「うそ……これじゃ……」
その時でした。靄が放った魔力弾が私の身体に直撃しました。私の身体は勢いよく後ろへと吹き飛ばされ、地面に身体が叩きつけられます。それは私が昔殴られ、蹴られた時と全く同じ痛みでした。
もう、立ち上がれません。もう、勝てません。私の物語は、ここで終わりです。
私は諦めて目を瞑り、靄の攻撃を待ちます。その瞬間でした。
周囲に張られていた靄の壁を突き抜けて、ある影がやって来たのです。
黒く歪んだ“何か”。それは靄の周りを飛び回って何か攻撃を与えています。その後黒い“何か”は私の目の前に降り立ちます。そしてそのまま見慣れた姿に変身しました。
「アタエ……ちゃん……何でここに……」
その瞬間、靄はとても強い波動を放ちました。靄はうねうねと蠢きながら、一つの形に纏まっていきます。足が出来て、マントの様なものを着て杖を持った男性の様な姿。それは紛れもなく“魔法使い”の姿でした。靄の魔法使いは様々な色に変わりながら宙を浮いています。
「なにこれ……一体、どうなっているの……」
アタエちゃんはまた黒い“何か”に姿を変えて靄の魔法使いの元に飛び立ちます。その後靄の魔法使いの元に辿り着いたアタエちゃんは、また“私”の姿に変えて魔力弾を撃ち込みます。けれど、靄の魔法使いはその魔法を全て杖で弾いてしまいました。
アタエちゃんはそれでもまだ攻撃を続けます。アタエちゃんはまた黒い“何か”に姿を変えます。そのままアタエちゃんは靄の魔法使いの周りを飛び回り、何か攻撃を繰り出しています。けれど、その攻撃も靄の魔法使いに効いている気配はありません。
靄の魔法使いは飛び回るアタエちゃんを捕まえます。そして黒い球体にして掴むと、そのまま靄の壁に叩きつけました。靄の魔法使いの攻撃はまだ終わりません。何度も、何度も、何度も何度もアタエちゃんを地面に、壁に叩きつけます。やがてアタエちゃんは“私”の姿に戻ります。
靄の魔法使いは立ち上がろうとするアタエちゃんに、大きな緑色の魔力弾を撃ち込みます。直撃したアタエちゃんは私と同じように後ろへ吹き飛ばされます。それでもアタエちゃんは立ち上がり、私の前に立ち尽くします。
「もう、いいよ……もう、やめてよ……」
その時、私の視界に魔法の枝と珍しい薬草が入りました。もしかしたら、これを使えば、この状況を打開できるかもしれない。
「もう、私は独りじゃないんだ。私は何者にも指図されない。私は何者でもない」
私は薬草を口に含んで飲み込みます。そして、魔法の枝を右手に持って立ち上がります。
「これは、私が決める道……もう、邪魔はさせない!」
その瞬間、私の中の魔力――“色”が輝き始めました。同時に、私が握っていた魔法の枝も輝き始めて姿を変えていきます。木の葉の様な彫刻が彫られ始めて、先が徐々に細くなっていきます。そうして気付けば、枝は魔法の杖へと変化していました。
これなら、今度こそ……!
「行くよ、アタエちゃん……私、もう迷ったりしないから!」
私は杖で私とアタエちゃんの素早さを上昇させます。素早さが上がったアタエちゃんは黒い“何か”に姿を変えて、そのまま靄の魔法使いに向かって行きます。私はそんなアタエちゃんに風の魔法を与え、アタエちゃんの攻撃をサポートします。
靄の魔法使いは素早く左右に動きながらアタエちゃんの攻撃を躱します。そして、そのまま私の方に向かってまた魔力弾を撃ち込んできます。それは一発や二発ではなく何発も連続で撃ち込んできます。
普通だったら避けられません。でも、今の私ならきっと避けられます。私は靄の魔法使いと同じ向きに移動できるように風を起こします。私はその風の流れに乗って何発も撃ち込んでくる魔力弾を全て避けます。そして、隙を見つけた私はそのまま靄の魔法使いに大きな魔力弾を撃ち込みます。攻撃は当たり、靄の魔法使いは怯みました。
アタエちゃんはその瞬間を見逃しません。アタエちゃんも真似をするように魔力弾を撃ち込みます。靄の魔法使いはもう一度飛び回るアタエちゃんを掴もうとしますが、素早さの上がっているアタエちゃんにそれは効きません。靄の魔法使いは度重なる攻撃で完全に体勢を崩しました。
アタエちゃんは私の元に戻ってきて“私”の姿に戻ります。
「流石アタエちゃん、やったね!」
その瞬間でした。アタエちゃんの背後で靄の魔法使いは立ち上がり、魔法を繰り出していました。それは槍の様に鋭い風の魔法。貫かれればただでは済まない、危険な風の魔法。
私はアタエちゃんを横に突き飛ばします。アタエちゃんは驚いたようにこちらを見つめてきます。そして、そのまま風の魔法は――私の胸を貫きました。
私に的中したことを確認した靄の魔法使いは、そのまま小さな光の粒になって消えていきます。同時に、周囲を覆っていた靄の壁も消えていきました。
「う……けほっ……うぅ……」
私はその場に倒れこみます。胸には鋭い痛みが走って、徐々にその痛みが身体全体に広がっていきます。穴の開いた胸と口からは赤黒い血が流れて、徐々に意識も遠くなっていきます。
その時、アタエちゃんが私の元に駆け寄ってきました。アタエちゃんは相変わらず無表情ですが、慌てるように私の胸を押さえます。
「もういいよ……もう、良いんだよ……」
私はアタエちゃんの頬を撫でます。その時、何かが流れ込んできました。
――冷たく真っ暗な場所。
――現れた二つの光。
――光に置いてかれて独りぼっちの空間。
「そっか……あなたも、私と同じだったんだね。あなたも、独りぼっちだった。だから……」
私の身体から光の粒が飛び始めます。
「もう……終わりかな……知ってる? 魔法使いは死ぬとね、精霊になるの。精霊になって……この世界を見守るの……でも、私には世界を見守るなんてことは出来ない。だから……」
私はアタエちゃんの頬を撫でて、いつも練習してた笑顔を見せます。
「私は……アタエちゃんを見守っているね。さっきは酷いことを言ってごめんなさい……アタエちゃんは、もう私の真似をしなくて良いんだよ。アタエちゃんは……アタエちゃんが好きなように生きて……」
涙で視界が歪んで、うまく笑えません。アタエちゃんの顔が見えません。
「ありがとう……最後に……私に“私”をくれて……」
――さようなら。
私は長い夢のような場所から目を覚まします。時刻は夕方で、私は何故か広い草原の真ん中に一人で座っていました。私は、自分がいつどこで生まれたのか分かりません。何故、この場所にいるのかも分かりません。
私は自分の足元に視線を移します。すると、そこには木の葉のような彫刻が彫られた魔法の杖が落ちていました。私はその魔法の杖を拾い上げます。すると、何故か涙が流れ始めました。同時に、頭の中に何かの記憶が流れ込みます。
『ア……エちゃん』
『アタエちゃん……アタエちゃん……!』
どこかで聞き覚えのある声。でも、思い出せません。
『っさ、この近くで木の枝を探すよ!』
『私ね、良い場所を知ってるから、今日はそこで夜を明かさない?』
思い出せません。忘れてちゃいけないはずなのに。
『アタエちゃん、私ね、本当は商人じゃなくて冒険家になりたかったの』
『私ね、アタエちゃんのお陰で冒険家みたいになれて、とっても楽しいし嬉しいよ!』
『ありがとう』
思い出せません。忘れちゃいけない。思い出さなくちゃいけない。
『私は……アタエちゃんを見守っているね』
『アタエちゃんは……アタエちゃんが好きなように生きて……』
『ありがとう……最後に……私に“私”をくれて……』
「分からないよ……思い出せないよ……誰……私を呼んだのは……誰……」
私は近くに流れる川へ向かい、覗き込みます。そこにはどこかで見たような姿が映っていました。
――真っ白な髪に三つ編みの女の子。
それは、私が朧げな夢で見た女の子でした。
――数年後。首都ガーネストロ。
私は“無”。私は何者でもない。
私は、“私”を探さないといけない。
そして、忘れてしまったあの子を見つけないといけない。
今度は、私が「ありがとう」って言うために。
さまよう私はそうして出会う。
世界の運命を変えていく彼女と。
風に靡く長い黒髪に人形の様な顔立ちをした女性。
――セシリア・シルクメットと。
物語はそして『―Cecilia―』へと繋がる……。
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