彼女と悪夢と腕枕

燈外町 猶

おやすみなさい

 蓮の花に見惚れる彼女の背中を押した。


 沼に落下して慌てた彼女は、私の足首を必死になって掴む。縋るように、救いを求めるように。

 私はその姿にまずまずの満足感を得て自ら沼に飛び込んだ。

 どうして引き上げてくれなかったのと彼女の悲鳴が耳を劈く。


 このまま二人でズブズブ沈んでいくのもいいけれど、まどろっこしいので押し倒した。

 彼女の美しい体はあっという間に泥まみれ、味気のない色に染まっていく。


 私も隣に仰向けで寝転がって手を繋いだ。彼女は何やら喚いていたけど、泥が耳に詰まって何も聞こえない。

 顔面も徐々に埋まっていき、瞼は開かず、呼吸もできなくなっていく。


 深い、深いところまできた。

 けれどまだ、繋いでいる彼女の手は暖かい。


 早く死なないと。


 彼女には、私の冷たさで真の孤独を自覚して絶望してもらいたい。


 早く死なないと。早く死なないと。


×


「って言う夢を見たんですけど……」

「ふーん」

「ふーんて……。なかなかのアレじゃないですか?」

「なに、心中したいの?」

「まぁ……たまーにしたくはなりますね。幸せな時とか」

「私アンタと死ぬなんてまっぴらだよ? なんか来世までついてきそうだし」

「ついてく気満々でしたけど……なにか?」

「いらん。くんな。来世までビアンやる予定ない」

「えー、なんですかそれ、私じゃ不満なんですか」

「アンタっていうか……やっぱ世界に適応してないなーって思うことがあるのよね」

「まだ33歳の小娘が何言ってんですか」

「まだ26歳の小娘が目上の人間に何言ってんだ」

「目上って。恋人だからいいじゃないですか」

「よくない。私上司だし」

「うわー公私混合よくなーい」

「とにかく、死ぬなら一人で死んでくれ」

「えーさみしー」

「んで、なるべくなら死なんといてくれ。今世はアンタで最後にしたい」

「あら〜あらあら〜! 今日はネコちゃんな気分なんですか〜? かーわいー!」

「茶化すなら今すぐ死んでこい」

「嫌でーす。あなたを看取るまで死にませーん」

「私に早く死ねって言ってんの?」

「いえ、私が死ぬ1秒前に死んでください」

「んな器用に死ねるか」

「もし早死にしやがったら来世どころか輪廻の果てまで付き纏います」

「ストーカーもそこまで出来たら守護霊みたいね」

「ただし、私を捨てた場合は除きます」

「アンタ捨てたらその日が私の寿命でしょ」

「さぁ? なんのことやら」

「白々しい……。ほら、もうお喋りはいいでしょう? さっさと寝るわよ」

「はーい。おやすみなさい」

「おやすみ」


×


 彼女の腕枕で悪夢を見るなんて初めてで驚いた。

 だけどそれ以上に、魘される私を心配して彼女が起こしてくれた(しかも雑談で気持ちを落ち着かせてくれた)のに驚いて、本当に嬉しかった。

 私を取り巻く環境は他人から見ればきっと劣悪で、嫌なことや上手くいなかいことも多い。

 夢の成就はあまりにも遠いし、好きな人は今にも——こうして抱き締めていなければ——私の前から姿を消してしまいそうだ。

 度々目が眩む程の強烈な不安や後悔に見舞われることも少なくない。

 だけど、私はまだ、私を諦めない。

 アンタを選んで良かったって、彼女に思わせてやりたいから。


 ねぇ夢の中の私、怖かったよね。『早く死なないと。』なんて本当は思いたくなかったよね。

 大好きな人と沈んでいくなんて、本当は悲しくて、悔しくて仕方がなかったよね。

 もう少し待っててね。その沼からいつか、二人まとめて引っ張り出してあげるから。

 それまでは寒いし苦しいだろうけど、どうか彼女の体温を糧に——生きて。

 私は私を諦めない。死ぬ気で為すべきことを為す。

 だから、あんたもあんたを、そして彼女を、絶対に諦めるな。

 魂の全てを捧げてもいいと思えた夢を、人を、決して手放すな。

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