15/ 聖と、翠と、決意の結果 1

 

 

 今日はつくれるだけのものいっぱいつくって、教えていくから。あとはふたりで話して、お弁当になにを入れるか選んで、本番のやつを、自分たちのつくりたいものをつくっていくんだよ。

 聖せんぱいは、こちらのほんとうの、詳しい事情なんかはまるで知らないはずなのに、──わたしと彩咲さんにはこれから先の本番があることをなんでもないことのように言い当てて、そう言って屈託なく、笑った。

 

「そりゃ、わかるよ。この時間からお弁当どこかにつくって持っていくなんて、そうそうないし。食べてほしい相手がいるなら練習したいって思うの、当然だし」

 

 言いながら手際よく包丁を、フライパンを、鍋を操っていく。もちろんきちんと、翠たちに教えることも忘れない。ひとつひとつ、実際にそれをやってみせては言葉を交えて、コツを伝えて。一品ずつ料理を拵えていく。

 彩咲さんは感心し、驚いたように目を丸くしてせんぱいのその様子を見つめることしきり。

 せんぱいが、料理を得意としていることは知っていたし、店でも、家でも一緒にこうしてキッチンに向かうことの多い翠にしてもそれは同じこと。

 いつだったか、言っていたっけ。自嘲するように、せんぱい──「特に得意なこともないし、目指しているものもない」って。

 全然そんなことはない。一見してせんぱいは、すごい。少なくともこの料理の手際という分野において。当人は、「こんなの慣れれば誰でもできるよ」なんて謙遜するかもしれないけれど。少なくとも翠の眼には、そしてきっと彩咲さんの眼にも、そう映っている。

 そんなせんぱいが、翠には誇らしい。謙遜なんて、必要ない。

 

「お弁当箱も。かわいいの、選ばなきゃね」

 

 崩すことなくきれいに巻いた卵焼きを、巻き簾の上にひっくり返して、巻いてかたちをつけて。その傍ら、こんにゃくのきんぴらの鍋をせんぱいは軽く振る。

 レシピもあとで渡すから、……そう言いながらの動作はどれも流れるようで、淀みない。

 そのせんぱいから、翠は視線を逸らさない。逸らさぬままにそっと、隣に並んだ彩咲さんの袖を、軽く引く。その耳元に身を屈めて、そっと囁くように訊ねる。

 

「──彩咲さん。なにをつくりたいかは、決まりましたか」

 

 ……って。

 きっとそう訊かれることを覚悟していたであろう彩咲さんはけれど、一瞬どきりとしたように肩を竦めて。

 おずおずと、手にしていたメモ帳を翠に、差し出した。

 同時、せんぱいは思い出したように口を開く。

 

「ああ、そうそう。もうひとつ、料理の出来とか、そういうのとは別にね。お弁当なら、っていう私からのアドバイス。昔ね。まだ小さかった頃──……」

 

     *   *   *

 

「てなわけで、けっこう私自身が楽しんでたかも。久々にこれでもかってくらいおもいっきり、エンジン全開で料理したからさー」

 

 夜、である。

 聖は、氷雨に電話をした。

 文面の、メッセージでのやりとりでも問題はなかったのだけれど、ただとくに理由もなく、なんとなく。

 後輩ふたりの前でめいっぱい、料理をやって教えてみせた。それらの料理を三人で分け合って食べた、いろんなことを教えた。その顛末を。

 

「うん? 料理の仕事で将来、食べていったら? ……いやいや、プロは桁が違うでしょ、そんなもん。野球と一緒、それほど甘いもんじゃないって」

 

 明日タッパーでお惣菜、いっぱい持っていくから。お弁当、よかったらそれで済ませてよ。そういう事後処理の協力のお願いとともに、だ。

 

『いやいや、いけるっしょー』

「無理だって」

 

 親友の冗談じみた──少なくとも聖には友がそのように言っているように認識できた、自身の将来設計の仮定に笑いながら、まだほのかに料理の甘じょっぱい残り香があるように感じられる居間で、ソファに膝を抱えて埋もれる。

 

「でも、ちょっと安心した。翠が気になる子、仲良くしたい子って、どんな女の子かなって思ってたから」

『おお? なになに、親御さんみたいなこと言うね?』

「いやいや。これはもう、率直な感想でね」

 

 野球の、どこぞの監督のような言い回しだと自覚する。

 あらためて顔を合わせたポニーテールの少女は、少し接してみただけでも、まっすぐないい子だと思えた。

 殆ど初対面に等しい再会である。緊張の面持ちは当然、……聖の側にだっていくぶんはあったのだし、彼女の表情からは当たり前に見て取れた。

 それでも彼女が、翠のことを信じてやってきたのだということはわかった。

 自分の知った人間のことを信じられて。まっすぐな子なのだと思えた。

 まだ、翠とは知り合っただけ。翠曰く、まだ友だちなどには至っていないふたりの関係性。だけれどそのように信じられるというのは、素敵なことだ。

 

「……私、年寄りくさい?」

『なにが?』

 

 ふたりがちからをあわせてつくるお弁当は、きっとふたりのこころがこもったものになるだろうな、と思う。それが誰に向けられたものであれ。翠たちふたりの気持ちが誰に向けて尽くされているにせよ。

 そういうことを一緒にできる。ふたりで向かっていける。

 そんなふたりの関係性は、たぶん、もう既に。ふたり自身が気づいていないだけ。そう、思っていないだけ。──そう、既に──……。

 

「いや、うん。なんでもない。人間、自分のことはままならないのに、他人のことにはいろいろと目につくものなんだなー、って」

 

 ふたりはもう、「そういうこと」なんじゃないかな。

 聖は、そう思った。

 

     *   *   *

 

 かわいらしい、キャラクタープリントのランチバッグから小さな薄黄緑色をしたお弁当箱が取り出されたとき、流石に翠は緊張をせずにはおれないでいた。

 

「わ、ほんとにお弁当だ」

 

 それは翠にとって、また彩咲さんにとって初心者同然の技量の中で、できうる限りの丹誠を込めたものである。

 一緒にひとつのキッチンに、……翠の家に集まって、話し合って。聖せんぱいに教わった中からなにを選ぶか、なにをつくるかを決めて。

 苦手なところを。それぞれのできるところ、できないところを補いあいながらともにつくった、世界にひとつのお弁当だ。

 

「ほんとに、って。大変だったんだからね。雪村さんにも手伝ってもらって。雪村さんの先輩にもいろいろ教わって」

 

 妹さん──朋花さんの冗談めかした反応に、口を尖らせる彩咲さん。彼女とともにこのお弁当をつくって、詰めて。そうして届けにやってきた。

 できるだけのことは精いっぱいやれたと思う。少なくとも今の自分たちにつくれるもので、一番おいしく、一番きれいにつくろうと試行錯誤をして、一番「いい」と思えるものを選んだつもりだった。

 

「今開けてもいい?」

「もちろん。──ああ、その前にお礼言いな、雪村さんに」

 

 二度目、この場で名前を呼ばれて、話の流れに一瞬どきりとした。

 お礼だなんて、そんな大した相手じゃないのに。翠はまだ、彼女たちになにもできていない。……先日のやりとりといい、そういった部分をきちんとしていたい人なのだな、と思う。

 

「気にしないでください。わたしは手伝っただけですから」

 

 ありがとう、と素直に頭を下げる少女に、翠は首を横に振る。

 ほんとうにまだ、自分はなにもしていない。

 自分がやるべきことは、これから。まだ、大事なことが残されている。

 

「今すぐ、全部を食べる必要はないから。食べられるだけ、食べちゃいな」

 

 お弁当箱のゴムバンドを外し、蓋を開く妹さんに、ベッドのテーブルを用意してやりながら彩咲さんは言う。

 一応、それなりにうまくは、できたと思うけど。

 あたしひとりじゃ無理だった。雪村さんが手伝ってくれて。ふたりで、頑張ったからさ──……。

 

     *   *   *

 

 お弁当を実際につくったそのときは。──お弁当箱の中に詰めるそのときまでは葉月も、雪村さんも両方、半ば以上に状況へと興奮をしていたから、これ以上ないくらいの出来栄えだと思えていた。

 だけれど今は改めて、妹が蓋を開いたお弁当箱の中身をある程度客観的に見つめることができる。

 見えなかったアラの部分が、どうしたって見えてくる──……。

 

「おおっ」

 

 朋花が小さく上げた快哉の声。

 ほんとうに? ──ほんとうにこころからそういった反応をしてもらえるだけの出来に、なっている? どきどきと鼓動が高鳴って、不安と緊張が心を占めていくのが葉月自身、わかる。

 おにぎり。鮭とわかめの混ぜご飯の。ぴったり同じ大きさに、きれいな三角形に握れたつもりだった──一番きれいなふたつを選んだつもりだったけれど、今見るとなんだか少し歪で、不揃いだ。

 タコさんウインナー。カニさんウインナー。タコさんはうまくいったと思う。カニは……どうだろう。果たしてそのように、見えるだろうか?

 ああ。そもそも昔ながらの真っ赤なウインナーより、大きな茶色いソーセージのほうが喜んでもらえただろうか?

 

「いただきまーす」

 

 そう言って、朋花が箸の先で刺した卵焼きにしても同じだ。

 柊先輩の卵焼きは焦げ目ひとつなくって、きれいな黄色、ただ一色をしていた。見るからにふわふわで、やわらかくて。甘くおいしそうだった。

 だけれど、雪村さんに助けてもらいながら葉月が巻いたそれはところどころ、茶色い焦げ目が端に見え隠れしていて、ちりちりしている。断面も、卵液の攪拌が十分でなかったのか、白身の色と黄身の部分とがくっきりと分かれている箇所が多いように思えた。

 そういった、いろんな至らない部分ばかりが目に付いて。

 妹が料理を口に運び、ゆっくり咀嚼していく様を、葉月は直視できず俯いた。全然ダメだ、そんな風に思えてしまって。こんなものでほんとうに妹を喜ばせることなんて、できるのだろうか。そう、疑心暗鬼を抱いて。

 

「っ」

 

 そしてその気持ちは似通ったものであろうはずなのに、雪村さんはしかし、葉月をいたわるようにすぐ隣に並び立つ。

 殆ど密着をするくらいに、その長身を寄せて。見上げた葉月の目線に、彼女の目線が頷き返す。

 やがて、気付く。彼女の小指がそっと、葉月の小指に触れていること。

 指切りげんまん。そうするかのように、約束を交わすみたいに両者のそれらは絡んで、不思議な安堵感をそこにつくりだす。

 雪村さんからそういう風に行動をして支えてくれるなんて、葉月には思いもよらなかった。

 いや、むしろそう察して安心感を、不安の共有をすべて投げてしまうべきだったのかもしれない。なにしろこうしてふたり、不慣れな弁当をつくって、朋花の望みを叶えてやること。それを最初に示したのは葉月ではなく、主体は雪村さんのほうだったのだから。

 甘えてよかったのかもしれない。

 目と目があって、また雪村さんは頷いた。

 それからである。

 

「──おいしい」

「え」

 

 彼女の声に、妹へと顔を上げて、葉月が向き直ったのは。

 病弱ゆえの小食である妹がしかし、箸の先につまんでいた卵焼きをきれいにひと切れ、食べきったその姿を視線の先に、葉月は見る。

 

「今、なんて」

「おいしい。……おいしいよ、お姉ちゃん。これ」

 

 きちんと火が通っているか心配で、何度も揚げなおした唐揚げ。

 少し焦げ気味のそれを、ちょっとお行儀悪く箸に刺して、妹は頬張る。

 

「うん、──好きな味だよ」

 

 おいしい、おいしい。言いながら妹は、小さなお弁当箱から、葉月たちが精いっぱいにつくった料理をひとつひとつ、ひと口を食べるごとに顔を輝かせながら口に運んでいく。

 

「おいしいよ、お姉ちゃん。雪村さん」

 

 その言葉に、ふたり顔を見合わせる。

 雪村さんはほっとしたような、嬉しそうな。緊張が少しだけ解れた表情でこちらに頷いてくれた。

 ──そして。

 次には再び、表情を結んで。無言にもうひとつ、葉月へと頷いた。

 手にした銀色の、保冷バッグを揺らして。

 一歩引いていた彼女は朋花の座るベッドへと、歩み出た。

 

     *   *   *

 

 そうだ。これはいつまでも避けていてはいられぬこと。

 

「雪村さん?」

 

 きょとんとこちらを見上げる小学生の少女に、翠は微笑を向ける。

 手にした保冷バッグから取り出したものをその白い掌の上に広げて、彼女へと見せながら。

 

「……あ。ゼリー」

 

 それは小さな、ほんのちっぽけな、ひと口サイズのカップゼリー。

 聖せんぱいは言っていた。

 ──デザートがあるとお弁当はうれしいものだ。幼い頃、常温でぬるくなっているはずの、お弁当箱の片隅のなんでもないフルーツゼリーが輝いて見えた、と。

 

「これを。よかったら最後に食べてください」

 

 お弁当。喜んでくれてよかったと思う。

 彩咲さんもほっとして、安心してくれたと思う。手伝いが出来て、よかった。

 これが、この姉妹と自分が笑って交わすことのできる最後の関係性になるかもしれないけれど。それでも翠は、踏み出さなくてはならない。

 

「朋花さん」

 

 自分が、すべきこと。しなくてはならないこと。

 試して、みなくてはならない。

 

「少しだけ。ほんの少しの間だけでいいんです。なにがあっても驚かずに、目を閉じていてもらって、いいですか」

 

 そのために、わたしはここに、いるのだから。

 

 

          (つづく)

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