14/ 聖と、翠と、望むべからざるもの

 

 

「わたし。彩咲さんとお友だちになりたい。──そう、願っても、いいですか」

 

 翠は、繰り返す。言葉を、想いを声に綴って、重ねていく。

 

「わたしのちから、なんの役にも立てないかもしれない。わたしじゃ、妹さんになにもできないかもしれない。責められて当然なくらいに、なにも。もしそうだったとしても。わたし──そう、望んでも、いいですか」

 

 息を呑む、彩咲さんへ。自分のはじめての想いを、言葉にして紡いでいく。

 

「それを、ゆるしてくれますか」

 

 その問いは少しずるい物言いであることも、翠は自覚している。

 ほんとうなら、それはごく簡単なやりとりで済む問題なのかもしれない。

 たった一言、「わたしたち、友だちになろう」。ただそう言えば、ごくありふれた言葉の交換でふたりの関係性は明確さを持って、そのように結実する。ふつうであれば。抱えた状況が状況の、ふたりでさえ、なければ。

 彩咲さんは翠に望んで。

 望まれるだけのちからが、翠にはあった。

 そして今度は──翠が、望んでいる。

 一方的にそうやって、求めて。回答を彼女に投げ渡し、任せている。


「なにができるか、できないか、なんて。……そんなの」

 

 まっすぐに見つめた翠の視線から、彩咲さんは困ったように、また逃げるように、その瞳を虚空へと逸らし彷徨わせた。

 

「そんなのでほかの人に対する態度決めたら、あたし。そんなの──」

 

 移動教室の合間の廊下には、ふたりしか、人影はない。

 

     *   *   *

 

 テーブルの上に、買ってきたスーパーの買い物袋の中身を広げていく。

 

「それにしても、お弁当の用意──かぁ」

 

 聖にとってそれは、特段そうすることに対し身構えたり、目新しかったりするような類のものではない。

 毎日、ごく当たり前にやっていること。毎日毎朝、学校に行く時間よりも早く起きて、自分のお弁当を拵えること。自分の食事くらい、自分でつくる。そんなのは平凡な、いつもの日常の中では数えることすらしないほど当然のものとして、高校生活の基盤のひとつとして行ってきたことだ。

 広げていく食材たちは、そんなごくありふれた、いつものお弁当に使うそれらとなんら変わらない、買ってきた食材の数々たち。

 

「翠だって、けっこう自分でもやってるんじゃなかったっけ」

 

 ジャガイモ。ミニトマト。人参。ブロッコリー。──それら、野菜類。

 塩鮭の分厚い切り身。フライ用の、輪投げの輪のようなイカリング。

 手羽中の細長い骨付き肉の鶏肉に、昔ながらの紅いウインナー。

 卵のパックがひとつに、ひと口大の銀紙のカップに詰まった、冷凍食品のミニ・グラタンのパッケージ。

 

「……はい。かんたんな、おにぎりとか。昨晩の残りや、冷凍食品を詰めたり。そのくらいなら」

 

 自身の鞄を椅子に置いて、翠は頷き言う。

 放課後、聖と合流して、翠は彼女に頭を下げた。あらためて、教えてほしいことがある──、と。

 

「もっと、ほかの人が見たときに喜ばせられるように。きちんと教わりたくて」

「誰かに見せたい、と。なるほど、……でも、誰に? 冴さん?」

 

 今日は早速、その練習を、というわけである。

 家主らしい慣れたそぶりでふたりぶんのエプロンを、手近なフックからとって、片方を投げ渡す聖はそうしながら、翠に小さく首を傾げてみせる。

 

「いえ、冴さんにももちろん、これからもっときれいなお弁当、作れたらなって思います。だけどそれ以上に今は、」

 

 エプロンの肩紐に袖を通して、きゅっと腰の後ろで縛る。

 同時、呼び鈴が鳴る。マンションの、玄関ホールから。

 

「はーい」

 

 その音に、誰も聴いているでもない返事を返しながら、インターフォンの受話器へと聖は手を伸ばす。

 

「今は、一緒に上達したい人と。ふたりで一緒につくったものを食べてもらいたい、人がいて」


 そう、それはふたりきりで交わした言葉の先に、ある時間。

 

     *   *   *

 

「──そんなの。責められない。責められるわけがないよ。そんなことをしたらあたし、人でなしだ」

 

 ふたりきりの時間、空間。翠の向けた言葉に、彩咲さんは小さく何度も、頭を振りながら声を紡ぐ。絞り出すように──言葉への吟味もなにもなく、素朴で率直に滲み出た、それらの気持ちを。

 授業と授業の狭間の、僅かな時間である今を忘れてしまったように。そこにはほんとうに、翠と彩咲さんだけの時間が独立して、流れる。

 

「あたしはほんとうに、ただ。雪村さんが、見ず知らずだった妹をこんなに気にかけてくれて。妹のために、雪村さん自身のちからにこんなにも悩んでくれて。それだけでほんとうに、感謝をしてて」

 

 率直なこころの発露をしたものだから、言葉はとめどない。ある種、この場が冷静なものであったならば、要領を得なくすらある。

 

「だから。その、あの。もしもなんにも変わらなくっても。ううん、その可能性のほうが高いってこと、わかってる。雪村さんからも何度も聴いた。言いたくもないことだったろうと思う。言わせてしまったことを、すまなく思ってる」

 

 不安だよね。怖かったよね。彩咲さんは、ひとつひとつ、自分の言葉を追っていくように、声を発していく。

 

「だから、責めたりなんてしない。できない。許すだなんて、そんな話じゃない」

 

 ──そう。だから、頭を下げるべきはあたしなんだ。

 

「彩咲さん……?」

「だって、それでも落胆をまったくしない自信はやっぱり、持てないから。勝手に望んで。勝手に期待して。勝手に、雪村さんのちからを信じて」

 

 そんな勝手を重ねて、友だちなんて虫が良すぎる。

 

「雪村さんは、すごくいい人なんだ」

 

 望むべきは雪村さんじゃない。否を思うべきは、こちら。

 望み、望まれるような資格がないのは、あたしのほうだ。

 

「友だち──うん。いいね。素敵だ。あたしも雪村さんとそう、なりたい。なりたいよ。だけど」

 

 こんなにもあたしたち姉妹を想ってくれる子に。素直な「ありがとう」だけを言えない自分が、そんなあなたのはじめてになっていいはずがない、と思う。

 選んでもらってはいけない。

 選ばせてはならない──少なくとも、今はまだ。

 

「だから、ごめん。雪村さんとあたしは、友だちじゃない」

 

 雪村さんが悪いんじゃない。あたしにその資格が、ないだけ。

 なろうなんて、言えないよ。

 眉根を寄せながらしかし、彩咲さんは自身の発したその言葉を裏付けるようにやさしく、また力なく、翠へと微笑を向ける。

 このときの翠にはまだ、「そこまで言い合えるのならもう十分に友だちだ」なんていうロジックは理論武装し得なかった。彼女を押し切れはしなかった。

 彼女の言うことも、理解できたから。その根源を解消する方法はきっとひとつだけしかなくて、そしてそれは翠が自信を持てずにいること。

 彩咲さん自身にも。翠自身にも。劇的に、どうにかできることではない。

 ここから先に踏み出して、訪れる結果を受け容れて。ようやくそれからのことでしかない。

 

「ごめんね」

「彩咲さん」

 

 だから目を伏せた彩咲さんに対して、翠がとった行動はなんの解決策にもなっていない。ただの、衝動だ。

 咄嗟、そうしたいと思った。

 その言葉を、喉の奥から紡いでいた。

 料理ができない、と言っていた彼女に。

 まだ到底、得意などとは呼べない翠から。投げかける、言葉があった。

 

「彩咲さん。──一緒に、お料理しませんか」

 

 ひたすらにただ、「そうしたい」。ただ、願った。その気持ちが自制の範疇を超えて、あふれ出ていた。

 きっとそれは、まだふたりの関係性が友だちではなかったとしても、叶えられることだから。いいや、そんな理屈すら追いついてきた行動ではない。

 彼女に対して。

 彼女の妹に対して。

 やっぱり翠は、寄り添いたいと思った。きっとただ、それだけ。

 

「妹さんに、ふたりで。一緒にお弁当、つくりませんか」

 

     *   *   *

 

 それはほんとうに衝動的としか呼べないことで。急な誘いであり、要求であったと思う。

 つくりませんか、なんて言ったって、翠自身まだ、料理らしい料理などアルバイトで教わり始めたばかりだ。言葉ほどに大したものを、自分の手でつくれるわけでもない。自分ひとり、あるいは家庭での日常の、ありふれた簡単なものならともかく──明確にその目的で、『誰かに贈る』、かしこまった品質の料理なんて。

 そんなもの、店にあるレシピ通りに従って、聖せんぱいに見てもらいながら拵える『憩い』のメニューくらいしか、翠にはつくれない。それだって完ぺきには、自分ひとりでやれるとはまだまだ思ってはいない。

 

「聖せんぱい」

「うん?」

 

 インターフォンの受話器を耳から離し、戻したショート・ヘアーの少女に、改めて翠は身体を向け、そして言葉を向ける。

 

「ありがとうございます、今日のこと」

 

 玉ねぎをひとつ手に取って弄んでいた彼女に告げるのは率直な感謝。

 翠に「巻き込まれた」彼女。せんぱいは翠の向けた言葉に一瞬きょとんとして、やがてふっと笑う。

 別に。改まって言われるようなことじゃないよ。──軽く目線まで投げ上げた野菜を、なんでもないことのように簡単に、投げた手と同じ掌にキャッチして。

 

「翠との料理はいつもやってることでしょ。うちでも、店でも。ふたりが三人になるくらい、なんにも変わらないよ」

 

 その屈託のなさが、翠にはありがたい。

 せんぱいは、やさしい。

 

「それに、翠のお友だちなんでしょ。いいよ、全然。翠が仲良くできる相手ができることは、私にも嬉しい」

 

 まだ、友だちではない。──と、わざわざ訂正をするほどには翠もこのせんぱいに対して失礼でいられるはずがなかった。曖昧に、少しの困り顔を微笑の中に紛れさせながら、頷き返す。

 そしてまた、呼び鈴が鳴る。今度はマンションのではなく、この柊家の、部屋の玄関のほうから。

 それは、「三人目」の来訪を告げる鐘。もう一度インターフォンをとった聖せんぱいは受話器に向かい、数回ほど頷きつつ、玄関の鍵は開けてある旨を伝えて。

 

「入っておいで。スリッパは出してあるもの、使ってくれればいいから」

 

 扉の開く音が。来訪者の気配が、このダイニングにも届く。

 それはけっして流暢な音ではない。恐る恐る。未知の場所に足を踏み入れた、そんな警戒心の伝わるたどたどしく、ぎこちない、移動の波紋だ。

 やがて翠たちに最も近い、ダイニングを臨むリビングの扉が開く。

 

「いらっしゃい。──彩咲、葉月さん」

 

 入ってきたのは、緊張の面持ち。ポニーテールの少女。

 

「話は聞いてます。こうしてはっきり、面と向かって顔をあわせるのはたぶん、二度目になるね」

 

 肩から提げた通学鞄を、その紐をぎゅっと握って、彼女は深々と、家主の少女に頭を下げた。

 その姿は図らずも、はじめてこの家を訪れた翠の情景によく似ていた。

 

 

          (つづく)

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