4/聖と、翠と、「友だち」

 

 

 涼斗──小山 涼斗が、幼なじみである聖に対してはじめて将来の夢を語ったのは、中学生の頃のことだ。

 それは聖が自身の打ち込んでいたもの、野球を喪った、その折に。

 自分が野球を続けられない。その事実を受け容れたし、納得もした。しかたのないことだと思った。……それでも少なからぬ衝撃も、落ち込みもあった。

 聖が、そんな状況だった頃合いだ。

 俺は、夢を諦めないよ。彼は、そう言った。

 

「だからあいつ、年季入ってるよ。小説家になりたい、それを目指してるって意味では。小学生のころからそう思ってたらしいし、中学に入ったころには、書き始めてたらしいから」

 

 作家。小説家に、なりたいんだ。

 父さんたちは望まないだろうけれど。もっと望んでほしい将来が俺に対して、父さんたちはあるだろうから。

 自嘲気味に笑った涼斗の、その父が、医師という職業をしていて、リョウトの家がその開業を生業とした医院であること。そして彼がそのひとり息子であるということを、その時点で既に重々、聖は知っていた。

 俺は諦めない。追い続ける。聖のぶんまでさ──涼斗はしかし、そんな自分の状況を顧みることもなく、面と向かって、聖にそう言って告げてくれた。

 

「え。じゃあ、氷雨せんぱいは?」

「うち? うちは高校から。こやまんが、文芸部……ちっちゃい同好会でもいいからつくりたい、っていうからさ。せっちゃんも手伝うって言ってたし、じゃあやりますかー、ってさ」

 

 こやまん……小山の名字から、涼斗のこと。

 せっちゃん……昔からそう呼ばれてきた、聖のこと。

 彼女は──南 氷雨はそうやってフランクに、ずっと聖や、涼斗とともに同じ時間を過ごし続けてきてくれた。

 家は、本屋で。もともと、童話やら、児童文学やら。読むのが好きだった、運動音痴が玉に瑕、と自分で言ってしまえるような、相手に深刻さを与えない少女。

 眼鏡をかけたその顔立ちだとか、小柄な体格だとかそれ以上に、彼女自身の性質的な人となりが、そうさせているのだと思う。

 そんな氷雨と、翠と。聖は学校帰り、ハンバーガーショップでテーブルを囲んでいる。ここにはいない、もうひとりの幼なじみ。もうひとりの文芸部員である涼斗を、話の肴にして──、だ。

 

「涼斗のやつ、たしか去年、なんかの賞で佳作とってたもんね」

「えっ」

 

 涼斗は今、予備校にいる。高校二年生、……というより去年からずっとだから、高一から──大学受験に向けて、着々と準備をしているわけだ。

 あるいはそういう生活を送るほうがうちの高校においては少なくとも、普通なのかもしれない。バイト三昧だったり、部活に家の手伝いだったりと別のことに打ち込んでいる聖や氷雨のような例のほうが、ずれているのかもしれない。なにしろ皆の通う高校、明峰寺学園高校は進学校、それも中高一貫で、地元ではそれなりに名の知れた私立校なのだから──……。

 

「そーそー。デビューは金賞以上からだって言ってたけど、なんか賞状もらってた。なかなかキミはすごい先輩をお持ちなのだよ、雪村ちゃん。おわかり?」

 

 眼鏡の奥で片目を閉じてみせながら、氷雨がポテトをつまむ。まるで、自分がそうであるかのように自慢げに。

 翠はびっくりしたように、けれど正直にこくこくと、首を上下させて頷き返す。

 

「──っていうか。すごいっていったら地味に翠もすごいよね? ウチの学校に、高校から入ってくる子ってそうそういないから」

「えっ」

 

 先ほどと同じように小さく声を上げて、翠はきょとんとしている。

 そう、だってウチの高校は大学受験前提の、進学校だから。そのつもりでみんな中学から入ってくる。そして大半が中学からそのままエスカレーター式で持ち上がりの面々で、変わり映えがしない。良くも悪くも、中学からの長い付き合いが高校の卒業まで続く同級生になる──それこそ、高校から入ってくる人間は「入学」というよりも、「転入」してくるといった感覚が近いといっていいほどに。

 

「……そういうものなんですか?」

「まーねー。んで、それで? レアケースである雪村ちゃんの高校生活はその後、どうなの? クラスには馴染めた?」

 

 氷雨の問いはごく、なにげなく。しかし向けられた翠はというとなにやら少し気まずそうに、視線をはずして口ごもる。

 おお? なんだ、どうかしたのか。思い、聖は氷雨とともに、後輩の少女に目を向けて次の言葉を待つ。

 

「なに、ひょっとしてなんか、うまくいってないの?」

 

 誤魔化すように気まずげにオレンジジュースのストローをすすっていた翠はやがて、そう言った氷雨の声を呼び水に、促されるように口を開く。

 ほんの少し、気苦労じみたため息とともに。

 

「いえ。たいしたことじゃないんですけど──せんぱいたちほど、親しくしてくれる友達は、まだ」

 

 まだちょっと、距離があって。

 打ち解け切れては、いなかったり。……です。

 彼女は、そう言った。

 

     *   *   *

 

 周囲がほぼ全員、中学からの持ちあがりだという、高校から編入してきた自分自身の異質性に理由を求めるのは実際、クラスに溶け込めていないというのは少なからずそれが要因としてはあるのだろうし、簡潔でわかりやすい理由ではある。

 

「その。もともと同い年の子たちと打ち解けるのって、苦手で」

 

 だけれど根本的に、自分の側にも問題があるのだということを翠は自分自身、理解し自覚してもいる。

 

「ずっと、冴さんに連れられてあちこち、転校してきたからっていうのもあるんですけど」

 

 せんぱいふたり、存在だけは知っている、ともに暮らす自身の保護者の名を出して説明をする。

 聖せんぱいだけは、顔を合わせたこと、あったはず。自衛官で、転任のたびに日本各地をともに飛び回ってきた女性。彼女との生活に不満らしい不満を抱いたことはない。けれどひとところに長く留まることは殆どなかった、それもまた事実で。

 

「なんとなく、どう関係を深めていったらいいのか、わからなくって」

 

 そんな冴さんや、同僚の人たちや。自分より高い年齢の人々に囲まれて生きる時間が、多かった。だから──年上とともに過ごすことのほうが、慣れている。

 

「せんぱいたちの場合は、聖せんぱいと顔見知りだったし。たまたま、家がお隣さん同士ということもあったから。その流れで自然にこうして、ごく当たり前にお付き合いできるようになっていったんですけど」

 

 だから反面、同い年との。

 同じ目線、同格の友人という存在との付き合いは不慣れだし、苦手だ。

 深い関係性を構築するというのが、よくわからない。

 それが好ましいことであることは理解していても、どうすればそうできるのか。正直、経験がない。

 なんとなくのタイミングで、その土地の学校に転入して。

 物珍しさなどから、クラスの皆に声をかけられて。

 それなりのやりとりをして、ごくありふれた世間付き合い程度の関係性をつくる。そこまでは、行きつくことができる。

 けれど深い絆のようなもの──そう、それこそ、聖せんぱいと氷雨せんぱいのような、時間と積み重ねを経て生まれるような繋がりあいまでは届かない。

 当たり障りなく、恙ないくらいの関係性の「クラスメイト」であり、また「知人」であり。「クラスのともだち」ではあっても、それ以上ではない。一緒に遊ぶ、「仲のいい友人」ほどでもなければ、「親友」なんてものには程遠い。その段階で、その地をあとにすることが大半だった。

 

「え。それじゃあ今回も? 雪村ちゃん、ちょっと経ったらもうどこか、引っ越していっちゃうの?」

「ああ、いえ。今度は、そういうことはないです。冴さんも、『翠だってもう高校生なんだから、保護者のアタシが学業の邪魔しないようにしなきゃ』って、この街に当分、腰を落ち着けるつもりだと言ってましたから」

 

 だから三年を経ずして、学校を去る予定はない。

 けれどそれゆえに、その長期間がはじめての経験であるからこそ、現状持て余している。

 学級での生活。教室内で、ほかにすることもなく休み時間、ただ文庫本をめくりながら──深いつながりって、どうやったらできるんだろう、って。

 同い年の友だちって。

 どうやって、つくるんだっけ。……わからずに、過ごしている。

 

「翠。それは──……、」

「ああ、いえ。全然、そんな深刻なことじゃないんです。今までのわたしとなんにも、これといって別に変わってないっていうか」

 

 日々の過ごし方自体は、なにも変わっていない。

 もともとそうやってたくさんの本を読んできたから。ひとりで過ごすのが平気な性分であったから、自分でも本を、小説を書いてみたいと思うようになったくらいなのだから。

 別に、なにも現状困ったことだって、ないのだ。

 

「それに交友関係だって、孤独ってわけじゃないです。せんぱいたちとこうしてお出かけもしてますし。楽しくやってますよ」

 

 つまるところ、今現在、翠が置かれている状況は。それに対し変化をするのに必要なのは。

 

「今は時間が必要なのかなって。わたしが、クラスに馴染んでいくために。友だちというものを、深いつながりっていうものをそこにつくったことのないわたしには、まず周囲とごく自然に溶け込んでいくことなのかなって、思うんです」

 

 そういうこと。

 翠の中にある、それは実感であり。おぼろげな、現状に対する自らの生み出せる回答だった。

 強がっているわけでも、無理をしているわけでもない。

 きっと少しずつ、積み上げていくしかないことなのだと──わからないなりにそう思っている。その率直な受容だったのだ。慣れていないことをひと足跳びにはうまくやれない。ただ、それだけ。

 

「自分がレアケースだってのはわかってますから。ほんとに気にしないでください。平気です──大丈夫ですから」

 

 ほんとうにそう、思っているだけなのだ。

 精一杯、言葉にしてそれを翠は、目の前にいるせんぱい、ふたりへと伝えたつもりだった。

 しかし年上の少女たちは互い顔を見合わせ、曖昧に、翠へと表情を返す。

 ──まあ。追い追い、ね。氷雨せんぱいが心配の成分を未だ残した微笑とともに、そう言ってくれた。

 ああ、そう。追い追いでいいと、翠自身思っている。

 

「……あんまし、私たちにばっかりかまけてちゃ、ダメだよ」

 

 聖せんぱいは親友に比べるといくぶん、より納得をしていない色を差した表情で、ほのかに口をとがらせ気味にそう呟いた。

 呟いて、コーラのストローから、溶けた氷で薄まった中身を、音を立ててすすり上げたのだった。

 

 

          (つづく)

 

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