魔法少女は、癒せない ~聖と、翠と、なくしたものと~
@640orz
序/聖と、翠と、夜のこと
薄く、霧の浮かぶ夜だった。
不意に、その両腕が全身を包み込むように身体を抱きしめたとき、柊 聖(ひいらぎ せい)の前に開けた視界は存在しなかった。
誰かの腕に抱かれるよりも先に、自分自身の両腕で膝をかかえて。通う高校の制服の一部であるニーハイに包まれたその両膝へとうつ伏せた顔を埋もれさせて、瞳に映るものすべてを遮断するように、なにもかもを闇の中に閉じ込めていたから。
たったひとり、ぽつねんと。人の気配のない静かな神社の境内。眠りについたように静まり返った、社務所を兼ねた、神主一家の居住宅を向こうに臨み。
お社の、その、縁側に。ほかに寄る辺となるものもない心境にくずおれていた、その心地の中であったから。
「せんぱい」
僅かに、砂利を噛む靴底の足音は聴こえていた。
気配も、近づいてくるそれを感じていた。──嗅ぎ慣れた、傍にいて過ごしていれば記憶に染みついている、彼女の愛用するシャンプーの、金木犀の香りに気付いていた。
だから発せられた、そうやって自分を呼ぶ、耳元で囁かれる声にも、
なぜ、彼女が──という驚きや戸惑いこそあれ。
だれが、という観点からいえば自分を抱きしめた両腕の持ち主が彼女であるという部分に関して、驚きはしなかった。
彼女の腕が、うつむき折れてしまった自分を抱きしめている。
雪村、翠。……ゆきむら、すい。彼女のその名を敢えて呼ぶまでもなくたしかに、ひとつ年下の、後輩の少女は誰より一番近い場所で、聖のそばにいる。
年下のくせに、長身の彼女は、平均身長くらいしかない聖に比べたらずっと大きくて。なのにすらりと細くって、モデルみたいで。その長い両腕が、膝をかかえた聖の身体を、抱きしめている。
「せんぱいは、折れないでください。どうか──どうか」
翠の声は穏やかに透き通って、聖の鼓膜を揺らしていく。
「折れてしまったら。せんぱいが守りたかったもの。救けたかったものだって、守れなくなってしまう。救えないままに、なってしまう」
かかえた両脚の、ニーハイの爪先に。身を屈めて曲げた、翠の膝小僧がストッキング越しに触れた。
翠。あなたは、やさしいね。思いながらしかし、聖は声を発せない。
なにを言っても、きっと今の自分は無為な否定を、反語をその言葉たちに接頭させてしまう。
やさしいその両腕を。きっとこのうえなく美しい、聖女のようなその光景を、自分自身のせいで陰らせたくないと、聖は思った。
見なくてもわかる。
ハーフだという出自を示すような、とても、とても美しい、淡いアッシュ・グレイの、単純な黒色とは一線を画す複雑なやさしい色。その、長い、長いストレート・ヘアーを持つ彼女は、月の青白い淡い光を浴びて今、眩い白銀の色にすら見えるほどに美しく、その髪をたなびかせ、煌めいている。
幻想的な霧の淡さに包まれたその輝きの中で自分を、抱きしめてくれている。
それは聖が、はじめて彼女と出会った日、目の当たりにした彼女と同じ。
閉ざした視界の中で、瞼の裏に聖は思い描く。
あの日、翠が抱いていたのは聖ではなく、行きずりの自転車にひっかけられて、致命傷ではないにせよ傷つき、その足を痛々しげに引き摺った──一匹の、小さな、小さな、子猫。
バイトの、配達帰りの聖には、その姿が。
子猫を抱き上げたまま、降り注ぐ月明かりの源を──満月を見上げる、白銀の輝きの少女が。
あまりに鮮明に、今でも思い出されるほど、美しく見えた。
あのときはまだ、知らなかった。
少女の声も、名前も。
少女が、魔法少女だということも。
なにもできない、癒せない。そんな自嘲をする、魔法少女だと。
知る由もなかった。
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