* * *



 入館証が水で濡れないように気をつけながら、友野は手を洗っていた。

 ちょうど清掃中の看板が外されたのと同時に入ったせいか、トイレには他に誰もいなくて、友野一人しかいない。

 そんな状態だからか、蛇口を閉めると、強く降り出した雨が窓に打ち付ける音がすぐに耳に入ってきた。


「雨か……」


 三人目の目撃者の青年も、こんな静かな中で雨の音を聞いたのだろうかと、ふと高い位置につけられた小窓から外を覗くと、雷がピカリと光る。


「それにしても、どうして鼠なんだろうな……」


 もし、ほとりの森公園のあの池が、この怪奇現象に関わりがあるのであれば、鼠でなくてもいいはずだと、友野は思った。

 あの池の向こう側の林を見た時、友野の目に映ったのは、鼠の霊だけではない。

 犬や猫、兎、鳥、蛙もいたし、小さな子供や女性も。

 鼠も確かにいたが、鼠である必要性がない。


「池に浮いていたのは、ただの偶然だったのか……それとも……」


 少し思考を巡らせていると、廊下の方がバタバタと騒がしくなっていった。


「大変だ! 救急車は呼んだのか!?」

「急に倒れたって、一体何が!?」


 多くのスタッフが、慌てて友野のいた楽屋の方へ走っていく。

 事情を知らない他のタレントやマネージャーたちも、一体なんだろうとドアから顔を出してスタフたちの様子を見つめている。


 友野も、一体何があったのか確認しようとスタッフが走っていく方向を見ながらトイレから出ると、ちょうど後ろから歩いて来た人物と肩がぶつかってしまった。


「す、すみません……」

「いや、こちっこそすまない。よく見ていなかった……」


 ガタイが良くて、ちょっとヤクザっぽいサングラスの男。

 友野はその男を初めて間近で見て、すぐにそれが後日、別番組で共演予定の龍雲斎であることに気がついた。


「おや、君は確か……占い師の……————」


 龍雲斎も、ぶつかったのが友野だということがわかったようだ。


「いやぁ、最近話題だと聞いてはいたけど、まさか別の局で会うとは……偶然ですね。本番ではお手柔らかにお願いしますね」


 龍雲斎は友野だとわかる前まで、見た目通りのヤクザのような怖さを放っていたが、実際に話してみると、物腰の柔らかい、おじさんだった。


「ええ、こちらこそ……」


 軽く会釈をして、龍雲斎は自分の楽屋に戻っていく。

 友野は、彼の後ろ姿を見ながら、ゴクリと唾を飲んだ。


「どうして……————どうして、あの子がそこにいるんだ?」


 自称・霊能力者……龍雲斎に憑いている霊を見て、友野は体が震える。


 成仏してくれたなら、それでいいと思っていた。

 左目の下に大きな泣きぼくろがある、二十代前半くらいの女性の霊。

 ほとりの森公園で、水死体となって発見された、身元不明のあの子の霊が、龍雲斎に憑いていた。


「あれは……あれは、あの子だ……————」


 友野がそれを確信した時、救急隊員を引き連れて、スタッフが走って来る。

 そして、友野たちがいた楽屋に入っていき、すぐにタンカーで誰かが運ばれて、立ち尽くしていた友野の前を通って行った。


「先生!! 大変です!!」


 渚のよく通る声にハッと気がついて、友野は駆け寄って来た渚の方を見た。


「ナギちゃん、どうした? 何があったんだ?」

「また起きたんですよ!! あの、怪奇現象が!!!」

「えっ?」

「鼠が……って、言って倒れたんです!!」

「……な、なんだって!?」


 雨は強くなる一方で、謎も深まるばかりだ。




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