6
池の手前の舗装された側は、落下防止のために柵で入れないようになっているが、林に近い向こう側には柵はなかった。
一応、池の周りをぐるっと歩くことはできなくない。
車一台くらいならギリギリ通れるくらいのスペースはあるが、池は深いところで水深四メートルほどある。
危険なため立ち入り禁止の看板が立てられていた。
大人も子供も、泳げるのであれば助かるかもしれないが、落ちたらひとたまりもないだろう。
池の手前側は太陽の光を反射しキラキラと輝いているが、奥側は大きな木の陰になり、どんよりと暗くなっていて、それが余計に池が深いように錯覚させる。
「これは酷い……向こう側の方は、俺一人じゃどうにもならないな……」
友野は小さな声でそう呟き、苦しそうな表情で池の向こう側を眺めていた。
「あの、渚さん……」
「なぁに、隼人くん」
隼人は友野には聞こえないように渚に声をかける。
「本当に、あの人には何かが見えているんですよね? 僕には一体なんのことだか、さっぱりわからないです。ただの林と池にしか見えないんですが……」
姉の愛里があの怪奇現象を目撃してから、隼人はそういう類のものに詳しい友人から渚を紹介してもらった。
まさか自分が通う大学の準ミスに選ばれた美女が、そういう類のもので悩んでいる人を助ける仕事をしているなんて、意外すぎて最初は信用できなかった。
だが彼女が関わったことのある過去の依頼者は皆口を揃えていうのだ。
「渚に頼めば大抵のことは解決する」と。
姉のために、渚を信用してすでに前払いで依頼料は渡してある。
しかし、どうも自分の目には渚が連れて来たこの怪しい男が言う赤い染みも見えないし、彼がいま何を見てそう呟いているのかもわからない。
「あぁ、それは……先生は、普通の人間が見ないようにしているものを、見ないようにできなかった人間だからよ」
「……ちょっと、意味がわからないんだけど」
隼人はますます訳が分からずに首をかしげる。
「よく言うじゃない? 赤ちゃんとか、子供の方が霊感があるけど大人になると見えなくなるって話」
「ええ、聞いたことはありますけど……」
「大抵の人間は生まれた時はみんな幽霊が見えるの。だけど、それって人間にとってはとてもストレスのかかることなのよ。だから、成長するに連れて見えているものを見ないように脳が勝手に判断してしまうの。それで、普通の人間はそう言う類のものがどんどん見えなくなっていくし、記憶からも消えてしまう」
苦しそうな表情の友野の横顔をちらりと見た後、反対に嬉しそうな表情で渚は饒舌に語り、早口になる。
「でも、中には脳のその機能がうまく作動しないで成長してしまう人間がいるの。それが先生。遺伝的なものもあるらしいのだけどね、普通の人間が見ないようにしているものが見えるなんて、かっこいいでしょ? 私も昔はよく見えたのよ? 今は全く見えないけど、自分の首を持った侍の霊を初めて見た時は本当にシビれたわ」
隼人は渚のそのあまりに楽しそうな表情には魅了されたが、語っている内容がおおよそこの手のあざとそうな女子から語られるような内容ではない。
脳内が混乱してきていて、これこそストレスだった。
「そ、そう……自分の首を持った侍の……霊……はは……」
「あら、この話興味ある?」
まだまだ語ろうとする渚に困っていると、隼人たちの後方から、こちらへ近づいてくる足音が聞こえてくる。
人っ子一人いなかった公園に、自分たち以外の人間がいることに驚いて、隼人が肩をビクつかせながら振り返ると、そこにいたのは、人を何人か殺したんじゃないかと疑いたくなるような強面のスーツの男。
さらに、その少し後ろに、若い気弱そうな男もいた。
こんな昼間から公園にいるには違和感がある。
「お前たち、こんなところで何を……」
強面の男の方は、渚の顔を見て驚きの表情に変わる。
「あら、東警部補じゃないですか! お久しぶりですね」
「ナギちゃんじゃないか……君がここにいるってことは……————やはりこの事件は、お前たちの領域なのか?」
友野は振り返り、池の向こうの林から視線を聞き慣れたしゃがれ声の刑事の方へ移す。
「この事件?」
小首を傾げる友野に、察しのいい渚が言った。
「ほら、きっと例の身元不明の死体の話ですよ! 車で轢いたあとに、この池で溺死させられたっていう————」
「あぁ、それか」
「違うのか? お前がこんなところにいるなんて、てっきり何か知っているのかと……」
「そちらが調査しているのは、殺人事件でしょう? 俺たちが調べているのは、怪奇現象の方ですよ」
「怪奇現象?」
てっきりここまで事件に進展がないのは、幽霊の仕業なのではないかとまで考えてしまっていた東は、少しがっかりした。
だが、友野が調べている怪奇現象の内容を聞いて、東はやはり友野に協力を依頼することになる。
「雨の日に、鼠……? おい、南川、確かあったよな?」
「え? 何がですか?」
「あの遺体と一緒に、浮いてただろう? 池に鼠の死体が————」
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