第4話
ツドイは満月の夜に行われることになっている。
その日、私は食事を抜いた。空腹で一日いらいらしていたけれど、体が汚れていては入れないという。
私はイエを出ると、高台へ高台へと坂を登っていった。
オサの住むタチを過ぎて、さらに登っていくと、墓が並ぶ土地に出る。
月明かりのせいで、夜なのに墓はくっきりと見えた。
石が積まれた小さな山のような墓が至るところに造られている。どうやら、この墓はヤマトにとっては気味の悪いものらしい。ヤマトがオオムロの里に従うよう迫るのは、この墓のせいもあるのだという。
ふだんは立ち入ってはいけないところだし、恐ろしく感じただろうけど、今はどうってことはない。それよりも目的の場所を探すほうが大事だった。
石が積まれた山の中でも、とくにおかしな山が正面に現れた。
入り口のあたりは石でできているけど、その上は元々そういう形の丘があったように土で覆われている。けれど、それはすべて人の手でできたものだという。
これは殯(もがり)のための墓。
殯とは死んでしまった人に魂(タマ)が戻ってくるようにと、死体の周囲を這いまわったり、歌い踊ったり、泣き叫んだり、悲しみを伝える言葉を唱えたりすることだ。それで魂が戻ってこないとわかると、ようやく弔(とむら)いができるようになる。
その殯のための墓(本当は墓ではないけど)は、いくつも並んだ室(むろ)の形をした墓の中でも一番大きいから、人々は大室(おおむろ)と呼んでいる。オオムロの里の名前もこれにちなむ。
しかし、どうしてか、次のオサを決めるツドイは大室で行われる。
大室が清らかな場所というのはわからなくもない。なにせ、穢れのある者は立ち入れないのだから。でも、そこはやがて死体になっちゃう体が置かれる場所でもあるのだ。
もしも新しいオサに死の穢れがついたり、墓に入れていない悪霊が漂っていてオサに憑(つ)いたりしたらどうするのだろう?
大室の中に灯かりがついているのは外からでもわかった。
近づいていくと、入り口そばにいたオサの一族の一人が「入りなさい」と小声で言った。
体をかがめて、中に入った。内部は思ったよりもずっと広い。私の腰のあたりまでが石造りで、それより上は土壁だった。天井は丸く広がっている。
正面の奥にオサが立ち、その前に向かい合うようにテオシベが立っている。テオシベは右手に黒曜石で加工された細い槍を持っていた。儀式用のものだろう。
ほかの人たちは皆、両側の壁にへばりつくように立っていた。来ているのは私を含めても十数人で、オサの一族すら全員が入るのを許されているわけではないらしい。本当に私がいてもいいのかな?
「クルヒですね。ようこそ」
オサは丁寧な言葉で私を呼んだ。
とっさに「ごめんなさい」と声に出た。やっぱり、自分は場違いだ。
「謝ることなどありません。テオシベがオサに選ばれるのを見届けてください。そしてテオシベの友達のあなたがオサのテオシベを守ってあげて。ほら、テオシベもあなたを歓迎していますよ」
テオシベはこちらを向くと、顔をゆるませた。ただし、目は笑っていなかった。それで目が細くなって、私の瞳を見られないと何かまずいとでも思っているみたいだった。
そういえば、見ることは最も初歩的な呪術だと聞いたことがある。私がまだ、がきんちょだった頃にテオシベがそう教えてくれた。私はテオシベが本当のお姉ちゃんだと信じていたほどだ。
テオシベの瞳がよく見えないから、テオシベの考えることもわからない。
でも、いくら私でもそんなことを尋ねられる様子じゃなかった。大人たちが誰しも余計なことを言っていないのだから、私も黙っていなければ。
「来てくれて、ありがとう」
囁くような、優しい声でテオシベは言った。
小さな声だったせいか、私は首をわずかに縦に動かして、答えの代わりにした。私とテオシベのやりとりはそれで終わりになった。
儀式がはじまった。
オサはゆっくりと歌とも独り言ともつかない謎の言葉を口にしだした。
意味はよくわからないし、どこの土地の言葉なのかさえわからない。けれど、おそらくカミを讃えるものだろうということは声の調子から判断ができた。
私も殯(もがり)や弔いに参加したことぐらいはある。だから、目の前で行われていることが殯とはまったく別の何かだということはすぐに知れた。
やはり、ここはふさわしくないのではないか?
カミが怒ったりしないだろうか?
オサの言葉を聞きながら、私はそんなことを考えていた。
その時――「それ」は起こった。
オサの言葉がわかれば前触れもわかったのだろうけど、私にはまったくの突然だった。
テオシベが持っていた槍で自分の胸を刺した。
力なく、テオシベは背中から倒れる。
意味がわからず、私は声を上げることができなかった。足の感覚がなくなり、自分がその場に浮いているような、夢の中のような気持ちがした。
それでも、オサは言葉を止めはしなかった。だとしたら、これは最初から定められたことなのだ。
そしてオサは倒れたテオシベの前に跪(ひざまず)くと――
これまでで一番の大きな声を上げた。
耳が、頭がしびれるような感じがした。
私の目は赤い光のようなものでふさがれたようになった。長く続いたらどうしようと思う間もなく、目も耳も戻った。
オサの大きく開かれた口から、何か光り輝くようなものが出て、テオシベに入ったように見えた。
それから、テオシベの手が目覚めたようにゆっくりと動いた。
その手は槍を引き抜き、今度は投げ出されていた脚が動いて、静かに立ち上がった。
「我、カミに認められ、新たなオオムロの里のオサとならん」
儀式の最中で初めてテオシベが発した言葉だ。
オサだと名乗ったテオシベの胸の傷はもうふさがっているようだった。血色はとても瀕死のケガ人のものではないし、むしろ、ずっと生き生きとしている。あまりにもわけのわからないことが多すぎて、喜んでいいことのはずなのに喜べない。
一方で、先ほどまでのオサはいつのまにか十歳は老いたように皺が増えていた。体も縮んでいた。
「新しいオサが誕生したことは明日にでも里の者を集めて伝える。皆、今日は遅くまでご苦労だった。ゆっくりと休んでくれ。それと、先代を介抱してやってくれ」
何を話すか決めてあったようにすらすらと述べると、もうテオシベは大室から出ようとする。
「あっ、テオシベ! いえ……オサ!」
どうしていいかわからないままにテオシベの名前を呼んでしまっていた。不届き者として叱られるかもと思って、オサと呼びなおした。
最初、テオシベは誰に呼ばれているのかよくわかってないようだった。儀式のせいで、ぼうっとしているのだろうか。
ようやくテオシベは私のほうを向いた。
赤の他人がそこに立っているような、そんな変な感じがした。
「ああ、クルヒか。これからもわたしをよろしく頼む」
テオシベは私の肩に手を置いた。テオシベの手のはずなのに、何かが違うように思える。これがオサという立場になるといことなのだろうか。
「やがて、ヤマトの軍が攻めてくる」
それから、テオシベはこう付け足した。
「お前はわたしを守ってくれ」
えっ。
私のことを守るとテオシベは言ってくれていたはずじゃないか。
いや。
あれはオサではないテオシベの言葉なのだ。里の民である私はオサを守らないといけない。
「はい」
答えるのに、とても力がいった。
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