殯(もがり)の夢
森田季節
第1話
ようやく雪がすべて溶け去って花が目立つようになり、そのせいか朝に馬がいななくのも早くなった。
「ほら、花のかんむりだよ」
自分が洗う番の馬の頭に、赤い花のわっかを載せてやった。馬はどいつも茶色いから、色がついたほうがいい。
「こら、クルヒ、あまり遊んでないで体を洗ってあげろ」
自分が番をする馬に桶の水をかけながらテオシベが言う。私より二つ年上の十四で、二つ年上なだけだが、伸びている髪はもっと年が離れてると思うぐらい長い。
「この馬も着飾るほうを望んでるって。鞍(くら)とか鐙(あぶみ)とかだけじゃ面白くないって言ってる」
「ウソをつくな。そんなこと、カミ様ぐらいしかわからないだろ」
テオシベはあきれた顔をしながら、馬のおなかをこする。上等な白が目立つ左前の衣(きぬ)が汚れるのも気にせず、こする。テオシベはオサの一族なのにちっとも威張ったりしないので偉いと思う。私にもお姉ちゃんみたいに接してくれる。
ここ、オオムロの里は周りの里と比べてもずっと大きくて強い。少なくとも戦で負けた話を聞いたことがない。
その理由は私でも想像がつく。
馬をたくさん飼っているからだ。
乗るのは大変だけど、馬は脚が速いし、蹴られた人間はあっさりと死んでしまう。
「ねえ、テオシベ、どうして馬はオオムロの里にしかいないの?」
私は馬のあごのあたりをなでてやりながら言う。
「こんなに強いなら、ほかの里も飼えばいいじゃん」
「馬を使うには技というものがあってな、それを漏れないようにしてるんだ。これまでも一頭や二頭が盗まれたなんてことは何度かあったけど、それだけじゃ使いものにならないし、増やせないし、しつけることもできない。このへんで牧(まき)があるのはオオムロの里だけだしな」
たしかに馬は何頭も木の柵の中で暮らしている。馬たちもここが自分の家だとわかっているので逃げていったりはしない。交易で遠くまで歩いていったこともあるけど、こんな牧を持っている里はほかになかった。
ふっと、風の流れが変わった。
南から来ていた風が西からのものになった。冬の寒さが残っているような風。
私は何か嫌なものが来るのを感じた。それには馬も気付いたらしく、高い声でいなないた。
本当に、嫌なものが来ていた。
高台のオサの家を目指しているらしい、見慣れない連中が目についた。このオオムロの里は低いところから段々にイエが続いている。上がってくる奴らはすぐにわかる。
角髪(みづら)の髪に漆塗りの櫛(くし)を何本も差している。服が派手だし、腰にぶら下げている剣の鞘(さや)も派手だ。そして、やけに大股で歩いていてて、いかにも図々しそうだ。
「テオシベ、あれはハイバラやオミやクビキの里の連中とは違うな。ハイバラとかの連中はあんなに立派なものは持ってない」
「だったら、どこから来た連中?」と私は尋ねる。
テオシベはじっと視界にそいつらをとらえたまま言った。
「もしかすると、ヤマトの者かもしれんな。オサが若い頃にも何度か仕えるようにと言ってきたはずだ。その時は、馬を数頭差し出して、手打ちとしたんだが」
私ははるか西の果てにあるヤマトという里を思い浮かべようとしたが、遠すぎてとてもできなかった。スワよりもキソよりも、さらにはヒダやミノよりも遠いというその土地はどのあたりにあるのだろう。
「どうして、そんな遠いところから来るの? ここがそんなに大事?」
テオシベはぽんぽんとそばの馬を叩いた。
「ヤマトも馬がほしいんだ」
「ヤマトはものすごく大きな里でしょ。馬ぐらい持ってるでしょ」
「馬が増えても困ることはないんだ。とくに、ここより北や東の連中を従える時にはな」
そのあと、テオシベはヤマトの支配下に入った里が急激に増えていると語った。その支配下に入った里はオサの偉さにあわせて、まん丸な墓や丸にでっぱりがついたような形の墓を作るのだという。墓の形でヤマトの力が広がっているのがすぐわかるようにするために。
カワチという海に面したところに拠点を移してから、ヤマトは一気に強くなっているという。鉄や須恵器、玉、それに塩を作るためだけの集落まで作ったとか。その中には馬のために牧を管理している集落もあるらしい。川の近くに堤を作り、そこで馬を飼っている。
「なんでテオシベはそんなことまで知ってるの。詳しすぎるでしょ。まさかヤマトまで旅をしたことがあったり?」
「そんなわけないだろ。話だけなら入ってくる。わたしはオサの一族だからな」
オサの一族だから。それはテオシベのよく使う言葉だった。でも、私が聞くとちょっと切なくなる言葉でもあった。テオシベは私と全然違うってわかってしまうから。
オサの一族が誇りを持っているのはおかしくない話だけど、テオシベはことさらオサの一族ということを強く感じていると思う。
「里を守るためには知らんでは済まされないんだ」
それから、テオシベは私のほうに来ると、腋の下に手を入れて、ぐっと押し上げた。
私の体がぶらんと宙に浮く。テオシベよりも高いところに目がいく。櫛を差したテオシベの頭の上が見える。
「昔はもっと簡単に上がったのだけどな。クルヒも重くなったな」
「そこは大きくなったって言ってよ」と私は抗議する。
「クルヒ、お前、もう十二だったか」
「うん。だから、戦に出てもいい年なんだよ」
テオシベの顔が曇る。
「戦になんて出なくていい――と言いたいところだが、戦になればそういうわけにもいかんな。どうせ、ハイバラの里はこの里をつぶすためなら喜んでヤマトに手を貸すだろうし。ツカマの国の里はどこだってシナノの国をずっと憎んでいる」
私を持ち上げたまま、テオシベは黙り込む。私にはテオシベの考えていることのほとんどはわからない。でも、どうしようと思ったことはほとんどない。
難しそうな顔のテオシベと目が合った。
それから、テオシベはこう言った。
「クルヒ、何があっても、お前はわたしが守ってやる」
「だよね」
私はにっこり笑って言った。
私の返答に、テオシベはぽかんとあっけにとられたような顔になる。
「だって、テオシベがウソをついたことなんてないし。テオシベがいれば誰にだって負けないよ」
「あっ、あはははっ!」
声を出して、テオシベは笑う。
「まったく。クルヒのまぬけ面を見てると、体の力が抜けるぞ。こうしてやる!」
テオシベは私を持ち上げたまま、ぐるぐると回りだした。つまり私も一緒に回る!
「やめて、やめて! 目が回る!」
「断る! クルヒにはこれがお似合いだ!」
私が笑い声と悲鳴の間みたいな声を出すと、馬もつられて鳴きだした。
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