花里町春宵楼ー④



 暖簾をくぐり店の中に入ると、中から愛想のいい笑顔を浮かべると男性や、美しく着飾った幼い少女が出迎えてくれた。

 紫乃達を最初に出迎えてくれた男性は、どうやらこの店の番頭のようで、何やら近くにいた若い男性に話をすると、再び笑顔を浮かべ、こちらです、と店の中央にある階段を指した。

 店の中は賑やかで、外の地味さと比べ大分豪華な内装だった。けれど決して派手すぎず、店の天井には西洋風の明かりが煌めいていた。

 あちらこちらから聞こえる、男女の楽しそうな笑い声や店の中の煌びやかさ、香と煙管の匂いに紫乃は酔いそうになり、気分はいいものとは言えなかった。


「この部屋です」


 そこは店の二階の奥。他の部屋からは少し離れた、一番大きなふすまの部屋だった。襖には美しい、烏と桜の絵が描かれている。

 中からは、なにやら複数の女性の笑い声や、烏間のものではない、男性の豪快な笑い声が響いている。


「鞍馬様、失礼いたします」


 番頭の声に中からの返事はない。どうやら賑やかさで聞こえていないようだ。

 番頭は仕方なく、襖を開けた。すると、中はそれはそれは賑やかなお祭り騒ぎ。広い部屋の中央では、ふんどし一丁の体格のいい筋肉質な男が、酔って踊っていた。その周りには何人かの美しい遊女が笑いながらそれを見ており、烏間はその奥でうんざりした顔で酒を飲んでいた。そしてその隣には、一際美しい女性が上品そうに笑っている。


「お?誰だ?」


 酔った男は、目がうつろなまま空いた襖を見る。そして奥にいた烏間もそれに気付き、そこに立っていた人達が目に入ると、目を見開く。


「紫乃、何をしている」


 烏間は慌てて酒を置くと、立ち上がろうとする。が、しかし烏間が紫乃達に近付くよりも先に、酔った男がどかどかと大股で近付いてきた。


「紫乃?なんだぁ?新しい遊女か?」


 ほぼほぼ全裸のその男は、烏間が名前を呼んだことで紫乃に興味を持ったようで、一目散に紫乃へと近寄る。

 紫乃は突然目の前まで近寄ってくるその男に、小さく悲鳴をあげた。するとその様子が男は気に入ったのか、酒臭い顔を近付け、骨張った大きな手で紫乃の華奢な顎を掴む。そして虚な、深紅の瞳で紫乃の顔をまじまじと見つめるとニヤリと口角を上げる。


「美しい娘だな。来い」


 男は紫乃を気に入ったようで、紫乃の細い腰に腕を回し、強引に引き寄せる。紫乃の体は簡単に男の胸へと収まり、紫乃の顔はその逞しい胸にぶつかった。

 力強く抱きしめられる紫乃は助けを求めるべく、後ろの3人を必死に見たが、3人はそれを青い顔をして見ていることしか出来ないようだった。


(どうして?この人は誰?)


 あまりにも豪快で、強引なこの酔っ払い裸男は誰なのか。顔は男らしく端正な顔立ちだが、酔っているとはいえ、初対面でいきなり抱きつくなんて失礼じゃないか。紫乃は涙がたまる目で男を睨みつけたが、酔っている上に長身のこの男は気付く様子もない。

 するとそこに助け舟を出したのは、ものすごい形相で男を睨む烏間だった。


「おい、れつ。その女を離せ」

「あ?なんでだよ」


 低い声で言う烏間に、男は不機嫌そうに答える。


「なんでもだ」

「だめだ。俺は今晩この女と寝ることに決めたんだ」


 烈と呼ばれた男の発言に、その場にいた全員が目を丸くする。紫乃は慌てて烈から離れようと抵抗するが、烈の筋肉は凄まじく、びくともしない。


「鬼童様、その方は遊女ではありませんので」


 さすがに見かねた番頭が烈に声をかけたが、紫乃を離すこともないまま聞く耳を持たない。


「こんなに美しい女はなかなかいない。俺はこの女が気に入ったんだ!!」


 まるでお気に入りのおもちゃを抱きしめる子供のように、烈は紫乃をきつく抱きしめた。あまりの力に、紫乃は窒息しそうになる。


「いい加減にしろ、烈」


 その時、烏間がそれはそれは恐ろしい顔で言う。その顔と声に少し怖気付いたのか、烈の腕が少しだけ緩む。だがそれでも、紫乃はその腕から抜け出せない。


「それは、俺のだ」


 烈は一瞬黙り込んだが、すぐに何を思ったのか大笑いし出す。


「なんだ朔!さてはお前もこの女を気に入ったのだな。だが残念だが、今夜は俺のものだぞ」


 あっはっはっ、と豪快に笑う烈。元の性格なのか、よっぽど酔いが回っているのか。話にならない烈に、烏間は大きくため息をつく。


「烈、お前は少し飲み過ぎだ」

「うるさい!お前の説教は聞き飽きた!もういい、番頭、この女ととこに行く。案内しろ!」


 烏間に注意をされた事で機嫌がますます悪くなった烈は、強引に紫乃を捕まえたまま、番頭に声をかける。さーっと血の気が引く紫乃。このままでは見ず知らずの男に襲われてしまう。けれど烈の力に、紫乃はどうすることもできない。

 鬼童烈。そういえばどこかで聞き覚えのある名だ。と紫乃は思った。酸欠になり、遠のき始める意識の中で考える。


(宴でお会いした、小鈴様のお兄様)


 そうだ。あの時話に出た、小鈴の兄だ。それを思い出したのと、この体つきで紫乃は納得する。


(どおりで、みんなが手を出せないわけだわ)


 後ろの3人も、番頭も、遊女達も。皆、この人に口出しなどできるわけもないだろう。この体格、家柄、しかも酔っ払いだ。

 紫乃はどうすることもできず、だんだんと力が抜けていく。するとその時だった。ものすごい力で紫乃の体は烈の胸の中からさよならする事となった。

 ぼんやりした目で見ると、目の前は一面の紺色と、嗅ぎ覚えのある花のような香り。そして烈ほどではないものの、逞しい胸。

 顔を上げると、そこには見覚えのある顔が、眉間に皺を寄せて烈を睨みつけていた。


「おふざけは、そろそろやめておけよ烈」


 紫乃は烏間の腕の中に収まっていた。細く見える烏間だが、あの筋骨隆々な男から引き寄せるだなんて、なかなかやるな、と紫乃は驚く。

 突然紫乃が腕の中から消えた烈は、胸のあたりを見つめながらぼんやりしている。


「伊助、奥の部屋を貸せ。泊まる」


 伊助、と呼ばれた番頭は慌てて返事をすると言われた部屋の準備をすべくバタバタと慌ただしそうに走っていった。

 その足音にようやく動き出した烈は、烏間を鬼のような形相で睨む。


「おい、おれの女を奪っておいてただで済むと思うなよ」


 そもそもお前の女じゃないだろう、と烏間は小声でため息と共に呟く。すると烈の体が、だんだんと赤みを増してゆく。その赤みは、酔いのせいとは少し違っていたようだった。それを見て、周りの皆は慌て出す。


「鬼童様落ち着いてくださいまし」

「烈様、怒りをおさめてください」

「こんなところでいけません」

「また騒ぎを起こすおつもりですか、烈様」


 遊女やら、灯磨や菫、伊織らが怒りで震える烈に慌てて声をかける。けれどどんどんと烈の肌は赤みを増してゆく。おまけに体も大きさは増し、歯が尖り出す。

 そんな烈を見て、烏間は面倒そうな顔をして烈に近付く。そしえ烏間はすばやく烈の額に人差し指を当て、何やら呪文を唱えた。すると烈の体からは赤みが引き、体や歯も元通りに変わった。


「芙蓉」


 烏間は烈から指を離すと、紫乃達が部屋へ来た時隣にいた、美しい女性に声をかける。


「すまないが、烈を頼む」

「承知致しました」


 女性は柔らかな顔で微笑むと、上品そうに頭を少し下げた。するとその時、ものすごい衝撃と音が部屋の中に響き渡る。

 音の先を見ると、烈が後ろから倒れ、その場で大きないびきをかいて眠っていた。

 烏間はそんな烈を煩わしそうに見ると、また一つため息をつく。


「行くぞ」


 烏間は紫乃の手を引き、部屋を出ようとした。


「良いのですか?」


 紫乃は倒れたままの格好で寝ている烈を見て、心配そうに烏間に声をかける。そんな紫乃に烏間は少しだけむっとして、目を細めた。


「鞍馬様、お部屋の準備が整いました」


 その時、丁度いいタイミングで番頭が部屋へ戻ってきた。


「伊助、こいつもどこかの部屋に寝かせておけ。騒ぐようなら、芙蓉に相手するよう言ってある。それとあとで部屋に酒を持ってこい」

「わ、わかりました」


 番頭は倒れている烈を見て、困ったように返事をした。それもそうだろう。こんな大男を運ぶのだって大変だろうに、いつ目覚めて暴れるかわからない。

 未だ心配そうに烈を見る紫乃の手を、烏間は強引に引っ張る。


「伊織、明日の朝屋敷に戻る。灯磨と菫もご苦労だった」

「かしこまりました」


 伊織は丁寧に頭を下げる。その顔が引き攣っていたのが見えて、紫乃はひやりとした。そして灯磨と菫は伊織の前で烏間の指示に逆らう事は出来ず、心配そうな顔を紫乃に向けるだけだった。

 部屋を出る瞬間に、紫乃はもう一度倒れた烈を心配で見る。

 けれどその時、紫乃の目に入ってしまった。芙蓉と呼ばれた遊女が、烏間に愛おしいような、寂しいような目を向けていたことに。


 紫乃は烏間に手を引かれ、冷たい廊下を歩き奥の部屋へと向かった。

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