予期せぬ提案ー①



 長谷川邸を後にした紫乃は、通りに出て、先ほど言われた七星という店を探す事にした。

 あたりを見回しながら、人通りの多い道を行く。すると、通りの中に、不思議と人々が通り過ぎていく店があることに気付いた。確かにそこに"在る"のに、人々はまるで目に映っていないかのように通り過ぎていく。

 店の看板には、紫乃が探していた七星の文字と可愛らしい天道虫てんとうむしえがかれていた。窓は色鮮やかなステンドグラスで、扉も曇りガラスだったため中の様子は伺えなかった。

 紫乃は恐る恐る、扉に手をかけ引いた。すると、扉に付いていた小さな金色のベルが、まるで鳥の鳴き声のようにチリリンと音を響かせる。


「いらっしゃいませ」


 店の中から、柔らかな表情を浮かべた美しい女性が声をかけた。

 艶やかな黒髪を青いリボンで束ね、花柄の着物に西洋風の白いエプロンをかけた女性。凛々しい眉とふっくらとした唇に色っぽい目元の、まるで牡丹の花のように華やかで美しい人だった。


「あの」

「あら、珍しいお客様ね」


 紫乃が声をかけようとすると、女性は目を丸くして口元に手を当てると少し驚いたように言う。


「よく、"ここ"がお分かりになりましたね」


 女性の言葉の意味が分からず、紫乃は少し首を捻った。


「ここは少し、見つけづらいので」


 少し意味深に、女性は紫乃に笑いかける。そして、にっこりと笑みを浮かべると。


「こちらへどうぞ」


 と、手を指して、紫乃を席へと案内する。

 案内された席は、先程外から見えていた美しいステンドグラスの窓のそばだった。4人掛けの席で、レースの可愛らしいクロスがかけられている。窓からの光がステンドグラスの色を映し、白いレースのクロスに色模様をつけていた。

 女性は紫乃を案内すると、微笑んで店の奥へと消えて行った。その間店内を見渡す紫乃。大きく古い振り子時計や外国の曲が流れる蓄音機、ステンドグラスのランプや壁にかけられた絵画。ちまたで流行りの西洋風の喫茶店のように見えた。

 初めて入った喫茶店に、緊張して俯く紫乃の元に、女性がトレイを持って戻ってくる。


「どうぞ」


 紫乃の前に置かれたのは、水が注がれた透明なグラスだった。


「ありがとうございます」

「注文はどうなさいますか?」


 女性は黒い表紙がかけられた二つ折りの品書しながきを開き、紫乃に見せる。そこには馴染みある名前から、見たことも聞いたこともない名前まで、ずらりと並んでいた。


「いえ、人を待っているだけなので」

「あら、どなたかのご紹介でしたか」

「ええと、あの」


 驚いた顔の女性に、紫乃は先程の男性2人の事を言おうと思ったが、ここではっとする。待つように言われてこの店を訪れたというのに、あの2人の名前を聞くのをすっかり忘れてしまっていた。

 彼らがここに来る保証もないのに、誰を待っているか伝えられなければ、この女性に不審がられてしまうのではないだろうか。

 紫乃は緊張と焦りで、さっと血の気が引いていく。


「どうかなさいました?」

「…実は、ここで待つよう言われているのですが、その方の名前を聞くのを忘れてしまいまして」


 だんだんと小さくなっていく声と、下がっていく視線。そんな紫乃の様子に女性はつい笑い出す。


「深刻なお顔で、何を言い出すかと思えば」


 あはは、と可笑しそうに口元に手をやりながら女性は可愛らしく笑った。


「大丈夫ですよ。お待ち合わせの方が分からないからって、こんな可愛らしいお嬢様を追い出したりはしませんから。それにここに来られる方は限られてますし。ちなみにどんなお方ですか?」


 女性は大笑いして、目元の涙を指で拭いながら言う。紫乃は女性に言われて、先程の男性達の姿を頭に思い浮かべた。


「お一人は栗色の髪のにこやかな男性で、もう一人は黒髪の、その、少し迫力のある方でした。それと、お二人とも珍しい琥珀色の瞳でした」


 恐る恐る言う紫乃の話に、女性は心当たりがあったようで、笑顔を浮かべ納得したような表情を浮かべていた。


「ああ、きっとそれは烏間からすま様ですね」


 その名を聞いて、紫乃は再び血の気が引き顔が青くなる。

 烏間家は有名な古くから続く名家だ。だがその素性は謎が多く、国にも影響力をもつと言われている家の一つだった。そして現当主は冷酷無慈悲な人物と噂され、表舞台にも滅多に顔を出さない。そのため恐怖心を抱いている者も多い。

 紫乃の家も名家だが、今となっては他の家との関わりなどほとんどない。そのせいもあり、紫乃は烏間の当主の顔を知らなかった。

 

「あの、私、帰ります」


 まさか烏間家の人だったなんて。もしかしたら先程あった人が噂に聞く当主だったのだろうか。だとしたらなんて約束をしてしまったのか。

 紫乃は青い顔のまま、ふらふらと立ち上がる。


「え、急にどうされたんですか?」

「すみません、もし、お二人が来たら帰ったと伝えていただけますか」

「けれどお待ちを。顔色が優れないようですよ」


 慌てて帰ろうとする紫乃を、眉を下げて困った顔で女性が制止する。一刻も早く帰りたい、と願う紫乃が無理矢理店を出ようと女性の脇を通ろうとした。が、その時だった。

 入り口の扉が開き、紫乃が入ってきた時同様、ベルが美しい音で店内に鳴り響いた。


椿つばきさーん」


 勢いよく店に入ってきたのは、先程の栗色の髪の男性だった。

 それを見てほっとしたような顔を浮かべた女性と、この世の終わりのように顔を青くする紫乃。

 二人の姿を見つけると嬉しそうに、男性は笑顔を浮かべた。


「椿さんこんにちは!それと紫乃様、よかった、待っていてくださったんですね」


 嬉しそうに満面の笑みで、男性は紫乃に声をかける。そんな彼の後ろから、もう一人、先程の黒髪の男性も現れた。相変わらず不機嫌そうな顔を浮かべている。

 笑顔のまま紫乃に近づく男性と入れ替わるように、椿と呼ばれた女性は後から来た男性の元は慌てて駆け寄った。


さく様、上着をお預かりいたします」


 差し伸べられた手に、男性はあぁ、と短く返事をして着ていた上着を脱ぐと、椿に手渡した。そして、そのまま紫乃のいる席に近付いて来る。


灯磨とうま、さっさと座れ」

「はいはい、紫乃様も座ってください」

「ええと、私もう帰ろうかと」

「お前も座れ」


 朔と呼ばれた男性は、席の横に立っていた灯磨と呼んだ男性を奥に座らせ、紫乃の目の前の席にどかりと座った。そして紫乃の小さな声をかき消し、威圧的に座るよう促す。紫乃はそれに逆らえず、渋々元の席に座った。

 この迫力と、隣の男性の対応を見るに、やはりこの人が烏間家の当主なのだろうと、紫乃は背中に嫌な汗をかく。

 

「紫乃様、何か頼まれますか?」


 水を運んできた椿から品書を受け取ると、灯磨は緊張の隠せない紫乃に品書を見せながら聞く。


「いえ、大丈夫です」

「遠慮なさらずに。ここはなんでも美味しいですよ」


 人懐っこい笑顔のままの灯磨に、紫乃は困り果てる。

 遠慮するなと言われても、そもそもお金なんて持って来てないし、一刻も早くここから立ち去りたかった。

 紫乃が困った顔のまま固まっていると、朔は眉間に皺を寄せたまま椿に声をかける。


「椿、珈琲コーヒーを3つ頼む」

「かしこまりました」


 有無を言わさず、朔は3人分の注文をさっさと済ませてしまった。その事に、灯磨はあからさまにがっかりして、「甘味かんみを食べたかったのに」と残念そうに口を尖らせた。

 注文を受けた椿は、品書を受け取ると、店の奥へと下がっていってしまった。

 そんな様子に、紫乃は慌てて言う。


「私、恥ずかしながら待ち合わせが」

「大丈夫ですよ。朔様が出しますから、お気になさらず」

「でも」


 初めて会った方に払っていただくなんて、と紫乃は遠慮しようとしたが、朔がこれ以上言うなと言わんばかりにため息を小さく漏らしたのが聴こえたので、紫乃はもう何も言えなかった。だが、隣にいた灯磨が変わらずの笑顔で「本当にお気になさらず」と言ったので、少し気持ちが楽になった。


「紹介が遅れましたが、僕は灯磨と申します。こちらは烏間家の現当主、烏間朔様です。先程は突然お声をかけてしまい、驚かれたでしょう」

「いえ、こちらこそ先程は大変失礼致しました。烏間様とは知らず」


 紫乃は座ったまま、深々と頭を下げて、目の前の威圧的な男性に謝罪する。

 やはり彼が烏間家の現当主だったのか。冷酷無慈悲と噂される方に、支払いやら家まで送らせるやらさせてしまう事になるだなんて、と紫乃はもう真っ青で意識が今にも飛んでしまいそうだった。


「気にするな」


 朔は素っ気なく言い放った。そして頭を下げたままの紫乃に、朔は表情を変える事なく言葉を続ける。


「ところで、なぜ長谷川邸にいたんだ」


 低く響く声に鼓膜を揺らされ、紫乃はゆっくりと頭を上げた。

 店内には、香ばしい、初めて嗅ぐいい匂いが広がっていた。これが珈琲の香りなのだろうか、などと思いながら、紫乃は先程の出来事を渋々口にする。


「実は」


 怯えながら話す紫乃を、変わらぬ表情のまま朔は琥珀の瞳で見つめた。


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