傀儡の軌跡
marushi SK
第1話 こぼれ落ちた種
朝の挨拶を済ますと、長机に全員で並んで朝食を食べる。その際、子供たちの顔を確認するのがデボラの日課となっていた。
物静かな少年は、いつものように他人と少し距離を開けて座っている。
デボラは小さくため息をついて、元気な子供たちの表情に目を移す。
小さな孤児院だが、平凡な朝の一幕だった。
オリトン王国の北西に位置する街、エンクロウ。
国境の近くにあるデーメーテールが農業の街と呼ばれるのなら、さながらこの地、エンクロウは花の都といったところだった。
国境から一番遠い事もあり、ほとんど争い事には無縁で穏やかな人柄が多い。
それでも志願して兵士として戦に参加する男たちもいたが。
街には切り花や花の蜜を売る店が至るところに溢れている。
そんな街中から少し離れた丘の上。質素な孤児院はそこに位置していた。
「はい。できたわよ、シャマリー」
そう言って手作りの子犬の人形を手渡すと、幼い少女に笑みが広がった。
左耳の真下の首筋に目立つほくろのある少女だ。時折り他の子供にそれをからかわれている時もあるため、いつもどこか控えめに過ごしている。
ふわりとした短めの茶髪が愛らしい少女であるのにもったいない、とデボラは思っていた。
「ありがとう。デボラ先生」
大切そうにシャマリーが持つのは、母から作ってもらった人形だ。四六時中抱きしめているのであちこちほつれが目立ち、見かねたデボラが手直しをしていたのだ。
シャマリーの母は重い病気にかかり、他に身寄りもないためこの施設へ娘を連れて来た。それからいくらもせずに命が尽きてしまったという。
ここにはそんな孤児がたくさんいる。
孤児院に勤める四十代前半の女性──デボラは次に気になる子供の様子を見に椅子から立ち上がった。
およそ感情など知らないのか、と思うほどに無表情な少年は、ほんのニ、三歳の頃にこの孤児院にやってきた。
というより、玄関先に置き去りにされていたのだ。
少年はほとんど口を開かず、この歳にして笑顔どころか、滅多に表情を変える事もないのだ。
背中には大きな火傷の跡がある。他の場所にも痣が数カ所。おそらく親によるものであろう。
もしかしたら、笑ったり泣いたりする度に煩わしさに攻撃されていたのかもしれない。でなければこの幼さで沈着な表情は保てない、と思えた。
贔屓したくはなかったが、デボラはこの少年を放ってはおけなかった。
食事を終えた子供たちは、各々遊び始める。年長の子供は後片付けだ。
ある程度の歳になると、就職先を探さねばならない。
それまでに身の回りの事は自分で出来るように指導していた。
いつものようにそれを眺めていると、これまたいつものように小さな少年は部屋の隅に座り込んでいた。
「みんなと一緒に遊ばないの、カイトス?」
堪らず話しかけると、黒髪の少年はただ首を横に振った。ただそれだけだった。
言葉は理解しているが返事を返す事は滅多にない。何しろ名乗るまでも時間がかかったのだ。
他の子供たちの前だ。デボラはため息を飲み込んで仕方なくその場を後にした。
この子供が心を開いてくれる時はくるのだろうか。デボラにはただ祈る事しかできなかった。
*
普段の賑やかさとは違った悲鳴のような声が飛び交っていた。
「どうしたんです?そんなに騒いで……」
子供たちをなだめようと部屋に入ったデボラはぎょっとした。
どこからか入り込んだ野良犬が子供たちを追いかけまわしていたのである。
まだ遊び盛りの若い犬は、構ってもらいたいがために飛び付いたり吠えたりしているのだろう。
しかし子供たちにとっては恐怖の存在でしかない。泣き出している子が何人もいた。
中には面白がってはやし立てている子供もいたが。
「こら、出ていきなさい!」
デボラは手を振って追い払おうとするが、野良犬は依然楽しげに吠え続けている。
万が一、子供たちが怪我をしたり、病気をもらってしまっては大変な事になる。
「デボラ先生?どうしたんですか?」
対応に困っていると隣の部屋から騒ぎを聞きつけた他の職員が顔をのぞかせた。
「先生〜!」
泣きわめく子供たちは途端に職員にしがみついた。
「まあ、どこから入ったんでしょう!大丈夫よ、みんな」
「きっと、そこの大きな窓を開けていたからよ」
デボラの指差した先には庭へと続く窓があった。
そんな会話をしている間に、一人の少年が野良犬に追い回され始めた。
今まで見た事のないような必死の形相で部屋中を逃げ回っている。
だが、少年は躓いて転び、野良犬は今だとばかりに飛び乗った。尾を振りながら少年の顔を舐めまわす。
「カイトス!大丈夫!?」
デボラが立たせてやると、少年は顔を歪ませて泣き出した。他の子供たちと変わらぬ歳相応の泣き声。
その隙に若い職員は床に落ちていた人形を拾い上げると、犬に見せつけてから外へ放り投げた。
犬は直後、弾かれたように人形を追いかけて外に飛び出した。その隙に窓を閉める。
「ほら、もう大丈夫よ。怖かったのねぇ……」
泣きじゃくるカイトスの頭や背中を優しく撫でる。
カイトスには悪いが、やっと子供らしい表情を見れてデボラはこの事態に少し安堵していた。
*
転機がきたのはカイトスが十二歳になる頃だった。
なんと、今年のアルタイル隊の入隊試験を受けると言うのだ。
相変わらず言葉少なく、表情が変わる事は滅多にないが、それだけははっきりと口にした。
この孤児院から兵士になる子供はいない訳ではない。ただ、兵士になるまでの見習い期間に辞めてしまう子の方が多いのである。
(確かに、正式に兵士として採用されれば、給料の一部は孤児院に入ってくるけれど……)
近頃、孤児院の維持費を保つのも厳しくなってきていたのだ。
就職先があるなら薦めたいところだが、行き先はアルタイルだ。
自然とため息がもれる。
デボラは何となく、いつかこんな日がくるのではないかという気がしていた。
最近のカイトスは他の子供とぶつかり合う事もある。大概の場合、相手が泣かされてしまうのだが。
いつの間にか孤児院の中でカイトスに勝てる男子はいなくなっていた。
そんな時にアルタイル隊から推薦したい子供がいるかと尋ねられたのだ。
「カイトス、本当に行くの?」
不安を隠せないデボラは少年の瞳を見つめた。澄んだ湖のような薄い水色。
「行く」
カイトスは迷いのない声で答えた。
そして結局、その年の内にアルタイルへ入隊する事になったのである。
「カイトスをよろしくお願いいたします」
デボラは迎えに来たアルタイル兵に向かって深々と頭を下げた。
「しっかりやるのよ、カイトス。いつでも顔を見せにきなさい」
まだ幼さの残る少年は、珍しく緊張しているのか、顔を強張らせながらも頷いてみせた。
兵士に連れられていく小さな背中を見送りながら祈るように呟く。
「いつでも帰ってきていいから……」
しかし、それ以来カイトスは孤児院に戻ってくる事はなかったのである。
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