6

 怪物の雄叫びが聞こえる。私という弱者の命を奪おうと昂ぶる獣の声が耳を貫く。

 けれど最早、それに反応する気力は無い。──なくなってしまっていた。


 黒以外の全てを省いた島。目の前にすら何があるのかも曖昧なこの場所は、地形や環境などあらゆる牙を私に向けてきた。

 少し歩けばそれだけで転倒するのは当たり前、ちょっとでも気を抜けばどこまで広がるかもわからぬ穴や崖、元の世界とは明らかに違う気候や重圧。


 だがそれより恐ろしいのは獣。黒に紛れ襲いかかって来るその怪物達は私の手に負えるものではなかった。


 黒獣ブラックビースト。それはかつてシャドウが猛威を振るった時代において、唯一彼に従った漆黒の怪物達。

 ヴィランをも呑み込む三メートルほどの怪鳥など、おおよそこの世のものとは思えない化け物達。そんな生きる災害達がこの島に無数に蔓延り、私に猛威を振るったのだ。 


 気配すら感じ取る間もなく吹き飛ばされた。どこから襲われるのかと震えながら島を進み、次の瞬間には体が引き千切られた。こちらから仕掛けようとすら考えたがどこにいるのかもわからず、立ち止まったところを嘲笑うかのように襲われ、次の瞬間には首が中を舞っていた。


 刺されて死んだ潰されて死んだ燃やされて死んだ溺れて死んだ飢えて死んだ狂って死んだ痛みで死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ──。


 もう限界だった。いや、限界なんて陳腐な上限はとっくに超えてしまっていた。


 何度死のうと体のみが蘇生され、死の痛みと恐怖が心と感覚を蝕んでいく。

 抵抗しても意味など無い、することすら出来ないその理不尽はまさしく地獄。ここが地獄でないのなら、一体どこが地獄だというのか。


 体は動かない。声も出ない。──もう何も考えたくない。


 思考を放棄しようとどこなのかもわからない地面に転がり続け、そして再び体を引き裂かんと奔る衝撃が私を吹き飛ばす。

 そして次の瞬間には激痛と共に体の傷は塞がり、巻き戻るかのように修復されていく。


 元凶への恨みは一瞬、もう今は震えながら怯えることしか出来なかった。


「……す……け」


 絞りかすみたいな呻きが漏れる。そのか細さは、思考すら投げ出したい今の私そのままの惨めさがあった。

 どうしてこんなことをしないといけないのか。私は何で、こんな辛いことをしなくちゃいけないのか。


 嫌だもう死にたくない。痛いのは嫌だ苦しいのは嫌だ辛いのは嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ助けて助けて助けて、助けてよお姉ちゃん──。


『──ナル』


 どこからか、懐かしい声が聞こえた気がした。

 こんな何もない──姉とこれっぽっちの縁すらも存在しない深淵で、よりにもよってもういない姉の声が聞こえるわけがない。


 ああでも。私が聞く最期の音がこれなら悪くない。姉を思いながら姉と同じ場所を夢見て眠りにつけるのならそれは幸せなことのはずだ。

 だから目を閉じよう。もう何も見なければ、それで終わりなのだから──。


『貴女は生きて、ナル』


 この世で最も聞きたかったその声は、姉の最期の言葉は全てから目を背けようとした私を否定した。


 そうだ、私は何のために生き残ったんだ。

 あの業火の中、ただ一人だけ生かされた私が命を投げ出すなんてことはあっちゃいけないはずだ。


 私がすべきことを思い出せ。私がやりたいことを思い出せ。

 ジーウスを、家族の仇を己の手で殺す。だからこそ、あの欠片も信用できない悪党シャドウの元で力を付けようと決心したんじゃないか。


 生きる。生きる生きる生きる生きろ私──!! 


「っゥああアああ──!!」


 獣よりもなお荒々しく叫びながら、全身に力を込め魔力を流す。

 無傷に残る激痛を堪えながら、全身に魔力を流し続け強引に活力を与えていく。


 思い出せあの感覚を。前にシャドウが私にやったあの不可思議な魔力の使い方を。

 一歩間違えばここで終わる。次折れてしまえば弱虫な私が立ち上がれる保証なんてどこにもなく、本当におしまいになってしまうだろう。


 だから助けて。こんな私が歩いて行けるように力を貸して、お姉ちゃん。


 少しずつ、少しずつ魔力の体に染みこませ馴染ませ、激痛と不快感に襲われながら悲鳴と共に耐え続ける。

 足りない。もっと、もっともっとたくさん流せ。私が動く燃料を継ぎつつけろ──!! 


 こちらに気づいた怪物の咆哮が私の声を掻き消すかのように吠え、こちらに向かってくる。

 それでももう止まらない。私が動くか怪物が私を喰らうか、ただそれだけのシンプルな大勝負。


 不思議とわかる。怪物の口が開き、私を砕こうと迫り来ることが。

 地獄への入り口が呑み込もうと私を覆う気配が感じられ、その口は処刑台の刃のように私を潰すだろう瞬間。


 ──極光がそれを阻む。この場にあるはずのない黒以外の色──姉が持っていた優しくも暖かい純白が、私を守るように全身を包み込んだ。


 怪物はその暖かさが毒であるかのように藻掻き苦しみ、そして埃が空に舞うかのように中に霧散していく。

 足下を見ると私を中心にほんの何メートルかが、まるで黒色の世界が上書きしたかのように白く染まっている。


 体の痛みは未だ残る。目を瞑り意識を飛ばせば、今にもこの力は失せるだろう。

 けれどどうしてか体は軽い。気持ちを絶やさなければ、私は少しずつ歩み続けることが出来る──!! 


『グギャオウ──!!』


 怪物が完全に消失した瞬間それが切っ掛けのように、四方八方から怪物の咆哮が轟く。


 懐から取り出した黒棒はいつの間にか光と同じ白に変わっていたが気にすることなく、二つに分けて変形させ、利き手の左に馴染みのある銃を持ち、そしてもう片方の手には姉の得意だった剣を納める。

 不安はない。姉とは違い才能が無かった剣ですら、今は自在に振り回せる予感があった。どんな理不尽すら薙ぎ払える気がした。


 息を吐き、呼吸を整える。そして──。


「ゥらあっ──!!」


 怪物が襲うのと私が駆け出すのは同時だった。


 軽い、軽い軽い軽い!! まるで自分じゃないくらいに体が動く!! 

 冴える感覚。どこに何かあるか、周りがどうなっているかも不思議と理解でき、見えないはずの地形が何となく把握できている。


 今までに無い速度で大地を走り、目の前の障害に剣を振るい銃を向け、魔力を込めて連射する。

 怪物はその光に触れた瞬間、先ほどの個体と同じように苦痛の叫びを上げる。

 効いているのかわからない。けれど立ち止まっていて確認している暇はない。この奇跡が続く限り、一秒でも早く目的を達成のために島を進むのが最優先──!! 


 黒色の大地に線を残すかのように縦横無尽に突き進み続ける白。

 誰にも勢いを止めることは出来ないその流星のような極光は島を奔りながら怪物の包囲網を突き破り、そしてついに島の中央にまで到達する。


 そこにあったのは大樹。島にあるほかの木とは違った、不自然に手の入った大きな木が一つ。

 そして知覚する。その木の上にぽつりとある、ほんの一粒ほどの濃い力の塊を。


 ──あった。あれを取ればクリアだ。


 そう確信した瞬間、がくりと支えでも抜かれたかのように足の力が抜けて膝から崩れ落ちる。

 体を包む光は燃え尽きた花火のように萎み始め、和らいでいた激痛が再び主張し始める。


 怪物達は絶好の機会を見逃さず、ようやく止まった獲物を喰らうべく押し寄せる。


 ……迷っている暇はない。出来なければ死あるのみだ。

 大丈夫、大事なのは出来ると確信すること。それ以外の邪魔な雑念なんて考えるな──!! 


 片方に握る剣を銃に変え、二丁の銃口を地面に向ける。

 残りの力のほとんどを込めて強く握り、少し息を吸ってから引き金を引く。


 轟く轟音。放たれた光は黒の地面にぶつかり破裂し、その衝撃は私を一気に空に押し上げる。

 砲弾のように空を突き進む。片手に持つ銃を捨て手を伸ばしながら、自身から力が抜けていくのを実感する。


 目的地はただ一つ。届いて勝利を掴むか道半ばで力尽き墜ちるか、それだけだ。

 もうやれることはない。最早魔力は肉体を補強するので精一杯。新たに出てくる怪物に抗う術などもうなく、後はこの力の勢いに身を任せるだけ。


 意識が遠退く。体が悲鳴を上げ、今にも意識と瞼は闇に落ちようとしている。

 目的地に近づくにつれて勢いが少しずつ失われていき、完全に空に縫い付けられたかのように制止したような気がする。


 手に感覚は無い。上手くいったのかそうでないのか、もうどうなっているかもわからない。


「──認めるよ成美。君の覚悟は本物だ」


 最後に耳に入ったのは久しく聞いていなかった少年の声で、その言葉の意味を噛み砕く前に私の意識は落ちていった。

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