黒いチューリップ

さとすみれ

1話完結

 僕はさっき、彼女と別れた。


 彼女とは同棲していた。


 「付き合おう」と言ったのは彼女だ。それなのに「別れよう」と言ったのも彼女だった。


 別れる云々の話をしてから一時間後に、彼女は大きなスーツケース一つを持って出て行った。涙と共に。


 どっちが悪いのか僕にはわからない。どちらのせいでもない気がするが。別れようと言われた時、僕は「嫌」と言わなかった。「そうだね。別れようか」とだけ言った。


 彼女とは気が合いすぎた。喧嘩のない生活に飽きたのかもしれない。彼女と出会ったのは意外にも、友達に無理矢理連れて行かれた合コンで。お互いアニメが好きで、一人でいる方が好きで、食事は薄味を好み、お風呂は必ずシャワーのみがいい。もう一度思うが、とにかく僕たちは気が合いすぎた。


 ベッドの中で別れた僕は、体を起こす気にはなれなかった。なんとも言えない気持ちが僕を渦巻いていた。僕はまた目を閉じようとした。しかし、それを制止するかのように僕の携帯が通知を告げた。


 布団の中から手を伸ばし、携帯を弄るが、僕の手はずっと机を触っていた。いつもはここに置いているのに。いくら手を伸ばしても携帯らしきつるつるとしたものはない。探し疲れて腕を下ろした時、指先に「何か」が触れた。床に落としてたか。


 少しだけ身をベッドから乗り出して腕を伸ばす。携帯はすぐに拾うことができた。画面に出ている通知をざっと読む。さっきまで隣にいた彼女からだった。


「今までありがとう」

「気が合いすぎたね、私たち」

「楽しかった」

「私の机の上を見て欲しい」


 机の上……。彼女と同棲を始めた時、彼女が選んだ東向きの部屋。僕がもともと物置として利用していた部屋。リモートワークをする彼女にとって、大事なものをたくさん置いている場所。彼女の大好きな花がたくさん置いてある場所。僕も用がない限り部屋には入らなかった。部屋には彼女が自分の住んでいた部屋から持ってきた机と椅子が置いてある。そこの机のことかと思い、重い体を起こし、ノロノロと向かった。


 部屋のドアはピッタリ閉められていた。ドアノブをゆっくり回して開ける。


 カーテンが開いていて、朝日が眩しかった。咄嗟に目を瞑る。ゆっくりもう一度目を開けると、彼女の部屋は一時間前まで生活していたと思えないくらい何もなかった。綺麗だった。


 件名を思い出し、机へと歩みを進める。そこには一輪の黒い花がポツンと寂しく花瓶に挿してある。僕にでも分かる花だった。チューリップ……。黒いチューリップなんてあるのか。これがどうかしたのか。そう思いつつ机にさらに近づくと、花瓶の下には一枚、紙が挟まっていた。


 黒いチューリップ

 花をよく知らない優雨ゆう君でも花の名前ぐらいは分かったんじゃない?

 花言葉を調べてみて


 そういえば彼女は花が好きだった。僕は花に興味がなかった。ここは合わなかった。合っていたらもっと早く別れていたかもしれない。黒いチューリップ……。どういう意味だったか……。彼女から聞いた気がしたが忘れた。スマホをポケットから取り出し、検索にかける。検索するとすぐに出てきた。


 黒いチューリップ 「忘れてください」

 チューリップ一本 「あなたが運命の人」


 僕は目から涙が溢れるのを抑えられなかった。矛盾してんじゃん。忘れるわけないだろ。バカ。君以上に気が合う人はいないんだよ。何もなかったけど楽しかったんだよ。ただ君もそうだったんだな。別れようって言いながら運命の人とも思っていたんだな。嗚呼、なんで別れようって言われた時に「嫌」って言わなかったんだろう。変わらない日常が一番いいことを忘れていたからかもしれない。彼女の思いを知らなかったからかもしれない。やっぱり、僕が悪いのかもしれない。


 僕は急いで靴を履き、彼女を探しに街へ出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒いチューリップ さとすみれ @Sato_Sumire

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説