第30話・叙爵
帝宮には、叙爵式の少し前の時刻に到着した。
この国で最も豊かな皇帝直轄領、それを象徴するのが帝宮である。それはもはや見事という他なかった。磨き上げられた大理石で作られた巨大な宮殿。だが、そこに欠片も下品さは見受けられない。それはデザインの力によるものだろう。白磁の中央宮も、それに連なる尖塔も全てが美しい。まるで神がもたらしたかのようだ。
「ようこそおいでくださいました、サイス冒険伯様。こちらへ、帝宮の敷地は広大です。馬車をご利用ください」
門番は僕を一目で僕と見抜く。皇帝直轄領は情報の中心地、をさらに束ねる中心地である。故にただの門番ですら、かなりの教養を求められる職業である。それこそ、男爵などという田舎貴族など比べ物にならないほどだ。
促されるまま馬車に乗ると、その馬車は帝宮を走り出す。
巨大な帝宮を囲うのは、清流が如く澄んだ水で満たされた堀だ。水は彫像から堀へと流し込まれ、濾過されて街の上水道へと運ばれる。
浄水設備が発展している。だからこの水が汚染されようと問題はない。しかし、この水も含めて帝宮である。よって、それを汚す行為は鉱山での終身刑に処される。
馬車が通る道はその堀にかけられた橋だ。僕は馬車の中からそれを眺めていた。
ふと、ミアさんのことを思い出した。僕をアーロと呼んだあの日のことだ。この橋を越えた先で僕はサイス冒険伯になる。それは、おそらくアーロという名前の僕との永遠の決別だ。アーロという幼い僕はここで消え、サイスというSランク冒険者が未来を歩く。
そういえば、冒険者の男性の多くは俺という一人称を用いる。僕という一人称には、謙遜の意味が込められている。騎士が用いることが多い一人称だ。この身は王の下僕であると、それを忘れないように僕という一人称を使う。
「俺……か……、似合わないかもな」
馬車の中、誰に聴かせるわけでもなくつぶやいた。だけど、俺という言葉を使おう。俺は、例え皇帝から爵位を賜ろうと自由な風で有り続ける。龍は不滅の象徴だ。だが、同時に自由の象徴でもある。俺は龍の落し子なのだ、自由であるべきだ。
考えがまとまる頃、馬車は皇帝の居る中央宮へとたどり着いた。
「サイス冒険伯、ご到着!」
馬車の扉が開かれると、赤い絨毯が敷かれた道がある。それは王の御前まで続いていた。
俺はその道を歩いた。左右では皇帝直轄の近衛騎士が道を剣で塞いでいる。俺が一歩歩くたび、近衛騎士たちは剣を収め俺の道を開けていく。
俺はその道を最奥まで進むと、皇帝に跪いた。
「面を上げよ」
皇帝は、声だけでも、貫禄と威厳のある人物だった。
言われるがまま、顔を上げると、深いしわの刻まれた皇帝の顔があった。
「冒険伯よ、何を望む?」
「陛下のお心のままに」
これは手続きだ。この問答は予定調和であり、意味を持たない。
「ならば命ず、何を望むか申せ」
本当に意味を持つのはここからだ。
「法を望みます。帝国の宝たる子供に、懲罰紋が刻まれることが、二度と起こらないように」
龍の霹靂が俺を助けてくれなければ、きっと俺はこの場で鎌を抜く人物になっていただろう。ミアさんが俺を愛さなければ、それどころか自分の生に希望すら持たなかったのだろう。僕は救われて生きている。ならば、僕も誰かを救いたい。
「子供に懲罰紋!?」
「そんな、あまりに残酷だ」
玉座の間がどよめきたつ。声を発しているのは主に俺の叙爵を見届ける貴族たちだ。対して近衛騎士たちは、声も出さず、だが俺を見ている。
懲罰紋の痛みを知るのは近衛騎士たちだ。彼らの訓練に、懲罰紋が用いられる。上位貴族たちは、優れた道徳心を持つ。だから、子供に懲罰紋を施すなど、俺から聞いて初めて考えたのだろう。そういう帝宮だからこそ、これまでその法律がなかった。
「静まれ!」
皇帝の一声で、静寂が帝宮を包み込む。
「冒険伯よ、それがそなたの望みか?」
「はい! 自由でありたいこの身は、治めるべき土地も、守るべき土地も、欲しはしません」
そう、俺は自由でいると決めたのだ。
「ならば、その法を施行しよう。それから、孤児院の運営権、並びに冒険者ギルドに対する国家の介入権をお前に託す。うまく使うが良い」
それは、俺に守るべきものを作り、ムーア帝国につなぎ止める鎖だった。
「はっ!」
だが、それでも良かった。俺は、俺の意思でこの国にとどまる事を決めていた。
「汝を、我がムーア帝国冒険伯として、受け入れる」
皇帝は剣を抜き、俺の肩を軽くたたく。
こうして、僕は俺になり、力を持たなかった少年は力を持つ貴族となった。
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